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札幌・円山生活日記

八十八ヵ所めぐり〜円山~

円山の街の魅力を高める自然溢れる「円山公園」。園内の「円山」は天然記念物の原始林が広がる標高225mの小さな山。子供も含め登山を手軽に楽しめ頂上の岩場からは札幌市街地が見晴らせます。同時に「円山」は信仰の山で“四国八十八ヶ所” にちなんだ八十八体からの観音像はじめ多くの寄進された石仏が山道に安置されています。時代を超えて崇められ愛されてきた山です。

今日は「八十八ヵ所めぐり」に「円山」に登ることとしました。先般の「三十三観音像めぐり〜藻岩山~」の際に第1番目と第33番目の観音像が山道になく「円山」はどうなっているのだろうと気になったからです。結果は第1番から第88番まで山道にありました。なんとか見つけました。ただ多くの石仏を見ていると時代を超えて様々なストーリーがあったかと思わせる佇まいでした。それだけ「円山」が長く人々に崇められ愛されてきたということなのでしょう。ご存じの方も多いと思われますがそんな一端を紹介します。
 
地下鉄東西線「円山公園駅」直結の「マルヤマクラス」5F駐車場より見た「円山」。マンション等の住宅地に近接した身近な存在です。

地下鉄東西線「円山公園駅」から徒歩10分ほどで「八十八ヶ所口」に到着。途中の「坂下野球場」のネット裏付近にトイレと水飲み場があります。
「円山山頂」に続く「円山登山道」には2通りあります。1つが今回の「八十八ヶ所コース」。もう一つが円山動物園の裏からの「動物園裏コース」です。「八十八ヶ所コース」は距離は短いですが勾配が急で、一方「動物園裏コース」はトータルで距離はありますが勾配が緩やかで登りやすいです。

「八十八ヵ所口」。

大正三年五月二十日「開山」石碑と弘法大師をご本尊とする「大師堂」。「大師堂」の参拝口横に「八十八ヶ所コース」ができあがった経緯が記されていました。
「八十八ヶ所コース」の経緯です。
“四国の八十八ヶ所は、真言宗の祖 弘法大師(空海)が修行を積んだ遺跡で、信仰者が巡礼する霊場として広く知られています。
大正三年に円山村の開拓功労者である上田万平・善七兄弟が円山登山道を開き、四国から本道に移住してきた札幌近郊の信仰者有志に観音像の寄進を呼びかけ、八十八体の像が建立されました。
八十八ヶ所登山道の入り口から頂上付近まで並ぶ観音像はその後も信仰者の献像により、今では二百体以上が奉安されています。
大正四年には登山道入り口に大師堂が建立され、弘法大師の像が祀られるようになりました。その後、境内には大日如来像・不動尊像・大師いろは歌碑・開山碑などの仏像や石碑が建ち、弘法大師が残した徳をたたえています。”
「大師堂」前の弘法大師像。

「大師堂」向かいには不思議な「幽閉された石像牢(?)」があります。
カギの掛かった鉄格子の向こうには様々な石像が置かれています。石材店の販売前の寄進用石仏の保管場所かとも思ったのですが刻印済のもあるので実態は不明です。

「大師堂」の先にある階段から「八十八ヶ所コース」がスタートです。

「第一番觀音像」が早速ありました。これから第八十八番まで確認しながら登って行きますが数が多いので紹介は概ね五番毎とします。

山道沿いには寄進された多くの石仏が並びます。番号のないものがかなり多くあります。

階段を登り直ぐに表れる稲荷神社。

山道に大きな木の根が張り出しています。かなりの迫力です。写真を撮っていると「エゾリス」が出てきました。動きが速く残念ながら写真は撮れませんでした。

第四番を超えて次の第五番が見つかりません。第六・七番まで行ってしまい戻ってきたのですが番号のない石仏の裏で「第五番」を発見しました。手前の観音像の首に補修した跡があり左端のは首が落ちそうです。

このあたりは比較的穏やかな登り坂が続きます。

「第十番観音像」。こちらは順調に発見できました。


「第十五番」は3体ありました。こちら以外にも同一番号で複数体のものも多く、同じ場所にあるものから別の場所にあるものも。長い間に多くの人が寄進してきたのでしょう。


「第ニ十番」も複数です。


「第ニ十番」を超えたあたりから山道の傾斜が急になってきました。

昨日の強風のせいでしょうか、折れた枝が垂れ下がっていました。頭上注意です。


「第ニ十五番」。

この先の山道も木が倒れかかっていました。


「第三十番」も複数体です。「大師堂」の説明に「今では二百体以上」と書かれていましたが番号のない石仏も多いのでもっとあるような印象です。


「第三十五番」と山道。


この「第四十番」の確認には少し苦労しました。「第三十九番」と「第四十一番」の間を2回往復したのですがあるのはこの石仏だけ。左は「不動明王」のようですし右側の像には番号もありません。疑問のまま登山を続け下山の際にもう一度確認しました。
右側の石仏を良く見ると首の位置で石を継いだ跡があり胴体の方に「○十番」の文字が読めます。位置関係からも考えると何らかの事情で首が欠けた「第四十番」を少し時代を経て一族なのか誰かが修復させたものと推測させていただきました。

「第四十一番」の周囲にも倒木があり左の石像も首を継いだ後があります。石が軟らかいのか台風被害等が頻発するのか信仰者のご苦労が偲ばれます。


「第四十五番」は「不動明王」のようです。先の説明では「観音像の寄進を募った」とありましたがどんな経緯があったのでしょうか?


「第五十番」と山道。「第五十番」は二体が並んでいますが・・。
左の一体の礎石には「明治三十七年八月一日」と読める文字が刻まれています。「円山」の「開山」は大正三年ですのでそれ以前に安置した石仏の上に「五十番」の石を乗せたのでしょうか。継いだ痕跡がありますし。明治初期には「円山」で石切りや伐採が行われて人が入っていたということですから明治時代に安置された石仏があってもおかしくはありません。でも背景にどんなストーリーがあるのでしょうか。

右側の像は「昭和拾年六月」と読めます。「開山」の約20年後です。


「第五十五番」。


「第六十番」。この辺りは緩やかなアップ・ダウンです。最初来た時は降り坂に「この道で良いのだろうか?」と少し躊躇したものです。


現在地の表示がありました。残り山頂まで0.3㎞です。
 
「第六十五番」。

「第七十番」。登り坂が続きます。傍らには熊よけのようなものが設置されていました。


「第七十四番」と倒木。


「第七十五番」に・・。

その前の倒木。この辺りも倒木が目立ちます。


「第八十番」も2体です。左は礎石は古いですが像は新しい色をしています。これも近年になって手を加えられたのでしょう。


山道途中の顔の欠けた番号のない「観音像」に花が手向けられていました。誰がどんな思いでなされたのでしょうか?


いよいよ「第八十五番」です。最後の昇り坂になります。


「動物園裏ルート」との合流点が見えて来ました。

合流点のすぐ手前に「第八十八番觀音像」がありました。この一体のみ木の囲い付きでした。これで無事八十八ヶ所確認です。


左へ向かうと山頂はもうすぐです。

山頂に到着。昨日の強風のせいでしょうか、折れた木々が散乱してしまいました。
山頂の岩場。石切りの痕跡だそうです。

山頂からの眺望です。街が近くに見えます。
「JRタワー」など札幌中心街。
「テレビ塔」も確認できました。
こちらはお馴染み「札幌ドーム」。以上で市街地ビューは終了。


山道の花です。麓もそうですがこの時期「ミズヒキ」がたくさん見られたのですが写真が上手く撮れません。こちらは「第四十番」付近の「アキノキリンソウ」。


同じく「アキノキリンソウ」が山頂付近にもたくさん咲いていました。


最後に「エゾリス」の写真を1枚。登り始めに見た「エゾリス」の写真が撮れずに悔しかったので麓の「円山川」沿いの「リス観察スポット」を一回りしました。「シマリス」は出てくれませんでしたが川沿いのベンチ脇の木に食事中の「エゾリス」を見かけました。

アイヌの人達が「モイワ」と呼んだ「小さな山」は明治時代になって山の形が丸いことから「円山」と名付けられました。札幌を訪れた島義勇開拓判官が都市計画を練るために登ったのも「円山」で札幌の歴史を見守ってきました。大正期に観音像が建立されてからも人々とともにあり多くの信仰を集め崇められてきたようです。そんな「円山」の長い歴史に改めて触れた思いがしました。ありがとうございました。 

「円山公園」
〒064-0959 札幌市中央区宮ヶ丘他
円山公園管理事務所 (011)621-0453
地下鉄東西線『円山公園駅』下車3番出口 徒歩 5分
(2021.9.13訪問) 

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