滝川第二中学校・高等学校演劇部

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その1 藤田さんについて

2006-03-15 | 脚本家よもやま噺
インスピレーションは多忙な時にこそ沸くというものだが、
今日はまさにその日にあたるに違いない。

今日三月十五日は落語「紺屋高尾」に出てくる高尾太夫の
年季が明ける日でもあり、落語作家にとっては気にかかる日である。
そんなことを言い始めると、昨日三月十四日は柳家喬太郎の新作
「白日の約束」の時間軸でもあり、浅野内匠頭の命日でもあるので
それこそ落語関係者にとっては枚挙に暇がないのだ。


さて、
このあたりで読者はきっと耳慣れない落語噺に
嫌気が差し始めただろうと思うので、
本来のコラムに入って就寝するとしよう。

要するに、このカテゴリーでは脚本を手がけた立場から
古参の者しか知り得ない設定であるとか、台詞の由来であるとか
ある種のマニアックな視点から、
「君死にたまふことなかれ」を語っていこうというのが主題である。

タイトルにもある「藤田さん」は、ケイコの恋する男性であるが、
彼は、日々ケイコ・マナブ、師匠筋に当たる居草屋明陽(戦、やめよう)など
登場人物は全て洒落で統一される中、ただ一人
「藤田護」
という、洒落にも何もなっていない人物となっている。
ケイコを愛し、ケイコに愛され、プロポーズする彼の名前は何故「藤田護」となったのか。

一説に「無事だ、(国を)守る」から来ているのだ、という話も耳にしたので
あえてここで書くが、上記の理由はガセである。

初代マナブやケイコらとともに初稿を考える際に、私が書いた数少ない漫才台本
「渡すも貰うもラブレター」を、漫才の参考にと読む機会があったのだが、
その漫才の冒頭に、
「一生懸命頑張っていかなあかんなぁちゅうて、藤田さんと話してたんですけども」
「いや、藤田さんて誰よ。そういうのは相方の俺と相談せぇよ。」
「あぁ、それは藤田さんと相談せんことには何とも言えない。」
「何でやねん。」
のような、他愛ない台詞がある。
どうやらケイコがそれを気に入ったらしく、

「じゃあ、ケイコの恋人は藤田さんで」

となった。
これが真相である。
私にしても、この漫才台詞のボケは、それこそ藤田さんでも住吉さんでも
良かったわけで、意味のありそうな「藤田」は実に安直につけられた名前と
いうことになる。ひょっとしたら、ケイコが漫才台本を読ませた私に
気を遣ってくれたのかもしれないが
考えてみると、この藤田だけが本名(あとは芸名)なので、
リアリティの追求としては、ケイコの判断が正しかったと言うべきだろう。

そして、「護」はどこから来たのか、といえば、
これもケイコの、
「いぐりん先生の下の名前で、藤田守でいいでしょ」
の一声で、すぐさま決定したのである。
もう少し暴露すると、本来は「藤田守」と表記されていたものを
あまりのこっ恥ずかしさもあって「守→護」に変えたのは
何を隠そう、この私なのだ。

考えても見てほしい。
自分が携わった作品で、主人公の恋人役に自分の名前のつく、この照れ臭さを。
「守さん、あなたを愛しています」などという台詞は
芝居ではなく、生身の彼女や婚約者にでも言われてこそ
意味があるのだ、26歳独身の私にとっては。

それもあって、ケイコには台本上、「護さん」ではなく「藤田さん」と
苗字で呼ばせているのである。
もちろん、藤田護という存在が、作中において
「イコール藤田家そのもの」を指す・・・、つまりは、藤田護と結婚することは
藤田家の一族と婚姻関係を結ぶという意味合いが強いために、
彼をあえて個人名の「護」でなく「藤田」と呼ばせているという脚本家の意図は
きちんとあるのだが、裏を返せば、脚本家自身の心情も含まれているのだ。

これだから脚本作りは面白い。
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1 コメント

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Unknown (ケイコ)
2006-03-15 23:04:42
ニヤニヤ(・∀・)ニヤニヤ







ちなみに『住吉さん』も、ケイコの思いつきで決まったのです。



これからも、脚本を手がけた立場からのマニアックなお話、楽しみにしています

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