滝川第二中学校・高等学校演劇部

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滝二祭に向けて

2006-04-23 | 第8期部員の活動日誌
読者のみなさま、こんばんわ。茶子です。

今年も滝二祭(学園祭)が近づいてきました。
演劇部は中高一緒に『滝二寄席』を作り、落語・漫才を上演予定です。
落語・漫才ともに、台本がほぼ完成し、いよいよ練習が本格化してきます。
今は、一人orコンビでの活動が主です。基本的に、練習の終わりには、全員がその日の成果を皆の前で発表する時間をとっています。部員同士で感想を言い合って、上達していこうと励んでいます。

滝二祭までの予定ですが・・・
5/3・4は、中高合同の合宿を予定しています。この時、部内で中間発表会をしようという話が出ています。まずは発表できる形にするのが、目標です。 
5/8には、桂つく枝師匠をお迎えして、落語を教えて頂くことになりました。
この日には、より一層上達しておきたいですね。
これらの好機を、よい成果に結びつけられたらいいですね。

迷いの中で

2006-04-18 | 第8期部員の活動日誌
“泳ぎ方も知らないのに、いきなり大きな波が
ザブーンときて、
慌てていたらまた次の、より大きな波がきて・・・
その繰り返しでどうして良いのか分からなくなった。”
そんな激動の一年でした、この一年は。


昨年七月に演劇部に声をかけて頂いて、
顧問の先生お二人に落語や大衆演劇や舞台、
あらゆるところへ連れて行って頂き、
育ててもらったことで、
ほんの入り口にしろ、
芝居へのおもしろみが分かり始めていた。

演者としても高校演劇で
神戸市大会、兵庫県大会、近畿大会、
全国大会と一歩ずつ駒を進めることが出来た。


何も知らなかった頃は怖さ知らずで
力だけで強引に押し切って芝居が出来たが、
少しずつ芝居が分かってくるにつれて
迷いや怖さばかりが膨れ上がってきた。

こうして、
演劇は団体競技でありながら、
育ててもらった身でありながら、
ケイコは、
少ない部員数。主演女優。時間の拘束。
自分の性格、夢。好きなお稽古の中断・・・
と、悩みを抱え自分自身を孤立させてしまった。

何かが自分をひどく苦しめていて、
このままいくとつぶれるに違いない。
だから、何度も何度もやめてしまおうと思った。
演劇をやめれば、演じることをやめれば、
楽になれると思った。そう、思っていた。



でもそれは間違えでした。
私は何があってもお芝居が大好きで、
演じる楽しさをいつまでも感じていたいのです。

進路で迷った時、まず一番に、
今自分が何をしたいかを考えました。

するとやはり、答えは演じることなのです。

日々ケイコ役をした私にとって、
全国大会に出場することは当たり前のように
思われていたかもしれません。
主役だから、一度役に命を吹き込んだのだから、
ケイコ役を続けることは当たり前だろう、と。

しかし私も人間です。
多いに悩みました。
そして出た結果がこの答えです。もう迷いはありません。
ただ、前を向いて歩くだけです。

バトンをつなぐ

2006-04-16 | 第8期部員の活動日誌
ケイコです。

昨日は、掃除にやられてしまいました。

中学生、いぐりん先生、アサデン先生と共に、
わけあって部室の片づけをしたのです。
かなりの量の掃除に、
終わる頃には皆へとへとになってました。

お疲れ様です

滝二祭に向けて、皆モクモクと
練習に励んでいます。
ケイコは、一生懸命がんばってみようと思います。
勉強も芝居も落語も漫才も、他のことも。
授業も真剣に聞きます。
提出物もきちんと出します。
遅刻もしません。
(そして遊ぶときは遊びます。)

私は次の全国大会に行きたいのです。
8月の京都の全国大会のことではなく、
その次の・・・ということです。
「私が味わった感激を、後輩たちにも
体験させたい。」
という優等生的な発言をするわけではありません。

神の存在、宿命、運命のようなものを
私は今までほとんど信じていませんでした。

けれど、あることがきっかけで
「これがお前の運命だよ。」
という、天からの声を
聞いたような気がするのです。

おまえの役割だぞ、という目に見えない
誰かからバトンタッチをされたような錯覚。

高校生が高校生を演じる必然性があるかどうか、
テーマをどう絞るか・・・などと
生意気を言ってしまったケイコですが、
今、その高校生に命の重さを伝えたいのです。

生きているというおごりを捨てよう。
私たちは
大きな力によって生かされていることの
感謝の念を持たなければ・・・と思い始めたのです。

お父さん、お母さん、ありがとう。
先生ありがとう。
そして友人、知人、仲間、地域、
みんなみんなありがとう。

新入生のみなさんへ
全国に向けて、思いをつなげていこうね。

地区大会の日

2006-04-08 | 第8期部員の活動日誌
「君死にたまふことなかれ」の台本の言葉は
芝居を観た後も、心に残るものが
多くあります。
これだけの台本が産声をあげたのは
何よりも大きな二つの才能と貢献です。


いぐりん先生の脚本家頭脳と
オスミ先生の演出力です。


オスミ先生の演出の入り口は
「自由」です。
役柄になることを押しつけられませんでした。
ある期間まで命令も指示も強制も
ありません。
役者は、その役になりきるとか、
どう演じるかをあまり考えなくてもいいようでした。

役者が努力して
その役に近づくのではなく、
「日々ケイコ」の役がすんなり
自分の身体の中に入ってくるまで、
ひたすら練習の繰り返しでした。
練習あるのみでした。



けれどもケイコは未熟なまま、
初めての舞台、地区大会に臨みました。
力だけで押し切った形でした。
(後から思えばあまりにも恥ずかしい演技です)

「演出が入っていない。」
という陰口も耳に入りました。
(オスミ先生たちはこの時すでに
頂点を頭に描いていてケイコを一歩ずつ
成長させていく方針だったのでしょうか)


その日帰宅して
ビデオで初めて自分の演技を見て
ケイコはショックのあまり寝込みました。
(二度と芝居なんかやらない。甘かったんだ、私。
もう嫌・・・)


翌朝、結果を聞きに行く気力も体力もなく
「絶対に行かない」と主張しました。
母親の持つ受話器の向こうから
オスミ先生の大きな声がもれてきます。


「いぐりん先生といつも話して今日まできたんです。
この子をもし次の舞台に立たせられなかったら
それは台本や私たち顧問の責任ですね。と。」

ケイコが代わりました。
「ケイコさんよく頑張ったよ。体は大丈夫?
今日はゆっくり休んでいいよ。」
といういつものオスミ先生の優しさを
期待していたのですが、
いきなり別人格のオスミ先生登場でした。
怒られました。

「何ッ!?演技に自信がない!?
少々の失敗が何やのッ。これからやッ。
大女優やないんやからこれでえぇんや。
来ーーーーーいッ!結果はどうであれ、
自分で聞くんやで!」
(はぁ・・・仕方ありません。行きますか・・・)


一人では電車に乗れないほど
ふらふらの身体のケイコは父親の車のシートに
深く沈んで、
そろっと会場まで運ばれて・・・
オスミ先生たちと合流しました。

(ニコッ。ニコッ。)
オスミ先生の自信ありげな表情を見て
おや?と、思いました。どうして?




皆さんは、叱られて嬉しかった事件って
ありますか。
ケイコはこの日です。

台本作り

2006-04-06 | 第8期部員の活動日誌
滝二は特有の台本の作り方をします。
それが「いぐりんとその仲間達」の秘密ですが、
この件は省略します。
今までのフーミンのブログで
若干わかる部分はあったと思いますが
ケイコの立場ではお話できませんので・・・
ごめんなさい。


滝二の演劇部は民主的で
何でも意見や考え方を喋る場はありますし、
友好的です。
顧問の先生はその生徒が芝居経験がゼロであっても
一人前に扱っていろんな質問をして下さいます。
興味、関心、何をやりたいか、
どういう役をやりたいかなど。
そのおかげでムニャムニャ・・・(略)→滝二特有の台本完成→初舞台・・・
となっても、いきなり芝居はうまいわけです。

交通事故防止のキャンペーンでも
初舞台のあや、フーミン、茶子ちゃんたちは
ケイコなんか食われてしまいそうなくらい
熱演ですから。
(みんな良いライバルですよ)



さて、去年
高校演劇コンクールに向けて
どんな役がやりたいかと聞かれた時
“高校生”だけはやりたくないと思いました。
生意気ですが。

高校生が、舞台で敢えて“高校生”を演じるだけの
必然性があるかどうかという点と、
もし高校生が主人公ならば
台本に相当しっかりした主張が必要だと思いました。
その場合、何をテーマにするのか。
この問題の多い現代の中で
どうテーマをしぼってゆくのか。
又、高校生を演じてみせるだけの
特別の価値があるかどうか・・・


役者は人より違った『特価』を
持っても良いと思うしそれが許されると思います。
滝二では芝居経験がゼロであれ、「やろうッ」
と決心した時点で立派な役者として扱われます。
(自信を持ってきますから)


あの時私は、私じゃない全くの別人に
舞台の上でなりたかったのです。
ケイコは舞台という「一瞬の生」により、
輝きたいと思いました。
“嘘”をまるで“真実”のように
“生きて”みたかったのです。


そのために、
台本作りにはずいぶんと時間がかかりました。




今、部活はオフに入っていますが
部員はそれぞれに次の滝二祭のための活動を
自宅でしています。


そして、滝二祭の向こうの全国大会のことも
視野に入れて、各自が自分を磨いていますし、
満足して頂けるだけの舞台にしたいと
部員一同が顧問の先生方のもと
熱い気持ちです。

こっちへおはいり

2006-04-05 | 第8期部員の活動日誌
交通事故防止のキャンペーンに
参加しました。
セリフが前日に大幅に変わる
ということもありましたが、
私たちはそんなことでめげません。


むしろ熱い役者根性を、皆、
見せることが出来たのではないでしょうか。
なんせまだまだ若いですからね、
私たちやれば出来るんですよ。




あえて、私の芝居については
コメントなしでいきますが、
フーミン、あや、お茶子ちゃん、
本当に良く頑張っていたなぁと思いました。


見て頂いた方に、
「初舞台には見えなかった。」
というご感想も頂きましたし、
一緒に演じている側としてもそう思いました。

お疲れ様です。




反省会で、
いぐりん先生が落語の講義をして下さいました。
これから私たちは、次の文化祭に向けて
練習を始めていくわけです。




フーミン、次は滝二祭の落語に向けて・・・。
良いライバルになりそうです。負けないよ!!
と思う今日この頃です。

その2 出囃子について

2006-04-03 | 脚本家よもやま噺
全国大会の打ち合わせも済み、明日は交通事故防止のキャンペーン参加を控え、
桜咲く四月もまた多忙である。

一月は「往ぬ」二月は「逃げる」三月は「去る」と、慌しく過ぎ去ったものの
その中でどうやら全国大会への出場はこの演劇部関係者の生活スタイルをも変えつつあるようで、これはやはり嬉しい悲鳴と言わねばなるまい。
例年この時期は滝二祭に向けての脚本が決まって、ひたすら稽古に打ち込んでいた
ものだ。もちろん、今年も稽古漬けではあるのだが、どこかしら『違う』のである。このことを一番肌で感じておられるのは、創部されたおスミ先生ではないだろうか。

喜怒哀楽、さまざまを受け取るには
「卯月」
という名は可愛らしすぎる。
ひょっとしたら
「疼き(うずき)」かもしれないし
「嘔吐き(えづき)」かもしれないが、それでは余りにも後ろ向きなので、
新たな役者が誕生する
「卵月」とでもしておくとしよう。


さて、今回は日々ケイコ・マナブの出囃子について語ろうと思う。
そもそも寄席には「出囃子」と「受け囃子」、それに「儀礼囃子」と
呼ばれるものなど様々なお囃子がある。
儀礼囃子などはあまり耳にする機会がないかもしれないが、
寄席の開演前や中入りなどで聞くことが出来るので、個人的な意見ではあるが
ぜひ寄席に足を運んで欲しい。
特に私作の落語の上演日に。

軽快なリズムと風情を合わせ持つ、この出囃子は
「春藤」
という名前がついている。
へぇ、出囃子にも曲名があるんだと思われた方もいるかもしれない。
特に噺家にはそれぞれ一人前になれば、それぞれに決まった出囃子がつく
ことになる(たいていの場合、噺家自身が選ぶようだ)。
例えば桂米朝師匠だと「三下がり鞨鼓(さんさがりかっこ」
故桂枝雀師匠は「昼飯(ひるまま)」
故桂文枝師匠は「菖蒲浴衣(あやめゆかた)」
故古今亭志ん朝師匠は「老松(おいまつ)」
といった具合だ。

だから、好きな噺家の出囃子が聞こえたときに
「おっ、次は○○師匠の出だな」と
寄席通などは分かるようだ。

色物(落語以外の芸人さんを、朱塗りでメクリに表記することから
「色物」と呼ぶ)の師匠連も決まった出囃子があるが、その多くの場合
TV放送や企画によってその形態を変えるため、耳にすることは私の経験上
少ない。

では「春藤」は、現在どの噺家の出囃子か、ということになるが、
これは上方では「桂つく枝」師匠の出囃子である。

なぜ、「上方では」と書いたかといえば、同じ出囃子を
東西、江戸落語・上方落語の噺家がそれぞれ持つことがあるからだ。
簡単に言えば、「春藤」をつく枝師匠以外にも東京で使っている噺家さんが
いるということになる。
実際に、「野崎」という曲を使っている噺家が
東西交流落語会などで一緒の舞台で演じることになって、格下の片方が
遠慮して別の出囃子を使った、という話もある。

では、何故「桂つく枝」師匠の出囃子を使用したか、だが
多くの関係者は「脚本家の落語を演じてくれた噺家だから」と
思っているようだ。
確かに、つく枝師匠は「脚本家の落語を演じてくれた噺家」ではある。
懇意にしてくださっている上方落語家で、私自身大ファンの噺家だ。
ちなみに宣伝でも何でもない・・・ことはないのだが、
『FAX幽霊』という拙作を2005年夏に演じてくださっている。

だが、出囃子となると、芝居の雰囲気とも合うかどうかは演出次第であるし
そこまでのゴリ押しはいくら私でもしない。
というより出来ない。
とはいえ候補には推した。
しかし、私もケイコも当時のマナブも、一同に推したのは
「宮さん宮さん」
という出囃子であった。
ところが、いつの間にか「春藤」で芝居の練習が続き、定着し
今では「春藤=ケイコ・マナブの出囃子」となってしまった。
記憶が正しければ、初期のころの何かの練習のときに
「宮さん宮さん」の音源がなく、「春藤」を使った結果、それ以降
それをかけて練習が続いたように思う。
これが真相である。
結局「宮さん宮さん」の出囃子は作中に一度も登場しないが
機会があればどこかで耳に触れてもらいたい曲ではある。

さらに書けば、桂つく枝師匠に「師匠の出囃子、使わせてもらっています」
と伝えると、我がことのように喜んで下さったので、こちらまで嬉しい話である。




ざっと、読み返してみたが、公演日前に書く分量ではない気がする。





事故フセグ・ヨケコ(交通安全キャンペーン)

2006-04-02 | 第8期部員の活動日誌
こんばんわ。お茶子です。
昨日、全国大会の打ち合わせ会&抽選会を無事終えました。
合宿等、連日のハードスケジュールで少し疲れを出している部員もいますが、キャンペーンまではつめて、頑張っていきますよ~

さて、今日は讀賣新聞の記者の方が取材に来られました。
基礎練をしっかり済ませ、打ち合わせ会準備で大量の書類が散らかった部室を、少しでも美しくして、記者の方をお迎えしました。4/4のキャンペーンで発表する『事故フセグ・ヨケコのストップ・ザ・交通事故』という劇を見ていただきました。

この劇は、ブログでもおなじみのケイコ、フーミンが漫才師、部員のアヤが今時の若者役、私(お茶子)はおばさん役で登場します。今回は、趣旨をふまえ、お客さんに交通安全の大切さをユーモアで伝えることが出来たらなと頑張っています。交通安全に興味を持っていただき、このキャンペーンに参加することで、地域に貢献するのが目的です。

今日の取材の記事は、4/4頃、新聞に載るとのことなので、読んでいただければ嬉しいです

高校生は全員役者の練習で手いっぱいで、今回もオフシーズンの中学生に助けられています。大道具の障子貼りや音響、梱包作業をしてくれます。いつもありがとうございます

全国大会打ち合わせ会

2006-04-01 | 第8期部員の活動日誌
ケイコです。
本日、4月1日は全国大会の打ち合わせ会でした。
京都へ行ってきましたよー!


打ち合わせが無事に終わった後、
私たちは石清水八幡宮に参拝しました。
絵馬には
「日本一」の文字とともに
一人一人の名前を書きました。



今日は(当たり前ですが)
全国から選ばれた高校が集まり
ホントに全国大会が始まるんだ・・・!
と、ケイコはちょっと緊張していました。
大丈夫かな。




大丈夫です。京都の皆さんが優しかった!
応援して頂いてありがとうございます。
多々おもしろいことが起きました。
その詳しい話は、フーミンや茶子ちゃんに任せちゃおう!(え




報告です。
滝川第二高校の上演は、8月4日(金)の
トップバッターです。精一杯がんばります。
皆様、よろしくお願いします!