うちの庭には、毎年ネギのような植物が花を咲かせる。
わが家は中古物件に手を入れたものなので、前のオーナーが植えていたものではないかと思われる。
ひで氏です。
一度、知りたくて調べたことがあるのだがもしかすると「チャイブ」というハーブなのかもしれない。
しかし匂いで見るとやはり普通のネギのような気もするし、よくわからない。
そのため未だかつて一度も収穫して食べたりしたことはない。
ネギはべつに嫌いではない。しかし積極的に食べたいとも思えない理由がある。
30年以上前の話だ。
私ひで氏は石川県金沢市に引っ越したばかりだった。
大阪から引っ越した私はまず金沢の言葉に驚き、困惑した。しかし語尾を伸ばす独特の方言はまるで音楽のようで、聞こえるままに真似をしていたら半年ほどで周囲の人も「この子は金沢ネイティブの子では」と驚くぐらい話せるようになった。
それは小学3年生だった私ひで氏がラッキーなことに数人のとても仲の良い友達に恵まれたからだ。
転校先の小学校で、すぐに仲良くなった友人たちと文字通り毎日毎日遊ぶことで、私は一気に金沢弁をマスターしていった。
当時住んでいた金沢市のある町は本当にのどかなところで、田んぼがたくさんあり、
遊び場といえば近所のお寺、そこに子供だけで集まり日が暮れるまで毎日遊んでいた。
もちろん、遊びのネタは鬼ごっこ、缶蹴りやかくれんぼだ。
余談だが雪国の金沢では冬になるとここに雪投げやミニスキーの様な遊びが加わる。とにかく自然の中でよく遊んだものだった。
そしてあるとき、いつものようにかくれんぼをするということになった。
鬼になった友達をびっくりさせてやろうと、私ひで氏は今までの自分の中で無意識に引いていた「かくれんぼ行動範囲」の線を越えた。
そして「ここならきっと誰にも見つからない」であろう畑の中に足を踏み入れたのだ。
それは緑の茎が太く力強く育った、ネギ畑だった。
しゃがめばすっぽりと身を隠せるネギに囲まれて、これはいけると判断した私ひで氏は、きっとこのまま最後まで逃げ切れると確信した。
--------------------------------------------
どのくらいの時間がたっただろう。
ゲームに全く動きがないのが変だと思った頃に、自分が鬼の「もういいかい」という呼び声までも聞こえないぐらいのところまで来ていたのだということに気付いた。そんな場所から、仲間の姿が見えるはずもない。
もしかしたらもうかくれんぼどころではなくなりみんなで自分を探しているのでは…
はたまたもうすっかり遊び終わって自分のことなど忘れてみんなで帰っているのでは…
途端に不安になった私は、もう自分の立場などどうでもよくなって、「おーい!」と大声で叫ぼうとした。
異変に気付いたのは、その時だった。
叫んだはずのその言葉が、全く聞こえない。
いや、違う。声が出ていないのだ。
もう一度叫ぼうとした。しかし大きく息を吸い、声を出そうとした瞬間、喉がぎゅうっと締まるような感覚がしてやはり声が出ないのだ。
「声が出なくなった」とは思わなかった。
「声をうばわれた」と思った。
なぜそう思ったのか。実は理由がある。は?とお思いかもしれないが、
それはあのオランダの有名な絵本の主人公、ミッフィにある。
ミッフィファンには申し訳ないが私ひで氏は幼いころからあのミッフィというものに底知れぬ恐怖を感じていた。
トレードカラーのオレンジの異様なわびしさ、そしてなんといってもあのバツ印の口。小さい頃、誰に何を言われるでもなく私は彼女のことを
「何か大変なことをやらかして魔女に声を封じられたうさぎ」の悲しみの物語だと信じて疑わなかったのだ。
かくれんぼの勝利のために「普段超えてはいけない境界線を越えた」という後ろめたさがあった私にとって、正直これは逆に合点の行く結果だった。
この頃には日が暮れて夕焼けに染まったオレンジ色の空も、完全にミッフィーの世界とのシンクロした。
「僕はかなしみうさぎのように声をうばわれたのだ…!」
突如、さっきまで自分を隠し包み込んでくれていた背の高いネギが急に、声を奪った悪の遣いのように見えた。
カラスが方々で鳴き、泣き虫だった私はその場に座り込んだまま思い切り泣いた。
しかしその泣き声も出ない。
その後どうしたのかは、あまり記憶がない。おそらく一心不乱に家の方角に逃げ帰ったに違いない。
肝心の喉は、翌日には治っていたように思う。
今でも青々と茂るネギ畑を見ると喉がきゅっと締まる気がする。
この不思議な体験、今調べてもネギは「喉に良きもの」という情報こそいくらでも出てくるが、
ネギで声が出なくなるというものは見る限り無い。
ミッフィならあるいは、このネギと声の間の秘密を知っているのかもしれない。
わが家は中古物件に手を入れたものなので、前のオーナーが植えていたものではないかと思われる。
ひで氏です。
一度、知りたくて調べたことがあるのだがもしかすると「チャイブ」というハーブなのかもしれない。
しかし匂いで見るとやはり普通のネギのような気もするし、よくわからない。
そのため未だかつて一度も収穫して食べたりしたことはない。
ネギはべつに嫌いではない。しかし積極的に食べたいとも思えない理由がある。
30年以上前の話だ。
私ひで氏は石川県金沢市に引っ越したばかりだった。
大阪から引っ越した私はまず金沢の言葉に驚き、困惑した。しかし語尾を伸ばす独特の方言はまるで音楽のようで、聞こえるままに真似をしていたら半年ほどで周囲の人も「この子は金沢ネイティブの子では」と驚くぐらい話せるようになった。
それは小学3年生だった私ひで氏がラッキーなことに数人のとても仲の良い友達に恵まれたからだ。
転校先の小学校で、すぐに仲良くなった友人たちと文字通り毎日毎日遊ぶことで、私は一気に金沢弁をマスターしていった。
当時住んでいた金沢市のある町は本当にのどかなところで、田んぼがたくさんあり、
遊び場といえば近所のお寺、そこに子供だけで集まり日が暮れるまで毎日遊んでいた。
もちろん、遊びのネタは鬼ごっこ、缶蹴りやかくれんぼだ。
余談だが雪国の金沢では冬になるとここに雪投げやミニスキーの様な遊びが加わる。とにかく自然の中でよく遊んだものだった。
そしてあるとき、いつものようにかくれんぼをするということになった。
鬼になった友達をびっくりさせてやろうと、私ひで氏は今までの自分の中で無意識に引いていた「かくれんぼ行動範囲」の線を越えた。
そして「ここならきっと誰にも見つからない」であろう畑の中に足を踏み入れたのだ。
それは緑の茎が太く力強く育った、ネギ畑だった。
しゃがめばすっぽりと身を隠せるネギに囲まれて、これはいけると判断した私ひで氏は、きっとこのまま最後まで逃げ切れると確信した。
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どのくらいの時間がたっただろう。
ゲームに全く動きがないのが変だと思った頃に、自分が鬼の「もういいかい」という呼び声までも聞こえないぐらいのところまで来ていたのだということに気付いた。そんな場所から、仲間の姿が見えるはずもない。
もしかしたらもうかくれんぼどころではなくなりみんなで自分を探しているのでは…
はたまたもうすっかり遊び終わって自分のことなど忘れてみんなで帰っているのでは…
途端に不安になった私は、もう自分の立場などどうでもよくなって、「おーい!」と大声で叫ぼうとした。
異変に気付いたのは、その時だった。
叫んだはずのその言葉が、全く聞こえない。
いや、違う。声が出ていないのだ。
もう一度叫ぼうとした。しかし大きく息を吸い、声を出そうとした瞬間、喉がぎゅうっと締まるような感覚がしてやはり声が出ないのだ。
「声が出なくなった」とは思わなかった。
「声をうばわれた」と思った。
なぜそう思ったのか。実は理由がある。は?とお思いかもしれないが、
それはあのオランダの有名な絵本の主人公、ミッフィにある。
ミッフィファンには申し訳ないが私ひで氏は幼いころからあのミッフィというものに底知れぬ恐怖を感じていた。
トレードカラーのオレンジの異様なわびしさ、そしてなんといってもあのバツ印の口。小さい頃、誰に何を言われるでもなく私は彼女のことを
「何か大変なことをやらかして魔女に声を封じられたうさぎ」の悲しみの物語だと信じて疑わなかったのだ。
かくれんぼの勝利のために「普段超えてはいけない境界線を越えた」という後ろめたさがあった私にとって、正直これは逆に合点の行く結果だった。
この頃には日が暮れて夕焼けに染まったオレンジ色の空も、完全にミッフィーの世界とのシンクロした。
「僕はかなしみうさぎのように声をうばわれたのだ…!」
突如、さっきまで自分を隠し包み込んでくれていた背の高いネギが急に、声を奪った悪の遣いのように見えた。
カラスが方々で鳴き、泣き虫だった私はその場に座り込んだまま思い切り泣いた。
しかしその泣き声も出ない。
その後どうしたのかは、あまり記憶がない。おそらく一心不乱に家の方角に逃げ帰ったに違いない。
肝心の喉は、翌日には治っていたように思う。
今でも青々と茂るネギ畑を見ると喉がきゅっと締まる気がする。
この不思議な体験、今調べてもネギは「喉に良きもの」という情報こそいくらでも出てくるが、
ネギで声が出なくなるというものは見る限り無い。
ミッフィならあるいは、このネギと声の間の秘密を知っているのかもしれない。
このような豊かな体験たちが
その人となりをつくっているのだなと
あらためて納得します。
その魅力的な声へと
力を与えたのは
ネギだったとは
なるほどあの時いまの声を与えられたという考え方!ネギ食べれそうです!