浦上玉堂 2011年06月12日 07時14分06秒 | パソコン (1745-1820) 江戸後期の南画家。名は考弼(こうひつ)、字(あざな)は君輔、通称を兵右衛門といい、穆斎(ぼくさい)玉堂と号した。岡山藩の支藩鴨方(かもがた)池田藩士の家に生まれ、7歳で父を亡くし跡目を相続。玉堂は主君池田政香(まさか)を敬愛し、その夭折(ようせつ)(1768,25歳)に際しては大きな打撃を受けたといわれる。武士としては大目的にまで上ったが、43歳のときは罷免され閑職に . . . 本文を読む