<京成電鉄寛永寺坂駅>63年前廃止、駅舎など奇跡的に現存
毎日新聞 2月8日(月)12時8分配信
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東京・上野と成田空港を結ぶ京成電鉄(本社・千葉県市川市)の63年前に廃止された地下駅の駅舎や階段が当時のまま残されていることが分かった。毎日新聞の取材を同社が特別に許可し、“タイムカプセル”が開いた。私企業の産業遺構は経済状況の変化で姿を消すのが一般的なため、奇跡的な事例だ。
【旧寛永寺坂駅の内部を写真でじっくり】
遺構が確認されたのは東京都台東区の旧・寛永寺坂駅。1933(昭和8)年12月に日暮里-上野公園(現・京成上野)間2.1キロの開通に合わせ、地下区間に開業した。45年6月に日暮里-上野公園間は運輸省(当時)が強制運休とし、施設は国の管理下に。寛永寺坂駅の上りホームはネジの軍需工場となり、下り線には鉄道省の客車が引き込まれた。鉄道車両を空襲から守るための防空壕(ごう)になった可能性がある。
敗戦後の46年に同駅は営業を再開したが、47年8月に再び休止。53年2月に廃止された。同年4月、京成は駅舎を倉庫会社に賃貸した。
昨年末、倉庫会社が退去して施設が同社に戻った。地上部の木造平屋の駅舎が現存し、事務室や切符売り場が残る。15段の階段を下りると連絡通路に至り、上下線ホームへ下りる29段の階段が2カ所ある。上野へ、成田へと急ぐ電車のごう音がわき上がる。地下の壁はモルタルとしっくいで仕上げられ、都心乗り入れを果たした誇りが感じられた。公開の予定はなく、活用方法も未定だ。【鶴谷真】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160208-00000024-mai-soci
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鉄道遺産として、ぜひ残して(保存して)ほしい。