竹中氏陣屋の記事は→こちら
伊吹山系の東端に位置する標高402mの菩提山頂に築かれた東西約150m、南北約300mの西美濃最大級の山城である。七つの曲輪と多くの小作平地、堀切、竪堀などが巧みに配置されている。
『美濃国諸家系図』によると応永20年(1413)に岩手弾正左衛門頼重が「岩手城」に住んでいたとしているが、「菩提山城」の名前が見える最も古い記録は、天文13年(1544)美濃守護職土岐頼芸が岩手四郎に宛てた書状に見える。
永禄元年(1558)竹中遠江守重元は、岩手氏を攻略して岩手付近一帯や福田、長松(現大垣市)をあわせた6千貫の領主となり、翌年ここに城を築いた。
重元の子、竹中半兵衛重治はこの城に住んでいたが、永禄7年(1564)稲葉山城を攻略し、その後織田信長、豊臣秀吉に仕え天正7年(1579)に播磨三木城(兵庫県三木市)攻めの陣中で病没した。
重治の子重門は菩提山城を下り、岩手に陣屋を構えた。、、、現地案内板より
場所は岐阜県不破郡垂井町岩手
名神関ヶ原インター下車、国道21号線から県道53号線にて垂井町へ入り「長畑」の信号を左折し県道257号線を進み、竹中氏陣屋(現在の町立岩手小学校)背後の「菩提山」山頂を目指します。
現在では「菩提山城跡ハイキングコース」として三つのルートが整備されています。
八幡神社にある「大手道入り口」(山頂まで1950m)と、岩手小学校裏にある「御茶屋入り口」(山頂まで2036m)は、しばらくすると合流し「大手山道」となります。
また「菩提入り口」(山頂まで1350m)から白山神社を経て登る「菩提山道」も最終的には「大手山道」と合流します。
※菩提山城散策マップ(垂井町)より
大手道入り口
菩提寺禅幢寺の隣にある「八幡神社」に登り口があります。
自分は「菩提入り口」が最短コースと判断し、ここから登ることにしました。
竹中氏陣屋手前の町立岩手小学校に向かう交差点を左折します。
正面奥に見える山の右側が菩提山城。
登り口がある菩提寺は山の左側です。
農道の踏切を越えたら三叉路がありますので山側の道を進むとカーブの手前に空き地があり「ハイキングコースイラストマップ」を描いた大きな看板が立っています。
※参考
このカーブを曲がった先に菩提寺があります。
登り口は、この駐車場から菩提寺側に向かうカーブの所にあります。
山の法面にある階段を登っていきます。
、、、と、ここまでが通常の正しいルートですが、、、
自分はいきなり道を間違えました。。。
駐車場から直接山の中に向かう凄く広い道があって、そこに吸い込まれるように入ってしまったのです。
※ヤマップ3Dによる行動履歴
登山口から右側にグルッと曲がって、元のコースに戻っているのがわかります。
車1台が通れる林道は、農業用ため池を過ぎてから籔のようになり少々不安になってきました。ハイキングコースにも関わらず案内板もないし、トホホ
歩き始めてから17-8分ほど経った頃、林道と合流しました。
ここで、この林道の反対側から登ってきた紳士と遭遇。行き先は同じと聞き凄く安心しました
この地点は本来の「菩提入り口」からのルートの合流点でもあり、山頂へ向かう階段に案内看板もありました。
ちなみに帰りのルートは
この分岐から正規の「菩提寺・白山神社」方向へ下りていきました。
行きの間違ったルートはわりと緩やかな坂だったのですが、正規のハイキングコースは急な坂の連続です。階段が整備されていますが登り始めていきなりこの坂では、後が大変だったことでしょうね。
下りは膝にきますね
ガクガクしながらようやく白山神社につきました。
境内を抜けると本来の「菩提山口ルート」入り口に到着。
駐車場にたどり着いたら登山客の車がいっぱい止まっていました。やっぱり人気のハイキングコースなんですね。
さて、話を戻しましょう。
本来のハイキングコースに合流し、いよいよ山頂を目指して登ります。
合流地点から急な階段を登ること約20分、今度は大手道からの合流地点です。
ここは視界が急に開けて、岩手の城下町が一望できます。
林業関係者なのか送電線の保守なのかわかりませんが、樹木の伐採作業が行われていました。チェーンソーや燃料などたくさんの装備を背負ってここまで登って来たんでしょうね。ご苦労が身に染みてわかります。
さて、この最終合流地点からさらに登りの階段は続きます。
大手山道
整備されているとはいえ、菩提寺からのコースは急峻な階段の連続です。
そして、いよいよ城域
大手山道合流地点から登り始めて約15分
ついに城郭遺構発見!
大手山道の第一関門と言うべき堀切と土橋です。
※縄張図⑨
、、、、菩提山城、登城編はここまで
次回は城域の遺構について詳しく報告します。
参考:菩提山城散策マップ(垂井町観光協会)→こちら
【菩提山城】
《》
名称(別名);ぼだいさんじょう(岩手城)
所在地;岐阜県不破郡垂井町岩手
城地種類;山城
標高/比高;401m/335m
築城年代;永禄2年(1559)
廃城年代;慶長5年(1600)
築城者;竹中重元
主な改修者;竹中氏
主な城主;竹中氏
文化財区分;垂井町指定史跡
主な遺構;曲輪、竪堀、堀切、土橋、土塁、馬出
近年の主な復元等;
※出典、、、垂井町観光協会HP、現地案内板、その他
地図;
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