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黒峰城@石川県珠洲市宝達町春日野 令和四年(2022)6月18日

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黒峰城は珠洲市最高峰の宝立山に占地する。宝立山は宝峯山、宝立山(丸山)、黑峯山の三峰から成り、うち黑峯山の山頂部に築かれている。古来より内灘と内陸集落を結ぶ黒峰往還、法住寺道、柏原道、白米坂道、南山道が交差する交通の要衝で、すべての道が城域に接するように通り、人馬の往来を監視していた。
 城主は宝立山周辺に拠点を持っていた豪族阿部判官義宗と伝わるが謎が多い。天正中期には上杉謙信の武将由井浄定が置かれたが、織田方の前田利家に攻められて落城したと言われている。
 主郭西側の斜面に七つ塚と呼ばれる場所があり、本城落城時の死者を弔ったとか、金品・武具を埋納した塚などという伝承があり、たびたび盗掘されて現状を留めていない。ここは畝状空堀群という上杉氏城郭で多用された防御施設で、上杉氏が奥能登を制圧していた天正5~8年(1577~80)頃に築城された可能性が高い。
 主郭は土塁で囲まれ南北に虎口が設けられている。単純な平虎口だが防御を高めるために櫓台を併設している。
 城跡からは法住寺がある東方の飯田湾周辺を望むことができ、天候の良い日は珠洲を代表する見附島(軍艦島)が見える。、、、石川城郭カード添付資料より


場所は石川県珠洲市宝達町春日野
のと里山海道「のと里山空港IC」下車、県道303号線を珠洲方向に走る。途中「のと里山空港」「道の駅桜峠」「花の寺・平等寺」などを過ぎると、「松波」分岐があるがこれを直進する。いよいよ珠洲市に入ると国道249号線に合流するので珠洲・飯田方向に北上。国道249号線は「金峰寺」交差点で分岐して海岸回りとなるが、直進して249号線と並行して走る山側廻りの道を進む。川を渡って約1.4㎞先の県道280号線を左折。ここには「珠洲市一般廃棄物埋め立て処分場」の看板があります。



分岐から約4㎞先の埋め立て処分場までは、舗装された一本道なので迷うことはありません。



途中、風力発電の巨大な扇風機wが目の前に現れビックリしますが、宝立山系にはこうした風力発電機がたくさん設置されています。(のと里山空港街道からも見えます)



最後の風力発電を過ぎると県道280号線は一気に狭くなり、林道の様相を呈します。



程なくカーブミラーのところに「黒峰城跡入り口」の碑がみえてきました。道の脇に僅かな退避場が設けられており駐車することができます。



反対側から見ると、今通り過ぎてきた風力発電施設が見えます。



案内看板から先は一面の藪、一歩を踏み出すには相当の勇気が必要です💦



藪を抜けると、ここは整備された街道だったことに気付きます。
古来より内灘と内陸集落を結ぶ「黒峰往還」です。



登り始めて10分、上戸知ろう会により設置された「黒峰城登り口」分岐に差し掛かりました。
右は「黒峰往還」
左は城跡に至るルートです。



途中には急な山道が続きロープが設置されていますが、これも同会によるものでしょうか。ありがたいことですね。



分岐から約3分、いよいよ城跡に到着。


ここで当日の行程を縄張り図で示します。
佐伯先生著、能登中世城郭図面集より(ブログ管理者加筆)

城の南東側から侵入し、B郭(図面中)からA(主)郭へ、さらに北側の曲輪を抜け切岸を下って、西側の「法住寺道」を通り畝状空堀群からB郭に戻るという、緑色の矢印と線で描いた見学ルートです。




「B郭」

登城道からB郭に取り付くとすぐに窪みがありました。
ここは城の南東端にあたります。
井戸跡



井戸跡と登城道



B郭は主郭Aの南側に位置し主郭より面積は広く、湾のように開いた西側の谷筋を通る「法住寺道」と接しています。
平坦面



上段平坦面



城址碑



土塁



黒峰城跡からの唯一の眺望
B郭南端



天候の良い日は珠洲を代表する見附島(軍艦島)が見える。→こちら

地平線中央の高層ビルのような突起物が「見附島(軍艦島)」
6月18日(土)に訪れましたが、翌日の19日(日)に発生した震度6弱の地震で一部が崩落し、現在は島に近づくことはできません。
一日違いで被災は免れましたが、山城で土砂崩れに遭遇したらと思うとゾッとします。


宝達山系に設置された風力発電




「A(主)郭」

主郭下南側小曲輪






南側虎口



南虎口櫓台



東面土塁



北側虎口



北側虎口櫓台




北端切岸



北端に築かれた堀切



街道分岐
古来より内灘と内陸集落を結ぶ黒峰往還、法住寺道、柏原道・白米坂道・南山道が交差する交通の要衝で、すべての道が城域に接するように通り、人馬の往来を監視していた。



ここから主郭下西側の法住寺道を通って折り返します。




「畝状空堀群」(図面⑧)
主郭西側の斜面に七つ塚と呼ばれる場所があり、本城落城時の死者を弔ったとか、金品・武具を埋納した塚などという伝承があり、たびたび盗掘されて現状を留めていない。
ここは畝状空堀群という上杉氏城郭で多用された防御施設です。







南西曲輪
ここに木戸を設けて関所の機能を持たせ、法住寺道を通って南下する敵を畝状空堀群で強制的にここへ誘い込み、上段の主郭や副郭から狙い撃ちしたとものと考えられているそうです。



南西尾根堀切



竪堀




奥能登における畝状空堀群は上杉方だった
「飯田城」やその支城と思われる
「萩城」
にしか存在しない貴重な遺構です。



6月18日(土)に珠洲市を訪れ、翌日の19日(日)に発生した震度6弱の地震を一日違いで免れましたが、被災した皆さんに心よりお見舞い申し上げます。
あみの3ブロブ管理人 あみの3


ー・ー・ー〔いしかわ城郭カード〕ー・ー・ー

【黒峰城】
《阿部判官義宗が居城した能登内陸交通の要衝》



所在地;石川県珠洲市宝達町春日野
名称(別名);くろみねじょう
城地種類;山城
標高/比高;436m/360m
主な遺構;曲輪・土塁・堀・虎口
規模;230m×130m
主な城主;阿部判官義宗、由井浄定(上杉謙信家臣)
時期;南北朝・戦国
文化財区分;
地図;
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