鳥居平の東に連なる丘陵尾根上には、室町時代に築かれた山城の遺構が、東西数百メートルにわたって、ほぼ原型のままで残されている。
この鳥居平城に関しての文献史料は非常に少ないのだが、史跡全体は中世の築城様式特有の、土塁を巡らす堅牢な城郭が十カ所以上もあり、峻険な堀切と呼ぶ空堀も数カ所に設けられているなど、広大な城であったことが偲ばれ、滋賀県内でも屈指の山城であったことが確認できる。
その昔、奥保津と呼ばれた今の桜谷全体の領主であった小倉氏が、この城に深く関係したと考えられ、この城の城主は寺倉氏であったと伝えられているが、歴史的経過などは不明のままである。、、、現地案内板より
場所は滋賀県蒲生郡日野町鳥居平、
名神高速「八日市IC」下車、国道421号で「永源寺」方向へ進み「御園」交差点で右折し、国道307号に入ります。途中「中在寺」の交差点を左折すると『鳥居平城』ですが、自分はそのまま直進し『中野城』の帰りに『鳥居平城』に向かったので、道案内は逆方向からとなります。
中野城から日野商人街道にて国道307号線を右折(八日市IC方向)、「大谷」交差点右折、しばらくして突き当たりの交差点を左折、県道508号線を鳥居平方向に進みます。
さらにY字路を右折して集落に入ります。
大きな看板が目印です。
大きくカーブした先に「願成寺」や公民館が有ります。その向かい側、山に向かって路地を登り、
突き当たりの民家の庭先に、登城口の案内看板があります。
帰りは、来た道と反対に集落を抜け、Y字路を左折して県道508号線に戻ります。508号線を右折して「中之郷」交差点で左折、県道525号線に入ります。そのまま道なりに進むと国道307号線「中在寺」交差点に出ます。右折すれば「八日市IC」方向となります。
遺構は佐久良川左岸段丘の尾根筋に北西から南東に約700mにわたり築かれ、約20カ所の曲輪や土塁、堀切などが現存し、城域は大きく3つの遺構群に分かれています。
※【近江の山城を行く70(鳥居平城跡概要図)】より引用
◆北西遺構群は、縄張図Ⅰ、Ⅱ、Ⅲの大きな曲輪が設けられ、高さ1~3mの土塁で取り囲んでいます。
◆城域中程の遺構群は、Y字型に尾根が分岐する位置には、東側の小曲輪群と、西側のⅣ曲輪があり主郭と考えられています。
Ⅳ曲輪は3m以上の土塁で囲まれ、他の曲輪では見られない食い違い虎口を設けています。
◆城域南東遺構群は、縄張図Ⅸ他大規模な曲輪で構成されています。
残念ながら籔が深く、道迷いの恐れがあったため断念しました
案内看板に従って進むと、いきなり大きな堀切に入り込みました。縄張図ⅡとⅢの間を分断する堀切です。
この先どちらに進むか案内看板がないので迷いましたが、左手奥に手摺りのロープが有るのを発見。
そのロープをたぐって籔を抜けると大きな作平地に到着しました。(標高218.8m)
案内看板と背後の土塁
休憩所のような椅子も置かれ、整備された様子がうかがえます。
虎口のような土塁
北西端からは数メートル下に作平された場所が見えました。
足場が悪く下に降りませんでしたが、縄張図のⅠにあたる曲輪だったのでしょうか?
曲輪Ⅰから戻り、堀切を探索しました。
堀底を西から東の方向に歩いてみました。
東端は佐久良川の段丘崖となっており、尾根を分断する規模です。
縄張図によれば、堀切の両側には小さな曲輪が点在していますが、どこでどのように区切られているのかハッキリとはわかりませんでした。
まるで切り岸のような切り立った場所。この上には曲輪が構えられています。
堀切の西端、集落側。
堀切から小曲輪を抜け、曲輪Ⅲへ向かいました。
斜面に取り付けられた、細いあぜ道のような小路を登ります。
土塁の切れ間から作平地が見えました。
ここは曲輪の出入り口「虎口」だったのです。
曲輪Ⅲ
東側土塁
周囲を取り囲む土塁
じつは、ここから先が自分でも曖昧なんです。
曲輪Ⅲの先に谷筋のような低地があり、湿地帯となっていましたが縄張図のどの辺りなのかわからないのです。
曲輪Ⅲと東側の小曲輪群を分断する堀切が描かれていますが、あれは堀切と言うより規模が大きく自然地形に思え、それが道迷いの原因となりました。
この湿地帯の先には左右に曲輪らしき高台が見え、自分は左の方向、つまり東側に進んだつもりです。
こちらの小曲輪群も区切りがハッキリわかりませんでした。
作平地が見えますが、連続してつながっているのか、一つの曲輪なのかよくわかりません。
奥の方には土塁で囲まれているのが見えます。
盛り土ではなく、小高い部分を削って土塁にしたようです。
堀切
かなり幅が広く先端は竪堀となって落とし込んでいます。
しばらく歩くと
また谷筋の低湿地帯に出ました。
今度は『ダムへ』という立て看板がありました。
この先にダムがあるのでしょうか?
ぬかるんで足場が悪いので縁を歩いて向かい側の小高い曲輪を目指しました。
そこにはまた堀切です。
堀切の向かいの小高い山のような処を登ってみました。
すると、そこは土塁を伴った作平地で、これが曲輪Ⅳに当たるのでしょうか?
土塁
竪堀
盛り土が2基並んでいます
食い違い虎口でしょうか?
虎口から見た曲輪内部
曲輪を抜け、小道を進むと
また堀切です。
もはや何処を歩いているのかさえわからなくなりました。
なんかこれの方が食い違い虎口っぽいかも
土塁を巡らした曲輪
曲輪上から見た堀切の様子
平坦地が堀で分断されています。
土塁で囲まれた曲輪
そして完全に方向を見失い、同じ場所を2周してしまい、危うく3周するところでした
これは祟りだと恐ろしくなり
引き返し
なんとか元来たコースに戻ることができました。
ヤマップ行程データ
民家の位置と等高線を基に考えると、遺構中央部尾根がYの字に分岐した処(曲輪Ⅳ)まで行っているように見えるのですが
大きく2周した円の中に、東側小曲輪群と曲輪Ⅳが含まれているのではないでしょうか。
ヤマップ3D(平面)
斜めから立体的に俯瞰した3D
上記ヤマップデータの右下方向(南東側)に、未訪の曲輪Ⅴ、Ⅵ、Ⅶ、帯郭Ⅷ、その先南東曲輪群Ⅸ他があるわけです。
根っからの方向音痴が超久しぶりに山に入り、迷ってしまいました。
調査不足で図面を持っていなかったことと、曲輪Ⅱ以外整備されていなくて竹藪や倒木に覆われ、先に進むのもためらわれたことも一因です。
集落からは比高30mと安易に考えていたことも反省点です。
もう一度行く機会があれば、一つ一つの曲輪を丹念に回り、その形状をヤマップに落とし込んで、尾根の最南端まで攻めてみたいです。
見応えがあってたくさんの遺構が現存しているお城でした。
【鳥居平城】
《》
名称(別名);とりいひらじょう
所在地;滋賀県蒲生郡日野町鳥居平
城地種類;山城
標高/比高;224m/30m
築城年代;16世紀中頃
廃城年代;不明
築城者;桜谷領主小倉氏か?
主な改修者;
主な城主;桜谷領主小倉氏か?
文化財区分;
主な遺構;曲輪・土塁・堀切
近年の主な復元等;
※出典、、、現地案内板等
地図;
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