こう猛暑日が続いては、
行事その他の昔からの風習にも
決まってた通りに しよう…なんて言ってたら身体が持たない。
よそは 他所。
我が家は 我が家のペースで。
楽に 生きなきゃ。
そう想うように なったのは………
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若い頃、嫁いだ家の風習に従って、
泊まり客の世話から親戚の墓守りまで引き受けて
大忙しの盆休み期間、
そんな暮らしを
やり通した義母が亡くなったのが
私が 30歳の年だった。
その翌年のこと。
やはり我が家に「お墓参りのため」と称して
泊まりにくる義姉たちの家族の世話に
必死になっていた時、
後から来た義叔父が…
「お墓に行ったら、シキビ(四国では花でなく緑の葉っぱのシキビが主流)が無かった」
と言ったあと、
台所で てんやわんやしている私を観て思ったのか?
「…生きとる者の世話が 先… じゃのう。。」
と、つぶやいていた。
そうだった。亡くなった義母は、我が家の墓だけでなく、
義母の実家の墓にも、
いつも先にシキビを備えて弟一家が墓参りに来る前に用意していたのだ。
私は そんなところまで手が行かず、
里帰りして泊まっている義姉の家族の世話だけで
いっぱい いっぱい の状態だった。
優しい義叔父は、墓の花立てが 空っぽだったことに怒ることは無く、
何か 気づいてくれた 。。。のだと思う。
その義叔父が住んでいた、同じ県へ、
偶然 定年前の転勤先となり
今 私たち家族は引っ越して来て暮らしているけど、
今は亡き義叔父が
なんとなく 見守ってくれている気がする。
(…定年を迎えて落ち着く持ち家を探していた時、現在の住居がトントン拍子に決まり落ち着けたのは…義叔父が亡くなった翌年のことだった…)
…今の時代では、「まだ若いのに…」と言われる年齢に亡くなった義母の
歳を…今年の私は
とうとう越えてしまった。
大家族、親戚の世話に 明け暮れた義母を 想う………
義母が 今の時代に生きていれば…
もっと自分の人生を 楽しませてあげたかった。
……… ……… ………
… 御先祖さまを供養するには、形だけではないと想う。
いつも心の中で感謝して過ごせば、
それは 自分が何処にいて何をしている時でも、
想い出す…感謝する…ことで 供養に
なるんじゃ ないかな? と
この頃、想うのです。。。