弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

鈍化ー薬の再調整

2020-10-21 01:52:11 | 思考
何だろう、3年前の日記を見てみたら、当時の方が明瞭に考えられ、文書にも表せている気がする。

原因は幾つか考えられる。
・ただの加齢
・薬が増えて頭が回らない
最後に、
・哲学をやることで逆に思考に制限がかかった

加齢ならしょうがないが、そうでないと信じたいので残りの二つを考えよう。

薬だが、考えられるのは、レキサルティを2mgにしたこと。
これは副作用という形では実感出来てないが、可能性として考えられる。
近頃、厳しい日が多いし、エビリファイの時の方が良かった気がするのでエビリファイに戻して貰おう。
ただ、これでも精神安定ー恐怖感の低下という形では寄与しているのかもしれない。
実際、レキサルティにしてから回避という不安や恐怖感からの逃走、ということが少なくなったように思える(ただ、体重増加の副作用もあると思う。)
医者にしてみれば、結局、どちらでも構わない、という感じではありそう。

どちらにしても、感情とともに思考が鈍化している可能性はある。

レクサプロが鈍化に関係しているとも思えない。むしろ、恐怖感の低減はレクサプロのおかげかもしれないし。
なら、アナフラか。これはここ3年で飲まない時期もあったから分からない。

夏に薬を減らそうとして失敗したことも踏まえて、そして、また鬱状態に陥っていることも踏まえて考え直してみよう。

呪縛から解放へ

2020-07-13 21:17:58 | 思考
色々考えるところがあり、D1で一番信頼している人と飲みがてら相談してきた。

結局、進路については未定にしときたかったんだが、明日、信用していないボスとの個人面談がzoomゼミの後にあり、それによって決まると思う。

閑話休題。

どうせ死ぬ。

この言葉が先輩(年下)から聞けた。それだけでも収穫があった。
この台詞はずっと自分を縛るものであったのだ。どうせ死ぬから全てが無意味。無価値。
否定的なニヒリズムの象徴。
mECT後に再発するまでは、ただ全ての否定に終わってた。だが、再発し自殺念慮を何とかこらえきったところで、解放の言葉になった。

未来だけじゃなく、過去も全否定してくれたのだ。

多分、それまでは青春コンプレックスを引摺り、また、未来にも家族を作れるのかも、という甘い夢を見ていた。
社会不安障害は緩和する事ができるが、この反復するうつ症状は治らない。

そして冷静に考えて、過去も未来も、そして現在まで全て否定したら、楽になった。
生きていくのに気づかない辛さがあった。現在も辛い。未来も辛いだろう。それなら、やり直しなんかしたくないし、好きに生きて(それも辛いのだが)ある時に自殺する気になれば、自殺する。
それでいい。それで終わりでいい。
全て消え失せてくれればいい。
そんな解放。

何回も書いているけど、別にどんな形であれ、最後は自動で来る。
守るものもなければ、得たいものもない。特段。

ただ、今、自殺する気はない。生きてる理由はそれだけでいい。
そう思うと、気が楽になる。

先週、体調も含めて、精神的にかなり辛かった。辛い出来事があった。
でもどうやら、自殺する気にはなれなかったらしい。
続けるなら、生きて、続けよう。

それでいい。

のだが、やっぱり、それとは別に、自分を動かす何かが必要なことに気づいた。
基本は自殺する気がない限り、生きる。でもそれだけだと幾らでも怠惰になる。
で、怠惰に生きてる自分もまた不愉快だ。(不愉快だからといって、自分を殺す必要もないが)
ニヒリストにだって美徳はある。
いや、全否定した後に、何かが芽生えたはずだ。
それをはっきりさせないと、死ぬ気もないまま、不愉快な自分に生殺しにされながら生きていくことになる。

別にマゾヒストになるつもりもない。不快を求めて生きている訳でもない。
だから、前提のうえに、改めて何かを、築きたい。

築いたはずのものは、先週、また壊れたのだから。

ということで、次の日記に続く。

幕間~足りなかったもの

2020-04-11 14:59:47 | 思考
近頃、登校も自粛要請があり、全然ペースがつかめない。
自分は実験系ではないので、幸い、研究できないという事態ではないが。世の大学院生は多かれ少なかれペースはくるっているだろう。
コロナ自体で世間に明るいムードなんてないしな。

で、どうしても論文に向かえず、古いアニメをprime videoで見ていた。
泣きアニメだが昔は泣かなかったのが今響いた。単純に涙腺が緩くなっただけかもしれないが。

一昨日はどうしても学振の初稿を仕上げないとと思って、エナジードリンク数本、コーヒー、バナナ、心臓に負担がかかるので救心を飲んで短時間で集中してできた。
ここまでして、自分は何をやっているんだろうと、久々に思った。

昨年度から、忘れてはやってくる課題。不安症状を嘆く暇もない社会不安的な場面。
なかなか安定しない鬱症状と気分の起伏。

・・研究室では自分が障害年金をもらっていることなど言っていない。でも、今までの友人で親しい人には言っている。
大概、いい顔はしないが。
障害年金と短時間のアルバイト、障碍者就職でで自分に負担をかけずに定年まで過ごすことは出来たかもしれない。
でも自分は障害年金のお金も根気も、病状の安定も捨てて、わずかな可能性であるアカデミックな道に賭けた。

それは自分自身の決断。病状が混乱してなかなか前に進めなかった20代後半を乗り越えるための。
でも、周りからは大概、そんな重くない決断だとみられる。自分がやりたいことをやっているだけ、と。

アニメを見て、そうか、自分は認めてほしかったんだ。そう、気づいた。
障碍者採用も大変だろうけど、もっと先行き不安定で自分の能力と努力が試されるこの道を選んだこと。
18からの悲惨な記憶と、20代後半で何度も死ぬべきだと思ったが、こらえてきたこと。
電気けいれん療法まで受けて、それでも寛解しなく、それでも低きに流れなかったこと。

今もどんよりとしながらも、こらえていること。
結果が重視される世界だけど、その過程を。

そう。今までの人生を踏まえたうえで、心から認めてほしい。褒めてほしい。
常に頑張れているわけじゃないけど、今ここにいる自分を。

自分で自分を認められればいい。褒めてあげられればいい。
そう思ってたけど、やっぱり、誰かに認めてほしいんだ。負担がずっとかかっても、折れていない自分を。

アニメを見てそれに気づいたんだけど、まあ、どうしようもないよね。
この歳で褒めてほしいと言っても、もう子どもじゃないはず。
でも、多分、まだ子供なんだろう。ピエロみたいに大人ぶっていても。

(いわゆる毒親で、幼少時から褒めてもらえなかったという訳ではない。18から廻り回って、苦しくて、今ここにいることを認めてほしいんだな)

異常の中の正常から、自分の中での正常へ

2020-02-04 00:12:26 | 思考
発表が近づくなか、どうにも頑張れない自分に嫌気が差して、薬とかエナジードリンクとかで誤魔化して、必死でやろうとしていた。

が、どうにも頑張れない。

危機感はあるし、焦りも不安もある。

だが、これは異常なのか。
いや、もはや、正常だろう。

去年は何とか息切れしそうにながらも、直前でエネルギー切れを起こすことだけは防げてた。
だが、それは去年の話。

病を患ってから、直前まで一定期間ずっと頑張り続けられたことがあっただろうか。
それは、ほとんどない。
せいぜい部活の演奏会前くらいだ。

大学院入試も公務員試験も、長期間頑張れたことなどほとんどない。
スタートダッシュして、途中へばって、直前の直前になっても出来ないか、直前に頑張れたか、くらいだ。

そして、これはそもそも、病後に限ったことだろうかと言えば、全然そうではない。
むしろ、病前の方が怠惰でそれでも楽天的で、直前でもやらないことの方が多かった。

なるほど。研究者目指すのなら、ずっと努力しなくてはいけない。それはそうだし、努力しようと試みることすら放棄するのは間違いだろう。

だが・・・病前性格と病後の自分、どっちを取ってみてもバランスが悪い。
でも、気分の波はそもそもあるし、常に努力するように自分を追い詰めれば余計に出来なくなる。かといって、今後の人生はともかく研究者を目指すことにした。

でも、他人はもっと努力しているだとか、自分でもこれじゃ足りないとかでペースを頑張れる時の自分に合わせると実にしんどい。むしろ、かえって、研究者の道にとってはマイナスなのではないか。

頑張れる時は頑張る。頑張れない時は頑張らない。
あとは、大学院生活とその後でも、ペース配分の問題だ。

疲れたら休んで直前のエネルギーを取っておくこと。
勿論、いつ調子が狂うかなんて分からないのが、自分の病状ではある。

それでも、やっていける、という確信を養う必要がある。
そのためにも、常に自己モニタリングすること。
無駄に自己否定ばかりしないこと。他人と比べないこと。

それで研究者の道は無理だというなら、元から無理だった。それだけ。
かといって、そこで年月を無駄にしたとは思えない。

病前と病後を比較してどうの、ということもあまり意味がない。

今、そういう現状にあること。それでも、手持ちの手札でやっていくこと。
出来れば、手持ちの手札を増やすこと。
それはもはや、正常か異常かなんてどうでも良くなること。

ニーチェの箴言にこんなことが書いてある。うろ覚えだけど。

私は病気だったのか?いやはや、そもそもどこが悪かったのかを忘れてしまったよ

治らない中で治ること。それは忘れること。
過去に頑張れたから、とか、ダメだったかなんか参考にならない。

研究生活の中でひたすら積み上げていこう。
そうしたら、それが自分の中での正常になっていく。

昨日今日と休んだので、明日から発表までは頑張れる気がする。
この「気がする感」が実は大事で、それをペースメーカーにしよう。

罪と罰2ーanything that promotes my・・

2019-12-29 23:18:49 | 思考
ただ、死ぬということはどういう事象なのか。
彼岸なんてものはないが、本当に意識の永続的喪失。それが死なのか。その後はないのか。

その問いは全て意識と因果に収斂される。

それを、自分が勝手に死ぬまで、追及すること。

そう、今の立ち位置もこれからも、ただそれだけがある。
意識も因果理論の研究もそのためにある。

そこからだけは逃げてはいけない。目先の楽さをとってはいけない。

ーーーーーー回帰ーーーーーーーー

休みことが長期的には研究の促進になるなら、そうするべきで。
それ以下でも以上でもない。
笑うことも泣くこともそうなるなら、そうするべきで。
それ以下でも以上でもない。

そして、まだまだ、結論に至りそうはない。
現時点はそこ。