思いつくまま、気の向くままの連載記事。
第5回『近畿編その1』です。
≪選抜出場校 思い出編5≫
近畿代表 履正社(大阪) 7度目(3年ぶり)
夏3度出場 甲子園通算 12勝9敗 準優勝1回
昨秋の明治神宮大会を制していち早く『全国制覇』を成し遂げた履正社。この選抜では、堂々『西の横綱』として、優勝候補筆頭の評価で大会に臨みます。今や山田哲人(ヤクルト)をはじめとしてプロ野球にもたくさんの人材を送り込む大阪の強豪。ライバルでもある大阪桐蔭が『高校野球の盟主』の座をがっちりとつかんでいるのと比較すると、同等の実力を持つとされるこの履正社の甲子園の実績は、まだまだ比較できるものではありません。しかし振り返ってみると、大阪桐蔭も西谷監督の時代は、実力はありながらなかなか甲子園で実績を積み重ねるところまで行くのには時間がかかりました。中村(西武)・岩田(阪神)のいたチームでは甲子園出場を逃し、西岡(阪神)擁するチームでは甲子園で初戦敗退。辻内(元巨人)平田(中日)中田(日ハム)らを擁した超絶なチームでも、頂点には届きませんでした。しかし浅村(西武)らがいたものの前評判はさほど高くなかった08年のチームで優勝を果たすと、あとは何かつかえていた栓が抜けたかのように、短い間で3度もの全国制覇を飾って、今や押しも押されぬNO1チームとなっています。
これを履正社に当てはめると、履正社はちょうど05年の大阪桐蔭のような段階なのかもしれません。一度全国制覇を経験したら、あとは常勝の名をほしいままにするチームに生まれ変わる可能性は、大きいのではないかと思っています。黙っていても『いつかはそうなる』とは思いますが、今年はその大チャンスの年なのかもしれませんね。ちょうど大阪桐蔭が、スーパースター中田で全国制覇を逃した翌年に、地味と言われたチームで西谷監督初の全国制覇に輝いたように、履正社も昨年のスーパースター、寺島投手で成し得なかった全国制覇に、そのポスト年である今年、挑んでいきます。
さて、履正社の甲子園での歴史は、1997年夏に始まります。その当時、まだ大阪はPL学園の天下。最強と言われた80年代からは力を落としていたとはいえ、まだまだ中村監督も健在で、90年代も大阪の中心はPLで間違いありませんでした。事実95年には福留(阪神)を擁して甲子園の話題を独り占め、翌96年にはエース前川(元近鉄)で甲子園をつかんでいます。98年にはあの松坂擁する横浜と甲子園で激闘を繰り広げたチームです。履正社はそのPLの間隙をぬって、97年に初出場を決めましたが、ワタシも『履正社?どこ、そのチーム』という感じで、全然知らないチームでした。ちなみにこのときの府大会決勝は履正社vs関大一。まったく知らないチーム同士の対戦で、本当に驚いたものでした。その初出場のチームは、今とは全く別の守りを中心としたチームでしたが、甲子園では初戦で岩手の専大北上に惜敗。大阪のチームが岩手のチームに負けるなんてことは想像だに出来なかったので、本当に驚きました。次に甲子園に登場したのは10年後の06年春。そして甲子園初勝利を飾ったのが08年春ですね。10年夏には、あの山田を擁して夏の選手権へ。甲子園に出てくるたび、大阪の代表ということで一定の注目を集めていましたが、甲子園では自分たちの野球ができずに早い段階で敗れるということが続き、甲子園で実績を残し続ける大阪桐蔭と、どうしても比較されて『勝負弱い』と形容されることが多かったように記憶しています。しかし11年の選抜で飯塚投手を擁して4強に進出。このあたりからようやくその存在感を発揮しだして、14年春には見事に準優勝に輝きました。06年の選抜出場から、9年間で6回の出場を果たし、さらに徐々に戦績がアップしてくるにつれて、『春の履正社は怖いぞ』というのが浸透してきているようにも感じます。逆に夏はどうしても大阪桐蔭の厚い壁を破れずに甲子園までたどり着くことができませんでしたが、昨年寺島投手を擁したチームがその壁を破り、ようやく『履正社新時代』というか、『黄金の10年を迎えた』という感じが、ビンビンと伝わってくるように感じています。
ここからの履正社、本当に大注目です。大阪桐蔭とのライバル関係は、今後一層、ものすごいものになっていくことでしょう。もうすでに、『甲子園で勝つよりも、大阪で勝つ方がずっと難しい』状況になりつつあるこの両者の対決。目が離せないどころか、一試合でも見逃せない・・・・って感じです。今年の選抜も、流れが向けば両校の『決勝対決』が見られる可能性もありますね。
近畿代表 大阪桐蔭(大阪) 9度目(3年連続)
夏8度出場 甲子園通算45勝11敗 優勝 5回
大阪桐蔭については、昨年も書きましたので、その記事を張り付けておきます。
さて、今年もライバル履正社との両者並び立つ選抜となりましたが、今年ほど『大阪決戦』が現実味を帯びている大会もないのではないかと思っています。選抜でしかありえない、甲子園での『大阪決戦』。両校ともにAランクの戦力を誇る今年、実現したら盛り上がるでしょうね。しかもライバルが早実、日大三の東京の両校とあっては、本当に盛り上がってきそうです。もし準決勝が、第一・第二試合ともに東京・大阪の対決なんてなったら、こりゃあもう、前代未聞というか、空前絶後の盛り上がりでしょう。そんな期待もしながらの、選抜の抽選待ちです。
昨年の記事 ⇒
今や高校野球の代名詞ともいえる大阪桐蔭。かつてPL学園が成し遂げた数々の栄光を引き継ぎ、今や完全に高校野球界の盟主となりました。しかしその活躍の歴史はまだ浅く、本格的に強豪の名をほしいままにしたのは、2000年代に入ってからです。年号が平成に変わる前後、大阪桐蔭は本格的に野球部の強化に乗り出し、今中(元中日)というドラフト1位の剛腕を生み出したことで、初めてその姿を高校野球界に表しました。そして91年。エース和田・背尾、主砲・萩原で初出場で夏の甲子園を制し一躍注目されますが、その後の90年代は、まだまだ【球界の盟主】であったPL学園の厚い壁を破ることはできませんでした。ようやくその壁を破り甲子園に登場したのは、西谷監督就任後の02年、西岡(阪神)を擁したチームでした。そして05年に158キロの剛腕エース・辻内に3打席連続弾の主砲・平田、そしてスーパールーキー・中田という3人のドラ1を擁して超大型チームで甲子園を席巻しました。しかしこの頃までの大阪桐蔭は、かつてのPLと比較すると『大型だが、どこかしらに脆さを残している』と言われたチームでした。実際、中田を擁した06年、07年のチームでも全国制覇はならず。常に『優勝候補筆頭』の冠が付く大会前であったにもかかわらず、頂点まで届くことはありませんでした。その壁を破ったのは、大会前には期待されていなかった08年のチーム。それまでのチームと比較して、決して傑出した選手がいたわけではなかったこのチームが、伸び伸びと実力をいかんなく発揮して優勝旗を奪い取ったこの大会をきっかけとして、大阪桐蔭は一段階段を上がった感じです。『甲子園での勝ち方』を覚えたとでも言いましょうか、その後はリードされてもバタバタせずに試合を運べるようになった感じですね。特にきっかけとなったのは、08年大会の2回戦で金沢を逆転で破った試合だったのではないかと思っています。浅村の1試合2本塁打で追いついて苦しい戦いを制したこの試合が、大阪桐蔭にとってはエポックメーキングな戦いとなったのではないでしょうか。その後は『ズルズル』ということがなくなり、かつてのPLばりに『終盤での逆転勝ち』も多くなりました。これこそ、チームが真の強豪に変化した証ではないでしょうかね。12年の藤浪擁するチームは、春はまだややスキもありましたが、夏の大会では全く相手を寄せ付けない凄さを身にまとっていました。85年のKK最後の年のPLのチームに匹敵する強さだったと思っています。大阪桐蔭の強さは、決して素材がいい選手が集まったというだけではなく、その選手たちがその能力をMAXまで伸ばしきって、甲子園狭しと暴れまわるところだと思います。そして彼らは、チームを巣立った後、次のステージでどんどん活躍していく。。。。。。まさに70~80年代にPLが実践した強さの源泉、それを大阪桐蔭がそっくりそのまま受け継いでいるように感じられます。大阪桐蔭の山の中のグラウンド、そここそがまさに『現代高校野球の虎の穴』そのものですね。(我ながら表現が古~って思います。。。。。)
大阪桐蔭のこのいい循環のチーム作り、どこまで続いていくのでしょうか。少なくとも西谷監督がバリバリチーム作りができるこれから10年~15年ぐらいは、このままの『強い大阪桐蔭』が続いていくのではないでしょうかね。どこまで甲子園勝利を伸ばしていけるのか、楽しみにしています。
近畿代表 滋賀学園(滋賀) 2度目(2年連続)
夏1度出場 甲子園通算 2勝2敗
滋賀学園も昨年春に続いての出場で、昨年の記事を張り付けておきます。昨春は近畿勢の大躍進が見られた選抜でした。その中で滋賀学園も、見事に8強まで勝ち進みました。今年のチームは、投の両輪である神村・棚原に後藤のバッテリーなどがそっくり残り、昨年よりも上を狙っています。近畿勢の中で唯一の全国制覇未経験の県である滋賀に、紫紺の大旗を持ち帰ることができるのでしょうか。地元の期待は大きいことでしょう。
昨年の記事 ⇒
滋賀学園。この名前を聞いても、正直何にも浮かびません。初出場だから仕方がないかもしれませんが、09年の夏初出場の時も、初戦で敗退したということもあり、なんだかあっという間に姿を消してしまったということしか覚えていません。これまでの唯一の甲子園での試合は、同じ近畿の智弁和歌山、ドラフト候補の左腕・岡田投手にほとんど何もできずに抑え込まれたという印象しかありません。大阪からたくさんのシニア・ボーイズの好選手たちが集まってチーム作りをしているということは、他の強豪私学のチーム作りとなんら変わるところはありません。今年の大会では、1年生バッテリーが注目されていますが、チームの歴史を作るのはこれから。どんな姿を見せてくれるのでしょうか。
近畿代表 神戸国際大付属(兵庫) 4度目(7年ぶり)
夏1度出場 甲子園通算 3勝4敗
神戸国際大付属というと、ワタシの中のイメージは『強豪校』。記録を改めて見てみて、かえってびっくりしました。『えっ これだけしか甲子園に出ていないの?!しかも勝ったのは、あの選抜の1大会だけ!!』
それだけこの神戸国際大付属は、活躍したというイメージがワタシの頭の中にはこびりついています。その大会とは、05年の選抜。その前の01年の選抜に、坂口投手(ヤクルト)を擁して初出場を飾ってはいますが、さほど印象に残る活躍をしたというイメージはなかった神戸国際大付属ですが、この選抜では印象に残る活躍をしました。前年の秋季大会の成績から、優勝候補の一角に上げられていたこの大会、初戦で甲府工業に逆転勝ちをして波に乗ったチームは、2回戦で前年夏の覇者、あの駒大苫小牧と対戦しました。この試合、ワタシは『互角の対戦になる』と踏んでいましたが、試合は一方的。神戸国際大付属の大西投手。それはそれは見事なピッチングで、あの駒大苫小牧の打線を、わずか1安打で完封したんですね。前年夏に数々の好投手を完膚なきまでに粉砕したあの駒苫打線が、大西投手にはまさに手玉に取られ続けて、試合は4-0でしたが、内容はそれよりもずっと一方的なものに感じました。ちなみのこの試合で、駒苫の田中マー君、甲子園初登板を飾っています。この試合を見てワタシ、『神戸国際大付属・・・・・強え~~~~』が刷り込まれてしまいました。そしてそのイメージは、次の試合でさらに濃くなります。次の試合は、この大会で話題をさらった慶應。激戦を勝ち抜いてここまで勝ち上がってきた慶応を、神戸国際大付属は『役者が違うんだよ!』とばかりに15-1で粉砕。慶応のファンを、夢から現実に引き戻す役割を果たしました。そこでワタシ、『神戸国際大付属、恐ろしいばかりに強え~~~~』が再度刷り込まれました。そしてこの大会の4強が出そろったのですが、ワタシは『神戸国際大付属が優勝するに、決まってんじゃん』なんて予想を立てていました。この準決勝、確か平日だったためか、ワタシは観戦しておらず、あとから結果だけを聞いて驚きました。愛工大名電が神戸国際大付属を破った。。。。。。そんなことが。。。。。。そんな感じでしたかね。頼みの大西投手が愛工大名電の足攻にやられて、打線は2番手の十亀に抑え込まれたようですね。確か後からビデオは見ているはずなのですが、まったく覚えがありません。ちなみに第2試合では、初出場の神村学園がエース野上の好投で決勝進出を果たしています。振り返ってみると、現在西武で『ダメダメ先発投手陣』の中で期待を裏切ることの多い二人が、並び立っているんですね。。。。。なんだか感慨深い(?)大会です。。
神戸国際大付属が負けるということが、それまでの完璧な戦いぶりから何だかイメージできなかったため、本当に驚いた記憶があります。トーナメントの大会ですから、どんな強豪校にも、1大会で1試合ぐらいは、なんだかエアポケットに入ってしまったような戦いというのが必ずあるのですが、この準決勝はそんな感じだったのでしょうね。『優勝しなきゃ、おかしいよ!』というぐらい、充実した戦力を持ついいチームだったという印象しかありません。しかしその後、大阪桐蔭のようになってもおかしくないチームと見ていた神戸国際大付属は、なかなか甲子園の土を踏むことはありませんでした。夏の県大会や秋の近畿大会の結果を見ていると、いつもいつも、ギリギリのところでやられてしまうことが多いチームとなって、その存在感を発揮することができていません。ようやく悲願の初出場を果たした2014年の選手権でも、力は上回っていたはずが、甲子園慣れしている聖光学院にうまく試合を進められて敗れ去りました。この試合を観戦していたワタシは神戸国際大付属について、『ああ、こんな感じでいつもやられているのかな?』と思って、妙に腑に落ちる思いがしたのを覚えています。
ワタシにとって『永遠の強豪校』として脳裏に刻み込まれている神戸国際大付属。この選抜は、あの春のように、強い姿で甲子園に帰ってきてくれたのでしょうか。思い入れのあるチームなので、がんばってほしいと思っています。
(つづく)