今朝起きてスポーツ紙をチェックすると、
二つの訃報に触れられていました。
一つは、
SBのコンディショニングコーチである河村隆史氏の訃報。
くも膜下出血による死去だったそうです。
ワタシは川村コーチの事はよく知らないのですが、
昔西武のトレーニングコーチと話す機会があり、
いろいろと疑問に思うことを質問すると、
丁寧に答えてくださったことが思い出されました。
「トレーニングコーチって、こんなにも博識なんだ」
という驚きと畏敬の念を抱いたこと、
今でも鮮明にワタシの中に残っています。
選手のコンディショニングは、
プロスポーツの中においては要中の要。
早すぎる逝去を、心から悼みます。
そしてもう一つは、
黒田真二氏の死去の報です。
元ヤクルトという肩書で書いてありましたが、
黒田氏が最も輝いたのは何と言っても甲子園でした。
崇徳高校の剛腕エースで、
当時は「ヒバゴン」なんて呼ばれていましたっけ。
選抜では初出場で見事に優勝。
広島県は広商をはじめとして、
スモールベースボールと細かい野球が全盛の中、
崇徳は豪快に打ちまくり投げまくる、
胸のすくような野球をやっていたことが思い出されます。
昭和51年の事です。
春夏連続出場してきた夏の甲子園でももちろん優勝候補。
しかし夏の甲子園には、
選抜には出てこなかった原辰徳の東海大相模、酒井圭一の海星、久保・立花の柳川ら、
キラ星が勢ぞろいして崇徳をもってしても「筆頭候補」というよりも「4強の一角」という扱いでした。
この年の甲子園については、
2,3か月前に書いた覚えがありますので、
そちらの方も良かったら。。。。。
黒田は初戦、
東海大四との対戦を前に、
発熱してしまって先発を回避。
途中で登板したもののまた熱がぶり返して降板。
その結果、
投手がいなくなった崇徳は、
ものすごい苦戦を強いられるという苦闘を経験しました。
その黒田が真骨頂を見せたのは、
海星・酒井との対決となった3回戦。
ドラ1間違いなしの剛腕同士の直接対決と会って、
ものすごく注目される対戦となりました。
そして試合は、
まさに鬼気迫る投手戦。
結果的に海星がボテボテの内野安打で1点を挙げ、
それを酒井が守り切って1-0の完封勝ち。
黒田は1点が命取りとなって、
春夏連覇の夢を打ち砕かれたのでした。
与えたヒットは酒井が2、黒田は3で、
与四球はいずれも2ずつ。
三振は酒井が8で黒田が9。
まさに「互角」の投手戦で、
あの作新・江川と銚子商・土屋の投げ合いに勝るとも劣らないような、
震えるような見事な投げ合いでした。
後年、
この二人はヤクルトで同僚となり何年かを過ごすのですが、
いずれもプロでは成功できずに球界を去ります。
ワタシはこの頃の甲子園の大投手、
横浜・永川、銚子商・土屋、土浦日大・工藤、海星・酒井、崇徳・黒田、東洋大姫路・松本らの、
まさに「剛腕」たちがプロ野球に入団していずれも成功できなかったため、
「プロ野球とは、なんとすごいところなんだろう。彼らでも成功できないなんて・・・・・」
と強く思っていました。
プロのレベルがそんなにも高いところだ・・・・・
そんな刷り込みが、なされたのかもしれません。
当時は「高卒の選手は、5年ぐらいは下で鍛えて」なんていわれていました。
力があればルーキーの年からバンバン活躍する今と、
なんて違う事でしょうか。
しかし今考えてみると、
プロで活躍するかしないかなんていうのは、
ほんのちょっとしたきっかけをつかむかつかまないか、
それとプロ向きの性格かそうでないか、
そんな「ほんのちょっとの違い」なんだろうなあと思います。
黒田は日ハムのドラフト1位を拒否し社会人野球へ身を投じました。
その後病気や所属会社の野球部の閉鎖などの紆余曲折を経て、
ヤクルトにドラフト外で入団したんですね。
入団の報に接した時に、
ワタシは「あの黒田がプロ野球に来るんだ」とうれしく感じたことを覚えています。
しかしヤクルトで彼の投球を初めて見たとき、
自分の記憶の中にある「黒田の投球」とあまりに違ったのに、
ショックを受けた・・・・・・という思い出も同時に思い出されます。
この5,6年の間に、いったい何が・・・・・・
そんな思いを抱きましたね。
もうプロに入った時の投球は、
「あの頃の輝き」とは遠いものでした。
昨日ちょうどyoutubeの石毛宏典さんのチャンネルを見ていたのですが、
その中で西武のスカウトである岡村さんがあるドラ1ピッチャーのことを話していました。
岡村さん曰く、
「いいものを持っていたからドラ1で指名したんだけど、キャンプを終わってみてみたら、いじられて完全に違うピッチャーになってしまっていて、そのまま戻ることはなかった」
というような話をしていて、
やっぱり選手にとって「その選手にとっていい指導者に出会う」という事がどれだけ大切かという事を、
感じざるを得ませんでした。
プロ野球でたたき上げてスターになっていく選手というのは、
その選手のもともと持っている資質というものはもちろんのこと、
ポイントポイントでいかにいい指導者に恵まれるかという事が、
ホント大きいのだなあと思ったりしています。
そうした「運」も持っている選手というのが、
結局はスターになっていくという事なんでしょうね。
そんな黒田選手ですが、
高校時代のあの輝きは、
何年たっても消えるものではありません。
『甲子園のスター』
と言える、
輝く姿は忘れません。
「あの頃」に活躍していた選手の訃報に触れると、
本当にワタシ、
遠い目になってしまいます。
河村さん、黒田さん、
ご両者のご冥福をお祈りします。
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