◇もっとも印象に残った球児
52.沖縄
島袋 奨平 投手 興南 2009 春夏 2010年 春夏
甲子園での戦績
09年 春 1回戦 ● 0-2 富山商(富山)
夏 2回戦 ● 3-4 明豊(大分)
10年 春 1回戦 〇 4-1 関西(岡山)
2回戦 〇 7-2 智弁和歌山(和歌山)
準々決勝 〇 5-0 帝京(東東京)
準決勝 〇 10-0 大垣日大(岐阜)
決勝 〇 10-5 日大三(西東京)
夏 1回戦 〇 9-0 鳴門(徳島)
2回戦 〇 8-2 明徳義塾(高知)
3回戦 〇 4-1 仙台育英(宮城)
準々決勝 〇 10-3 聖光学院(福島)
準決勝 〇 6-5 報徳学園(兵庫)
決勝 〇 13-1 東海大相模(神奈川)
1958年に、
首里高校が甲子園に”帰還”してから半世紀余り。
68年の興南旋風で『沖縄に野球あり』を全国に見せた沖縄は、
名将・栽監督が豊見城高校を強豪に育て上げ、
『全国制覇するまでは、沖縄の戦後は始まらない』という気合のもと、
強豪チームを次々と生み出しました。
今更説明するまでもなく、
沖縄球児の最大の特徴は、
その身体能力の高さ。
本土の球児たちが束になってもかなわないその身体能力は、
沖縄という風土がはぐくんだものに他ならないでしょう。
そんな中、
70年代の豊見城、80年代からの沖縄水産、そして90年代以降の沖縄尚学、興南などが強豪として、
甲子園で生き生きと暴れまわりました。
70年代の豊見城では、
75,75年の赤嶺投手、77,78年の石嶺捕手などの名選手を生みました。
80年・興南8強進出の立役者となった渡真利選手(現プロ野球審判員)の強烈な打球とその俊足には、驚かされました。
興南と言えば82・83年の仲田(元阪神)-仲田(元西武)のバッテリーも忘れられません。
沖縄水産全盛の90年、
ついに『栽野球』が花開き、
甲子園で初の決勝に進出。
エースの神谷の力投は、脳裏に浮かびます。
翌91年も連続の決勝進出という快挙。
エース大野は、肘の骨折を押しながら全試合を投げ抜くという『涙の力投』でチームを準優勝に導きました。
97年の浦添商の4強入りを挟みついに99年春。
沖縄尚学が選抜で悲願の優勝を遂げます。
エースは現在監督も務める比嘉公也。
誰がすごいというわけではないが、
全員の力を結集した【沖縄の勝利】でした。
決勝の試合中鳴り響いた大観衆からの指笛。
凄まじくも感動する光景でした。
その沖縄尚学は、
08年に再びセンバツで、
東浜を擁して2度目のセンバツ制覇。
今度は前回以上の戦力で、
堂々と相手を寄り切っての勝利を重ねました。
そんな【沖縄野球】の集大成ともいえるのが、
10年の興南の春夏連覇でしょう。
前年の09年、
エース島袋をはじめ2年生中心で春夏連続の甲子園出場を掴み取った興南は、
春も夏も、
延長で涙を飲むという悔しい負け方で1勝も挙げることが出来ず、
甲子園を去っていきました。
捲土重来を期した新チームの秋。
興南は九州大会3試合でわずか7得点しか取れず、
準決勝で敗れ去りました。
『やはり島袋頼みのチーム』
という前年からのありがたくない称号を、
またも取り去ることが出来ずに臨んだ春のセンバツでした。
センバツ前の評価。
興南は『Aクラスの力はあるものの、打線が課題。上位進出は打線次第』と評され、
有力校には上がるものの決して【優勝候補】という扱いではありませんでした。
初戦の相手は、
力のある嫌な相手、岡山の関西でした。
この試合、
島袋は本調子ではなかったものの相手強力打線から14三振を奪う力投を見せ1失点完投。
しかし驚いたのは、
この試合で見せた興南打線の振りの鋭さ。
去年までの興南とは『全く違う』姿を見せて快勝した興南は、
この試合で『もしかしたら優勝候補の筆頭に上がる?』
ということが言われ始めました。
この大会での興南。
組み合わせには全く恵まれず、
次から次に【優勝候補】と目された相手と激突していきます。
しかし打線が完全に覚醒した興南に、
まさに敵はありませんでした。
智弁和歌山に13安打を浴びせて7-2と一蹴すると、
『東の横綱』と言われた提供を全く問題にせず12安打で5-0と圧倒。
明治神宮大会を制した大垣日大との準決勝は、
なんと15安打で好投手・葛西を攻略して10-0の圧勝でした。
この間島袋は、
【トルネード】といわれる背中をくるりと反転させて投げる速球が冴え、
強打のチームを向こうに回して4試合でわずか3失点。
『安定感抜群』の投球で、
危なげなく決勝に進出しました。
特に島袋を【好投手】と印象付けたのはピンチに陥った時。
ピンチでの島袋は、
明らかに自分の中でギアをチェンジし、
ピンチの時こそ『ほれぼれするような』投球を見せて打ち取っていく術を身に着けていました。
ピッチャーとして、
これほど味方に安心感を与える投球ができる人、
今までいたでしょうか。
それほど素晴らしいピッチングでした。
究極のことを言えば、
『彼は必ず1点差でゲームをものにできる』ピッチャーです。
この能力ある限り、
必ずや彼は『上の野球』でも素晴らしい実績を残すことでしょう。
さて、決勝は、
この年【秋の東京都4強】という通常ならば『絶対に選抜には選ばれない』ところからタナボタで出場を果たし、
甲子園でどんどん成長を遂げた日大三が相手でした。
『組み合わせや気象条件、試合コンディションなどいろいろな条件に恵まれてここまで上がってきた』
と思われた日大三が、
他のどの強豪もが出来なかった『興南を追い詰める』野球をやってくれ、
決勝は盛り上がりを見せて延長にまで突入しました。
しかし最後は興南の力が日大三を上回り、
延長12回で決着。
興南は沖縄勢として3度目のセンバツ制覇を成し遂げました。
結局グレードアップされた興南打線、
全試合で2ケタ安打を放つという快挙を成し遂げました。
さて、
強さを見せつけて選抜を制覇した興南。
残るは沖縄県勢初の夏の選手権制覇、
おまけに春夏連覇の偉業も待っています。
2度センバツを制した沖縄尚学は、
他の『センバツ制覇校』と同様夏に向けて思うようなチーム作りが出来ず、
志半ばで敗れ、偉業の達成はなりませんでした。
『その轍は踏むまい』
と決意したといわれる我喜屋監督率いる興南は、
選抜以降その力を全く落とすことなく、
いや、むしろグレードアップさせて、
沖縄県大会を余裕で勝ち上がり、
夏の甲子園を掴み取りました。
甲子園でも、
2回戦で明徳義塾、3回戦で仙台育英、準々決勝で聖光学院と、
この年を代表するようなチームとの激戦を、
島袋の相手にスキを与えない力投と打線の大爆発で制し、
準決勝まで進出してきました。
『連覇』
というキーワードが出た時、
ワタシは、必ず苦しい試合がやってくるのは準決勝だと思っています。
体に疲れが出てきた連戦の準決勝。
相手も波に乗ってきていることに加え、
優勝がちらつき始めて精神的にも平静を装っていられなくなる試合、
これが準決勝だと思っています。
最も難しい試合になる、
と思うのが準決勝です。
特に相手が強豪だった時は、
その傾向が強いですね。
かつて法政二が三連覇を阻まれたのも準決勝。
池田の三連覇が阻止されたのも準決勝でした。
松坂を擁した横浜も、
準決勝で大苦戦を強いられましたよね。
駒大苫小牧が夏連覇した年も、
準決勝の大阪桐蔭戦がヤマでした。
そんなことが頭をかすめた準決勝で、
興南は報徳のど根性野球に、
足元をすくわれそうになりました。
序盤であり得ない0-5のリードを許し、
さしもの興南もここまでか・・・・・
と思われました。
しかしこの試合、
我喜屋監督が作り上げた興南というチームは、
その真骨頂を見せます。
中盤相手エースに疲れが見え始めると猛反撃。
5,6,7の3イニングで報徳の強力投手陣から6得点。
あっという間に試合をひっくり返し、
あとは『1点差では絶対に負けない』エース島袋が、
『オレの出番だ!』とばかり相手を抑え込んで、
この厳しい試合を『勝ちきり』ました。
決勝はエース一二三を擁する東海大相模でしたが、
一二三の準決勝の状態を見ると、
戦う前からなんだか勝負は見えていたような気がします。
興南が、
『これが俺たちのチームの最後の戦いだ』
とグラウンドを縦横無尽に駆け回り、
大観衆と全国の高校野球ファン、とりわけ沖縄の人たちに、
最後にチームの【お披露目】をしたような戦いとなりました。
13-1
一方的だったものの、
何か爽やかな風が吹き抜けるような、
そんな決勝だったように思います。
興南が圧倒的な強さで春夏連覇を飾り、
沖縄の高校野球にも一区切りがついたのではないかという気がします。
今や大阪や神奈川と並び、
『全国屈指の高校野球強豪県』
となった沖縄。
昨今は、県大会からその注目度もグーンとアップしています。
今まででは考えられなかったような、
他県⇒沖縄
への野球留学という流れも、
見られるようになってきているようです。
これだけ強豪が増えてくると、
沖縄県内での練習試合だけでも、
十分にチーム力をアップさせることが出来ると思いますね。
かつては『県外に出る手段が限られるので、強豪との練習試合が組めない』が泣きどころでしたが、
今では他県の強豪がこぞって沖縄キャンプを張りにやって来ます。
黙っていても、向こうからやってくる時代になりました。
しかしそんな環境でも、
栽監督が種をまき、
身をつけ実らせた各校の監督さんの情熱は、
一向に変わらないと思います。
沖縄の高校野球はこれからも、
全国の注目の的なのです。
ということで、
全52回にわたって『最も印象に残った高校球児』を書いてきましたが、
あくまでもこれはワタシの勝手に思う『球児たち』です。
高校野球ファンにとっては、
それぞれに忘れられないシーンや忘れられない球児たちが存在していると思います。
その後プロ野球やMLBなどに飛躍して活躍する選手も、
また志半ばで球界を去る選手も、
あるいは高校までですっぱりと野球からは足を洗ってしまう選手も、
たくさんいると思います。
しかし高校時代、
『こんなに輝いていたんだ』
という思い出は、永遠のものです。
≪高校野球≫
すでにこの競技が日本中を熱狂させ始めてから1世紀余り。
もうこの競技は、
一高校の『部活』という枠はとうに超えて、
日本の『文化』のひとつとして位置づけられ、
今も息づいているのだと感じます。
毎年毎年、
時代は変われど高校年代の選手たちが【聖地・甲子園】で白球を追う姿、
いつまでも変わらないでほしいと強く願っています。
<了>