ショックなニュースが駆け巡りました。
広島のエース、北別府学氏が65歳の若さで逝去。
ここ数年体調を崩して、
度々心配なニュースが伝えられていましたが、
ついに亡くなられてしまいました。
本当に残念でなりません。
北別府さんといえば、
広島の黄金時代のエース。
精密機械のようなコントロールと球のキレで、
並いるセ・リーグの強打者をなでぎる姿が浮かびます。
ベテランになればなるほどそのピッチングが“練れて”きて、
20勝した時はホント毎試合すごいピッチングを見せてくれました。
その当時のワタシの連れは大の中日ファン。
そして中日は当時、
北別府をまーったく打てず、
何度も翌日に「恨み節」を聞かされましたっけ。
まさに「キラー」の面目躍如のピッチングを毎度見せてくれました。
それから、
北別府といえば、
不思議なことに日本シリーズに弱かった。
カープ黄金時代、
昭和54年、55年、59年、61年とエースとして日本シリーズに出場しましたが、
ただの一度も日本シリーズで白星を上げることはありませんでした。
短期決戦に弱いといえば、
ワタシはこの北別府の他に、
近鉄の鈴木啓示と西武の西口がすぐに浮かびますね。
なんでだかわかりませんが、
勝てませんでしたねえ。
北別府と対極に日本シリーズにこそ強かったのは山根。
山根はホント、
短期決戦では頼りになる男でした。
しかし北別府は、
ホント「カープのエース」という言葉がよく似合う、
素晴らしいピッチャーでした。
また、
杉下茂さんも亡くなりました。
こちらは97歳ですから大往生ですね。
ワタシは年代的にも、
現役時代の姿は全く思い浮かびません。
しかし「日本で初めてフォークボールを投げたピッチャー」として、
中日や巨人、西武の指導者として、
いつもその姿を拝見していました。
長嶋ジャイアンツの投手コーチとしての姿が、
一番印象に残っているかな?!
長嶋監督の信頼も厚くて、
若手投手陣の指南役として、
若き監督を支えてくれていました。
杉下さんからフォークを教わって、
ガラリとピッチングを進化させたピッチャーもたくさんいたと思います。
北別府さんにしても杉下さんにしても、
昭和の日本のプロ野球に燦然と輝いた、
ピカピカの星でした。
在りし日の勇姿を思い浮かべながら、
静かに首を垂れようと思います。
合掌