SPORTS! SPORTS! 寝てもさめても

16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

記録から振り返る高校野球 ⑧四国  ~過去36年の戦績による、近年の傾向~

2015年09月20日 | 高校野球名勝負

かつて、日本最大の野球どころと言われたのは四国。
決して人口の多い地域ではなく、夏の代表も北四国、南四国の2代表しか送れなかった時代が長く続いたものの、
代表になったチームは強く、たくましく、そして上位に必ず食い込んでいた。
今夏の選手権出場校わずか161校。全国でわずか4.1%を占めるにとどまるこの地域が、どうしてそんなに強かったのだろうか。
野球の名付け親、正岡子規を生んだこの【日本野球発祥の地】ともいえる四国を、記録で追う。



≪四国勢の記録≫

*記録の見方;春⇒選抜大会の成績  夏⇒選手権大会の成績

          勝敗; 〇勝〇敗〇引分 勝率 優勝-準優勝-ベスト4-ベスト8



◇香川地区戦績 

2010~2015  春  0-2 .000 0-0-0-0   夏  1-6  .143 0-0-0-0  合計  1-8  .111 0-0-0-0 
2000~2009  春  4-5 .444 0-0-0-2   夏  3-10 .231 0-0-0-1  合計  7-15 .318 0-0-0-3 
1990~1999  春  9-6 .600 1-0-0-2   夏 10-10 .500 0-0-1-1  合計 19-16 .543 1-0-1-2
1980~1989  春  5-9 .357 0-0-1-1   夏 10-10 .500 0-0-1-1  合計 15-19 .441 0-0-2-2
  36年合計   春 18-22.450 1-0-1-5   夏 24-36 .400 0-0-2-3  合計 42-58 .420 1-0-3-7 

 

◇徳島地区戦績 

2010~2015  春  5-5 .500 0-0-0-1   夏  4-6  .400 0-0-0-1  合計  9-11 .450 0-0-0-2   
2000~2009  春  9-7 .562 0-1-1-0   夏 10-10 .500 0-0-0-2  合計 19-17 .528 0-1-1-2 
1990~1999  春  2-6 .250 0-0-0-0   夏 15-10 .600 0-0-0-3  合計 17-16 .515 0-0-0-3
1980~1989  春 17-9 .654 2-0-2-0   夏 13-9  .591 1-0-1-0  合計 30-18 .625 3-0-3-0
  36年合計   春 33-27.550 2-1-3-1   夏 42-35 .545 1-0-1-6  合計 75-62 .547 3-1-4-7 

 

◇愛媛地区戦績 

2010~2015  春  6-5 .545 0-1-0-0   夏  1-6  .143 0-0-0-0  合計   7-11 .389 0-1-0-0 
2000~2009  春  9-9 .500 1-0-0-0   夏 20-10 .667 0-1-2-1  合計  29-19 .604 1-1-2-1 
1990~1999  春 13-9 .591 0-1-2-1   夏 10-9  .526 1-0-0-0  合計  23-18 .561 1-1-2-1
1980~1989  春  8-5 .615 1-0-0-1   夏 14-10 .583 0-1-0-2  合計  22-15 .595 1-1-0-3 
  36年合計   春 36-28.562 2-2-2-2   夏 35-35 .500 1-2-2-3  合計  71-63 .530 3-4-4-5 

 

◇高知地区戦績 

2010~2015  春  5-6 .455 0-0-1-1   夏  8-6  .571 0-0-1-1  合計  13-12 .520 0-0-2-2 
2000~2009  春 13-8 .619 0-0-1-3   夏 13-9  .591 1-0-0-0  合計  26-17 .605 1-0-1-3 
1990~1999  春  7-8 .467 0-0-0-2   夏 12-10 .545 0-0-1-0  合計  19-18 .514 0-0-1-2
1980~1989  春 20-8 .714 2-0-1-1   夏 11-10 .524 0-0-0-3  合計  31-18 .633 2-0-1-4
  36年合計   春 45-30.600 2-0-3-7   夏 44-35 .557 1-0-2-4  合計  89-65 .578 3-0-5-11 

 

 【四国地区戦績】

2010~2015  春  16-18 .471 0-1-1-2  夏  14-24 .368 0-0-1-2   合計 30-42 .417 0-1-2-4 
2000~2009  春  35-29 .547 1-1-2-5  夏  46-39 .541 1-1-2-4   合計 81-68 .544 2-2-4-9 
1990~1999  春  31-29 .517 1-1-2-5  夏  47-39 .547 1-0-2-4   合計 78-68 .534 2-1-4-9
1980~1989  春  50-31 .617 5-0-4-3  夏  48-39 .552 1-1-2-6   合計 98-70 .583 6-1-6-9
  36年合計   春 132-107.552 7-3-9-15 夏 155-141.524 3-2-7-16  合計287-248.536 10-5-16-31 



近年でこそ他の地域に押され劣勢を余儀なくされているものの、四国はかつて『野球王国』と言われた。
高松商がセンバツ第1回大会で優勝を飾り、翌第2回大会でも準優勝に輝いた高松商をはじめ、松山商、徳島商、高知商は≪四国4商≫と言われ、
全国から畏敬の念を持って讃えられていた歴史を持つ。

時代の流れによって、公立の商業高校というのがなかなか野球小僧を集められなくなって久しいが、そんな中でも四国勢は1980~2010年までの30年間では、常に全国の上位に顔を出しつつ勝率は5割を大きく超えるという戦績をあげている。その間優勝は10回を数える。特に【8強進出率】は各地域の中でも群を抜く。春の選抜では、≪四国の初顔は要注意≫ということが長らく言われてきた。74年の『イレブン池田』の準優勝に始まり、76年の『24の瞳』と言われた中村の準優勝。そして79年の川之江の8強、85年の伊野商の初出場初優勝。さらには95年の観音寺中央のこれまた初優勝まで、枚挙に暇がないほどの活躍を見せ続けている。
10年代に入ってから、四国勢は『これがかつてと同じ四国勢なのか?!』とファンを嘆かせる戦いが続いているが、復活への兆し、徐々にではあるが見えてきている気はする。
果たして『野球』という、四国にとって特別なスポーツが、華麗なる復活を遂げるのか。それとも、他の高校スポーツと同じように、『やはり学校も少ないから・・・・』と言われて他の地域の壁を破れず、常に全国の下位に甘んじることになるのか。注目される。

県別では、香川県は観音寺中央が95年にセンバツ初出場初優勝を飾った以外は、ほとんど特筆した戦いぶりを見せていない。80年~90年代の一時期、尽誠学園がチームのピークを迎えたが、90年代にフェードアウト。それ以降は次々に覇権が変わるという構図の中、全国での実績はほとんどない。四国勢の中でも、突出して実績を残せていない香川県高校野球界。かつて水原、三原、中西などのプロ野球を代表する野球人を生んだ土地として、黙っている訳にはいかないと思うのだが。

徳島は80年代の池田の大活躍が記憶に新しい。蔦監督に鍛えられて甲子園で強豪をなぎ倒していく姿は痛快で、『やまびこ打線』の金属音は、いまだに耳にこだまする。83年夏の、夏・春・夏の3連覇という前人未到の偉業への挑戦は、全国民が注目する『大イベント』だった。ワタシはいまだに、『あの池田がKKのPLにやられた』ということを、ココロが拒否する自分がいる。その後、蔦監督が引退してからは池田が大きく力を落とし、新時代に突入。その中では90年代の徳島商、00年代の鳴門工、10年代の鳴門など、各年代にその年代を代表するチームが出現。しかしながら、池田の大活躍を思う時、どうしても物足りなさが残ってしまうのは仕方のないところか。あの池田の活躍は、うたかたの夢だったのか。。。。。。

愛媛は長く、松山商が引っ張ってきた。7回の全国制覇、4回の準優勝は、広島商や中京と並んで『高校野球の顔』の地位を確固なものにしていた。
70年代~80年代半ばにかけては一時期低迷したが、84年に8強入りして復活、86年には甲子園最多安打を記録した水口の活躍などで準優勝に輝き華麗に復活。『足、小技と守りの松商』は健在で、あの96年の『奇跡のバックホーム』での優勝につながっていく。しかしその後はなかなか時代の変化に対応しきれず、01年以来甲子園出場への道を閉ざされている。その間に、上甲監督率いる宇和島東・済美が県内を席巻。強烈な打線を軸に全国制覇2回、準優勝2回の凄まじい実績を残し、時代を駆け抜けていった。そんな中で、今も昔も強豪の座を揺るぎないものとしているのが、県立の強豪、今治西。70年代から活躍するこの学校、00年代に入ってからも7回の甲子園出場、10年代は6回出場と、近年では県内最多の出場回数を誇る。

高知は、他の3県からは大きく出遅れ、初めて甲子園の土を踏んだのは戦後のことだが、それ以降の活躍は目覚ましいものがあった。土佐の『優勝旗なき優勝』に始まり高知の初の全国制覇、高知商のセンバツ制覇や中村の『24の瞳』など枚挙に暇がない活躍をつづけ、多くのプロ野球選手も生んだ。高校野球ファンはこぞって、『高知は日本最大の野球どころ』といい、戦後すぐから80年代にかけては、戦績もずば抜けていた。80年代は勝率.633という凄さ。しかし90年代終盤からは、『高知県人がひとりもベンチ入りしない』年が大半の”野球留学生軍団”明徳義塾が高知県の高校野球界を席巻。これを必死に『高知県人が中心』の高知が追う図式で2強のつばぜり合いが続いているが、かつてほど高知県の野球好きが盛り上がっていない現実は、やはりやや由々しきことだと思っている。何とかこの図式を打ち破る、名門の復活が期待されている。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 記録から振り返る高校野球 ⑦... | トップ | ラグビーワールドカップ2015... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

高校野球名勝負」カテゴリの最新記事