第5回『中国・四国編』です。
昨年からの連続出場が5校中3校、戦力図に変化はありませんでした。
≪選抜出場校 思い出編5≫
中国代表 広島新庄(広島) 3回目(2年連続)
夏2回出場 甲子園通算 4勝3敗
昨年の続いて2年連続の選抜出場を射止めた広島新庄。毎年のように左腕の好投手が生まれてくる土壌は素晴らしく、最近では老舗の強豪・広陵と激しいつばぜり合いを展開しています。広陵との間で、勝ったほうが甲子園を射止めるということすら感じられ、広島の2強の一角ということも言えるでしょうね。広島新庄の素晴らしいところは、昨年の交流試合を含め、4回出場した甲子園の初戦にすべて勝利を収めているということ。簡単には帰らないという強い気持ちが感じられるチームです。チームカラーが守りを中心とした粘りの野球ですから、どうしても突き抜けた感じは持たれないのですが、確実に勝利をものにする堅実さは「さすがは広島県のチーム」とうならされますね。今年は初めて「秋の中国地区No1」という看板を背負っての出場になります。甲子園の初戦では決して負けないチームではありますが、8強に進出したこともありません。そういう意味では、今年のチームは壁を破り上位に進出を狙いたいところです。
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広陵、広島商が君臨する広島県で、最近活躍が目立つのがこの広島新庄。最初にこの学校が強烈に印象付けられたのは、何と言っても13年夏の広島県大会決勝。今でも語り草になっている、瀬戸内との決勝戦です。瀬戸内・山岡(オリックス)と広島新庄・田口(巨人)の小柄なエース同士の投げ合いがとんでもないことになって、延長15回0-0の引き分け再試合となりました。両者一歩も引かずというとその通りなのですが、試合内容は瀬戸内が一方的に押す展開で、広島新庄はこの試合、15イニングでわずか1安打に抑えられましたが、エース田口が13安打を浴びながらも粘りに粘って相手に点を与えなかったという試合でした。野球とは面白いもので、翌日の引き分け再試合、もちろん両エースが投げ合ったのですが、今度は前日とは違って広島新庄が押す展開になりましたが、試合は1-0で瀬戸内が勝利して甲子園を手繰り寄せたという一戦となりました。その結果を聞き、映像を見たりして、「広島新庄というチーム、甲子園で見てみたいな」とワタシは思ったのでした。しかしその願いはあっという間にかなえられ、翌14年の選抜に広島新庄は甲子園春夏通じて初登場。エース左腕は、なんと前年の夏、甲子園への道を阻まれた相手エースと同じ名前の山岡投手。この山岡投手も、なかなかの好投手でした。見事に初戦を2安打完封勝ちすると、2回戦ではなんと、またも15回引き分け再試合の1-1という激闘。山岡投手は15回を完投して、翌日もマウンドに登って完投。結果的にこの試合などが、のちに高校野球にタイブレーク制と投球制限を導入する契機になった試合でした。(この試合+次の試合が連続で引き分け再試合になったことから) そして翌年、その次の年とエース堀(日ハム)で夏に連続出場。広島新庄の名前は、甲子園に轟きわたりました。過去3度の甲子園で、すべて初戦を飾っているというのは見事なこと。そして、広島新庄といえば田口、山岡、堀と”左腕のエースの系譜”がどうしても頭に浮かんでしまいます。小柄ながらコントロールがよく、球の切れが抜群というエースたち。まさに「甲子園で勝てるピッチング」を体得しているエースたちです。ワタシが一番印象に残っている試合は、何と言っても15年の3回戦、木更津総合との試合ですね。広島新庄・堀と木更津総合・早川の左腕同士の投げ合いは試合時間わずか80分。その中にいろいろな要素がぎゅっと詰まった、まさに「極上の投手戦」でした。本当に、「しびれる試合」というのはまさにこのことだなあ・・・・・・・なんて思いながらの観戦でしたね。いつも甲子園で見事な戦いを見せてくれる広島新庄。さすがは広商で一世を風靡した迫田監督が指揮を執る学校ですね。迫田兄弟の甲子園采配も残り少なくなってきたと思いますので、今年の広島新庄、楽しみに見させてもらいたいと思っています。
中国代表 下関国際 (山口) 2度目(3年ぶり)
夏2度出場 甲子園通算3勝3敗
下関国際といえば、なんといっても思い浮かぶのは前回の選抜にも出場した3年前のチームですね。17年夏の初出場時から3季連続で出場した”プラチナ世代”のナインは、夏に躍動しました。初戦の強豪、花巻東戦で、9回に追いつき延長を制すると、2回戦では同じ中国地区の強豪・創志学園のエース西を最終回にとらえて大逆転勝ち。3回戦では「優勝も狙える」といわれた大型チームの木更津中央を堂々と寄り切って8強入り。準々決勝では日大三に対し終始押し気味に試合を進めるも、8回に集中打を浴びて悔しい2-3の逆転負けを喫してしまいましたが、下関国際という名前を全国のファンに強烈に印象付けました。なんといってもエース鶴田の冷静かつキレのある投球が光り、ナインの「負けたたまるか」の粘りも見事。山口県勢としては、久しぶりに甲子園で光ったチームでした。宇部商が甲子園で暴れまわっていた時以来、なかなか甲子園で活躍することが少なくなったかつての『甲子園強豪県』の山口県。新興勢力の下関国際に期待する声が高まっていることでしょう。何せ「下関」という名前がついていますから、オールドファンの期待はいかばかりか。3年前の夏に続き、このセンバツでも大暴れを期待したいですね。
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こちらも全く上記のおかやま山陽と同様、昨夏に初めて甲子園の土を踏み、勢いに乗って秋を駆け抜け初の選抜を射止めた学校です。昨夏の甲子園では、監督が猛練習で選手たちに「やればできる」ということを植え付けて・・・・という、スクールウォーズの世界のようなチームであることが紹介されていました。甲子園では三本松に対して大敗を喫しましたが、その経験を糧にチーム力を伸ばしてきているのか否か。岡山県と同じく、この山口県勢も近年甲子園での成績を残せていません。80年代~00年代初頭にかけては、宇部商、岩国をはじめとした公立の名門校が実にいいチームを作って甲子園にやってきて、「山口県勢といえば粘り強い」ということを甲子園で満天下にとどろき渡らせていましたが今は昔。近年はその公立勢が相対的に力を落とし、それとともに甲子園で勝負できなくなってきています。こちらもまた、目の肥えた県民のファンをうならせるような強豪の出現が心待ちにされていると思います。
中国代表 鳥取城北 (鳥取) 3度目(2年連続)
夏5度出場 甲子園通算1勝6敗
雪深く他県からのアクセスも悪いという、野球を強化するうえでなかなか厳しい環境に置かれている山陰地方。もちろん学校の数も少ないので、なかなか競争原理が働く中で底上げを図るというのも難しいものがあります。そんな中で選手権では半世紀以上8強進出がない、選抜でも81年の倉吉北の4強以外目立った成績を残せていない低迷を続けているものの、この鳥取城北が台頭してきた09年以降、流れは変わりつつあるというのが実感です。選抜では、かつて70年代まで「寒冷地枠」というものが公然の事実として存在し、山陰地区から必ず1校は選抜されるのがお約束となっていましたが、今はすでにそんな地域性という「配慮」はなし。選考は実力での勝負となってきていますので、この選抜出場も実力の高さを見て取ることができます。鳥取も島根も、かつては名門公立校が覇を競っていましたが、鳥取では鳥取城北、島根では開星・石見智翠館・立正大淞南など野球に力を入れる私学が台頭し、すっかり勢力図・実力は変わりました。この「全国レベルを狙う私学」が県のレベルを確実に引き上げていっていますので、今後は期待できるチームも出場してくることでしょう。鳥取城北は、部活動の実績は際立つものがあり、特に相撲部は全国的にも有名です。今は相撲部監督だった石浦氏(大相撲石浦の父親)が校長を務めているんだそうですね。相撲部に負けず、野球部も「全国制覇」への道を拓いていけるのでしょうか。
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わずか20数校の参加校ながら、熱い高校野球好きのファンが多い鳥取県。長らく公立王国としてなおはせていましたが、近年ぐんぐん力を伸ばしてきた”私学”が鳥取城北。全国の強豪と同じように選手を広域から集めて、素晴らしい環境のもと強化するというメソッドは変わらず、その実力はグイグイと県内のトップに躍り出てきました。09年夏に初めて夏の甲子園の土を踏むと、秋の中国地区を制した12年のチームは春夏連続の甲子園出場を飾り、強豪の地位を獲得しました。その後も常に県内トップの戦力を有し続け、13,15,18年とすべての学年が一度は甲子園の土を踏むという流れてこの選抜も出場を勝ち取りました。これからは全国レベルでどのように戦っていくのかが課題。やはり県内、そして中国地区では強豪との対戦経験が限られるので、そのあたりが課題となってくるでしょう。近いようで関西にも山陽にも四国にも遠い鳥取県という土地柄。その中でいかに全国レベルのチームを作っていくのか?一足飛びには飛躍は期待できませんので、地道な努力が望まれると思います。かつて鳥取県には、物議こそかもしたものの、まぎれもない強豪校として君臨した倉吉北というチームがありました(もちろん今でもあります)。彼らの好守、特に打線の破壊力は一級品で、全国のチームに驚きを与える存在でした。鳥取城北は、そういうタイプのチームを志向していくのがいいのでは・・・・・なんて、外野からは思いますけどね。苦労も多いであろう寮生活の学校で、きらりと光るチームワークなんか見せてくれると、ズキンと来てしまうんですよね、ファンとしては。
四国代表 明徳義塾(高知) 20度目(2年連続)
夏20度出場 優勝1回 甲子園通算 59勝37敗
今年も四国、高知からは明徳義塾が出場です。横浪半島の黒潮で鍛え上げられた洗練された野球は、高知県の野球を完全に変えたといっていいでしょう。90年代前半までの「野球どころ・高知」の高校野球のカラーは、『豪快・剛腕・黒潮打線』のチームが中心の、力で相手をねじ伏せるというものでした。しかし90年代から台頭してきた明徳義塾、いや、『馬淵明徳』は、キレのある投手を盤石な守備で盛り立て、総合力と粘りで勝ち上がっていくという総合力の野球。これまでの高知県勢の豪快な野球とは一線を画していましたが、高知の頂点に立ち続けたこの四半世紀の歴史を経て、今やこの馬淵野球こそが『高知の野球』と認識されるような時代となってきています。いや、彼が時代を築いたというべきでしょうか。「豪快に勝つ」よりも甲子園では偶然性を排除した「負けない野球」が大切だという哲学は、何より「甲子園の初戦ではほぼ負けたことがない」というような安定感抜群の野球につながっています。しかし反対にこれまでの高知のチームにあった豪快さというファクターを取り除いた野球は、「乗ったら爆発力はピカ一」という、かつて高知商、高知、伊野商などが甲子園でだれも止めることができず頂点まで駆け上がった「いごっそうの豪快野球」ではないため、明徳はなかなか頂点までは駆け上がることができません。春夏30度以上の甲子園で常に「有力校」といわれながら、優勝までたどり着いたのが1回、決勝まで到達したのもその1度のみという戦績が、明徳の「強みと弱み」を如実に表しているかもしれません。
全国に登場してきた時期が同じで、そして参加校が少ないという県大会を制した回数や全国での戦い方など似ている点が非常に多く、常に比較される対象となっている智辯和歌山の戦績と明徳を比較するとよくわかります。明徳は甲子園での決勝進出は1度ですが、爆発力のあるチーム作りを推し進めた智辯和歌山は優勝3度、準優勝4度と、7回決勝に進んだ傑出した実績があります。時に不安定な戦いになることがあっても、豪快に打ち勝つ智辯和歌山の野球にファンが非常に多いのは、「爆発すれば頂点まで駆け上がる」期待が大きいからなのではないでしょうか。(ただし明徳ただ1度の優勝の時、決勝の相手は智辯和歌山でした。)
最近では、2014年選抜と2019年夏に両校の直接対決が2回あります。14年選抜は3-2で明徳の粘り勝ち、19年夏は7-1と智辯和歌山が一気の打線爆発でひっくり返しました。この2度の対戦が、両校のチームの特徴をよく表している感じがして、面白いですね。14年春は明徳が「接戦に持ち込んだ負けない野球」で智辯和歌山の勢いを抑え込み、逆に19年夏は智辯和歌山が爆発力で一気に明徳を葬り去ったというものです。馬淵明徳の野球。最近もなかなか上位進出できないような流れになっていて、「最後は力のチームに押し切られる」という負ける時のイメージが、ワタシの中にもこびりついて離れません。戦績に見合うだけの栄光は、まだつかんでいないということを感じてしまいます。
さて、馬淵監督もすでに65歳を迎え、監督としても晩年を迎える年齢になってきました。もう一度、どうしても全国の頂点まで駆け上がりたい思いは、誰よりも強く持っていると思います。今年のチーム、例年通りなかなか負けにくいチームにはなっているようですが、大阪桐蔭や天理、東海勢、関東勢など爆発力のあるチームを、甲子園の大舞台でどのように倒して全国の頂点まで駆け上がる戦略を立てているのでしょうか。
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明徳の選抜出場も、19度目になりました。夏も20度の出場。その過去38回の甲子園、昭和の時代が5回、令和の時代は1回(昨夏)で、その他の32回の出場はいずれも平成の時代に成し遂げられています。まさに平成という時代を最初から最後まで駆け抜けたという意味では、智辯和歌山とともに「平成の高校野球を代表する学校」と言えるでしょうね。(ちなみに智辯和歌山は37回の出場中、平成では34回の出場。) 智辯和歌山がその平成時代に63勝を挙げているのと比較して、明徳義塾は50勝。まあ勝利数は遜色ないと思いますが、大きく水をあけられているのがその優勝/準優勝の回数。智辯和歌山が優勝3回、準優勝4回と7回もの決勝進出を果たしているのと比較して、明徳義塾は優勝1回、準優勝なしと、まだ決勝という晴れ舞台に進んだのはたったの1度。明徳は「甲子園での初戦は負けない」という神話をずっと保ち続けてきましたが、反対に「頂点まで勝ち進んでも行かない」チームであるという事も言えます。このあたりの違い、県大会では出場校も少ない地区に属するという非常に似通った環境である両校の間で、お互いに名将である高嶋監督、馬渕監督はどんな話をしているのでしょうか。円熟味を増したというよりも、還暦を超えてもうあまり監督としての時間も潤沢に残されているわけではない馬渕監督が、どのように今後チーム作りしていくのか、注目しているところです。
智辯和歌山は高嶋監督が引退し、中谷監督が就任。そして昨夏、その中谷智弁と明徳の直接対決も行われ、明徳はまさかの逆転負けを喫しました。負けん気の強さでは並ぶものなしの馬渕監督、強烈にリベンジを誓っていることでしょう。その他でも、大阪桐蔭の西谷監督や星稜、そして県岐阜商の鍛治舎監督など、因縁のある「倒したい相手」はてんこ盛りの今大会。馬渕采配は冴えわたるのか、それとも。。。。
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今年も明徳義塾が、甲子園に出場してきました。00年代に入って、聖光学院、智弁和歌山、大阪桐蔭らと並んでこの明徳も、「甲子園出場が年中行事」の常連校の地位は揺らいではいません。この明徳、智将・馬淵監督に率いられ、37回も甲子園に出場しながら、いまだに決勝に進出したのは優勝した02年夏だけというのに、驚きを感じるファンも多いと思います。大阪桐蔭や智辯和歌山などと比較して、『最上位までは駆け上がれない』という歴史に、ベテラン馬淵監督は今年こそ終止符を打とうと目論んでいます。そのために明治神宮大会を、明徳には珍しくシャカリキに取りに来てそして秋に一足早く「全国制覇」を成し遂げました。今年の明徳、ちょっと今までとは、気合の入り方が違います。本気の本気で、紫紺の旗を獲りに来る春となることでしょう。さて、その思い出については、昨年、一昨年の記事を書きにコピーしましたので、ご覧ください。
その前年の記事;(コピー)
昨年は『お約束』の春夏連続出場を成し遂げた明徳義塾。まさに甲子園は『年中行事』の一つでしすが、春は何もできないまま初戦敗退し、甲子園の初戦は絶対に落とさないという『明徳神話にも陰りが出てきたか』と噂されました。しかし夏は見事に立ち直って4強に進出。明徳健在を力強く印象付けました。そのいい流れを汲んだ今年のチームは、馬淵監督をして『今年のチームで全国制覇を狙う』と宣言するほど自信を持ったチームのようです。総合力が高い明徳は、県内、そして四国内でライバルチームが少ないという事情もあるものの、およそ30年にわたって『3年明けたことがない』ぐらい頻繁に甲子園へ足跡を刻み続けてきています。しかし四国はかつての”四国四商”が元気だったころと比べて、明らかに地盤沈下を起こしている印象がぬぐえません。『四国の代表は、どこでも甲子園の優勝を狙える』と言われたのは今や昔。昨年は高松商が久しぶりに甲子園を沸かせてオールドファンが歓喜に包まれましたが、今のところ四国勢で『間違いなく全国制覇を狙える』というチームは、残念ながらこの明徳をおいてほかにはないという状況が続いています。それだけに明徳にかかる期待も大きいのではないかと思われます。今年馬淵監督をして『優勝が狙える』と豪語するこの明徳のチームが、全国の強豪に対してどんな戦いをするのか、全国のファンはかたずをのんで見守っている・・・・・という感じですね。
そのまた前年の記事;
高校野球ファンにはおなじみの明徳義塾。良しにつけ悪しきにつけ、本当に話題になるチームですね。『何もない』須崎半島の山の中にでんと校舎を構え、まさに『虎の穴』のようにスポーツ選手を鍛え上げる、特徴を持ち筋の通った学校です。野球のみならず、ゴルフ、相撲、サッカーなどなど、有名スポーツ選手の輩出は引きも切らず、『こんな田舎から、こんなすごい選手が』と驚きを持って、世間からは見られています。高校野球の世界でこの明徳の名を初めて耳にしたのは1979年(昭和54年)。それまで3強(高知商・高知・土佐)が覇権を独占していた高知の高校野球界に、『何やら新興の私立で、野球にえらい力を入れる学校ができるらしい』との噂が。それが明徳でした。初代監督に高知商の監督などを歴任した老将・松田監督を据え、素晴らしいグラウンドと全寮制の施設を兼ね備えた『本気で甲子園を狙うチーム作り』が話題になりました。翌80年、春の選抜で中西投手を擁する高知商が悲願の全国制覇を達成。高知はまさに『高知商の時代』が到来していましたが、この『最も強かった高知商』に果敢に挑んでいったのが明徳でした。のちにプロ入りする河野(元日ハム・巨人)をエースに、4番には横田(元ロッテ)を据えた『自称実力全国一』のチームは、高知商を土俵際寸前まで追い込んで、まざまざとその力を見せつけたものでした。そして57年春には初めての甲子園へ。これが明徳の甲子園デビューなのですが、その時がまたすごかった。前年の明治神宮大会で早実を力で破って見せて初出場ながら優勝候補の一角に堂々と名を連ねていた明徳。初戦では瀬田工(滋賀)を難なく退け、2回戦で”優勝候補筆頭”の箕島と対戦しました。この勝負が延長14回の逆転に次ぐ逆転の、『選抜名勝負』のひとつに数えられる激闘。明徳はこの試合で、松田監督の試合後の『武蔵が小次郎に敗れたわい』という名言とともに、甲子園のファンに『明徳強し』を印象付けたのでした。翌58年センバツでは、準決勝で夏春連覇を狙う【最強池田】に堂々と挑んで、8回までリードという試合を繰り広げました。最後は逆転負けしましたが、『明徳はさすがに高知でもまれた強豪だ』と、誰もが思ったものでした。ちなみにこの時期の蔦監督率いる【最強池田】も、明徳のことは大の苦手。蔦監督をして、『1県1代表になっていて本当によかった。もし昔みたいに、高知と南四国大会をやらなければならなかったら、明徳がいるけん、甲子園にも出れんかもしれん』
と言わしめるほど、あの池田にとっても、明徳は手ごわい存在でした。そこからしばらくの『昭和時代』の明徳が第1期だとすると、馬渕監督の『平成時代』が第2期ですね。厳密にいうと、甲子園の試合直前に出場を辞退した05年までが第2期、そこからの苦難を経て現在までが第3期だと思いますね。第2期の始まりは、物議をかもした星稜・松井の5打席連続敬遠という『負の遺産』を背負っての船出でしたが、その後はほとんど高知県で『明徳1強』の時代を築き、98年からは夏の選手権に7年連続出場という偉業も成し遂げました。(当時戦後最長の連続出場記録)その間、02年には悲願の全国制覇も達成。『明徳義塾』という名前は、高校球界の1大ブランドとして、君臨していきましたね。昨夏ついに止まったものの、【初戦勝利】の記録をずっと続けたのは、本当にすごいことです。何しろ、32度も甲子園に出場して、初戦で敗れたのがたったの3度。ものすごい記録です。しかし、それだけ初戦を勝ち上がりながら、まだ決勝には1度しか進出できていないというところに、明徳の隠れた『弱み』の部分がありますね。データを元に、試合を完ぺきなまでに組み立てられる初戦には無類の強さを発揮するものの、どんどん違う相手が出てくる上位まで勝ち進み、その試合を勝ちきるというたくましさを持ったチームが、なかなか出来上がっていないようにも見えます。そのあたりの課題に、ベテランの域に入ってきた馬渕監督、どんな答えを出していくのでしょうか。いよいよあの若かった馬渕監督も還暦を迎え、明徳の≪第3期黄金時代≫を築くのか?注目されます。
四国代表 聖カタリナ学園(愛媛) 初出場
夏出場なし
女子校から共学に学校を変え、共学化とともに野球部を創設。強化に乗り出したという学校は全国にたくさんありますが、とくに有名なのはこの愛媛の済美でしょうね。宇和島東の名将としてすでに全国制覇も達成して一時代を築いていた名将を新設校の指揮官に据え、さっそく2年でまさかの全国制覇という最高の結果を出した学校でした。その済美を育て上げた上甲監督の教え子である越智監督が、これまた一から育て上げたのがこの聖カタリナです。越智監督は、松坂世代の一人ではありますが、正直宇和島東の時代の印象はほとんどありません。早稲田の主将になって、あの02年組の超絶な強さの時の主将ということでは、印象に残っています。越智という苗字は愛媛県では非常に多いという印象がワタシにはあって、高校野球のシーンにも、また知り合いにもけっこういるので、この越智監督が特に印象に残っているわけではありません。ここのところ、愛媛県の高校野球の勢力図も変化の兆しがありますね。90年代の松山商、宇和島東の2強時代から、今治西が盛り返し、済美を含めた”新2強”時代を経て、最近では松山聖稜、帝京五など新たな監督を県外から招聘して力を伸ばしてきた勢力も伸びてきて、甲子園にちらほらと顔を見せるようになってきています。そしてこの新顔、聖カタリナの登場。長らく『甲子園最高勝率』を誇っていた愛媛の野球も、だんだんその勢力図は変化してきて、新たな時代に入ってきますね。いずれにしても、春夏を通じて初めての甲子園というのは、学校にとっても生徒にとっても、本当に特別なものがありますから、たくさんの思い出とともに、これからの甲子園での活躍を予感させるような戦いを期待しています。
(つづく)