選抜高校野球の季節が、
まためぐってきます。
すでに代表32校は決定し、
代表校はまだかまだかと胸を膨らませながら、
今や遅しと練習に励んでいることでしょう。
その選抜高校野球、
今年で第84回を迎えます。
夏の大会から、
ちょうど10回分引いた回数となっていますね。
夏の甲子園と違い、
秋の成績を参考にした【招待大会】の趣の強い大会なのですが、
球児たちにとってこの甲子園での全国大会は、
春だろうが夏だろうが、
夢の舞台であることに違いはありません。
しかしその試合内容は、
まだまだ1年間の『中間地点』に位置する大会のため、
『これが最後』という切迫感がなく、
ある意味ややのんびりとみることが出来る大会であることも、
否定できないと思います。
各校の監督さんたちも、
『春は夏の通過点』
『最大の目標は夏』
と公言してはばかりませんので、
ワタシたち見る側にとっても、
ややその熱中度も低いのかなあ、
という気がしないでもありません。
しかしこの春の選抜。
今年の野球シーズンの始まりを告げるという意味で、
本当に思い出に残る大会となっていることも確かです。
まだまだ蕾の球児たちが繰り広げる激闘、
夏の甲子園に負けず劣らず、
過去にも幾多の名勝負を生み続けてきました。
そんな名勝負を、
勝手にランキング形式で振り返りたいと思います。
あ~あんな試合もあったなあ、
とか、
この試合凄かったんだよ、
とか、
ワタシにとっても色々思い出に浸りながらの楽しい作業です。
あくまでワタシが勝手に選んだランキングですので、
あの試合はど~なってんだよ!
はご容赦を。
それでは、
まず第1回目として、
10位~8位までを。
≪選抜高校野球名勝負40年史≫
次点 第81回(H21) 決勝 清峰 1-0 花巻東
この試合は、悲劇や感動といったカテゴリーよりも、ただ両投手の素晴らしい投球に酔ったということで、入れて見ました。
清峰・今村、花巻東・菊池は左右の本格派というだけでなく、
これまで長い歴史の中で”優勝”という金字塔を打ち立てたことがない県である長崎と岩手の悲願を背負ってという面においても、よく似た存在でした。
そして、わずか5年ほどの間に一気に階段を駆け上ってきた過疎地の高校である清峰を率いる吉田監督と、
東北初の栄冠を目指して『取り組みは日本一』と言われるチームを作ろうと奮闘してきた佐々木監督の、
情熱と情熱のほとばしる見事な戦いでした。
清峰の今村は、
スッと力を上手く抜きながら相手を抑えるすべを体得しているかのような”大人の”投球。
対する菊池は,
『ウオー』と雄叫びを上げながらバッタバッタと三振を取っていくスタイル。
両投手は、
いずれ劣らぬ剛腕ながらその投球スタイルは全く逆というところも、面白かったですね。
栄冠は清峰の今村の上に輝きましたが、
春の栄冠を手にした今村が夏は予選で敗れたのと比較し、
敗れて涙を流した菊池は夏にまた甲子園に戻り、話題を独り占めしたのを見ると、
春に勝つということは夏に向けてはさらに重い荷物を背負うことなんだなと思った記憶があります。
これほど見事な投げ合い、なかなか見られるものではありません。
ということで、この決勝戦は忘れられない試合となっています。
第10位 第62回(H2) 準決勝 新田 4×-3 北陽 (延長17回)
延長の激闘と言えば、この試合も忘れることはできません。
・一人で投げ続ける細腕投手
・カクテル光線の中での対戦
・サヨナラホームランでの決着
激闘の要素をすべて含んだ決着となったこの試合、舞台は準決勝でした。
北陽のベテラン・松岡監督にとっては、
長い監督生活の中甲子園での最後の采配となりました。
北陽のエース・寺前は大会前から注目されたピッチャーの一人。
その細身の体から、しなるような腕の振りでストレートとスライダーを投げ分け打ち取るタイプ。
その好投手が準決勝で迎えたのは、
まったくの無印ながら松山商であの【三沢vs松山商】戦で采配を獲った一色監督が就任してグイグイと力を伸ばしてきた愛媛の初出場校、新田。
大柄な選手がブリブリと振り回してくるパワフルな打線で、
2回戦の日大藤沢戦では3点ビハインドの9回にサヨナラ3ランで決着をつけるという派手な戦いぶりで勝ち上がってきました。
試合は白熱したまま延長へ。
この日は気温もあまり上がらなかったことから、
寺前は14,15,16・・・・と回が進んでも結構涼しい顔で打者を打ち取っていきました。
しかし、さほど打力があるわけではない北陽は、
相手の山本投手から1点が奪えず、好投の寺前を援護できない展開。
そんな試合の中、なんとなく『引き分け再試合』という事が頭をよぎった17回、
新田の池田が振り抜いた打球は、
カクテル光線の中ゆっくりゆっくりとレフトスタンドに吸い込まれていったように見えました。
美しい光景でした。
北陽はさかのぼること数年前、昭和56年の夏にも、
カクテル光線の中延長12回のサヨナラアーチで名電に敗れ去ったことがあります。
あの時の高木投手と同じように、茫然と打球の行方を見送る寺前投手、悲劇のヒーローとして長く記憶に残る選手でした。
ちなみにもし北陽が勝っていれば近大付属との大阪決戦でしたので、
大阪の街は大いに盛り上がったことでしょう。
ところでもし大阪決戦になっていたら、
北陽・松岡監督は自信満々だったそうです。
それだけに、悔やんでも悔やみきれない一発でした。
第9位 第48回(S51) 2回戦 崇徳 4-1 鉾田一
悲劇と言えば、こんな悲劇もあったんだというような試合です。
小学生だったワタシのココロに、深く刻み込まれた試合です。
鉾田一高・・・・殆ど全国的には無名のこの学校、昭和50年代には素晴らしい投手を毎年輩し、一世を風靡したことがありました。
初出場だったこの年、鉾田一のエースは剛腕の戸田投手。
上背はないがガッチリとした体格から投げ込まれるストレートは、
ズドーンと音がするような重さを感じるもの。
またこの投手、左腕にありがちな制球難という特徴もきっちり備えていて、
ハラハラドキドキ・・・・を演出してくれる投手でした。
その戸田投手。
全国へのデビューとなった初戦の糸魚川商工戦で、”名刺代わり”にどんどんストレートを”ちぎっては投げ””ちぎっては投げ”、なんとノーヒットノーランを達成します。『すごい投手が現れた!』これが彼を表する新聞の見出しでしたが、同時に7四球の荒れ球の面もきっちり見せてくれたのが彼らしいところ。
2回戦では”原爆打線”を持つ優勝候補の崇徳との対戦でした。
崇徳の打線はそれはものすごい打線。
エース黒田(元ヤクルト)、山崎(元ヤクルト)、応武(元早稲田大監督)、小川など、とにかくすごすぎるほどの打線でした。
野武士のようなたたずまいからたたみかける攻撃の凄さ、今でも語り草になっているほどです。
しかし”ノーヒッター男”戸田は負けていませんでした。悲
しいほど打てない味方打線が相手エース・黒田に翻弄されているのを気にするそぶりも見せず、バッタバッタと相手をなぎ倒していきます。
試合は両軍まったく攻撃の糸口をつかめないまま8回裏の鉾田一の攻撃へ。
ここで登場はエースの戸田。
スラッガーでもある彼が放った打球は、快音を残してライトスタンドへ。
涼しい顔でダイアモンドを一蹴する姿、ワタシが子供心に感じた『もっともカッコいい選手』でしたね。
9回のマウンドに上がっても、周囲の喧騒などどこ吹く風。簡単に2アウトを奪います。
そして次打者の放った打球はファースト正面の緩いゴロ。
誰もが『終わった』と思った瞬間、カチカチになったファーストがあろうことかトンネル。
しかし気を取り直した戸田が次打者もゴロに打ち取り『今度こそ終わり』と思われたものの、これもまたエラー。
(記憶では一塁手が連続エラーしたような気がしますが、ひょっとしたら2塁手だったかも。記憶は定かではありません)
こうなるとさしもの戸田も平静でいられなくなったのでしょう。
ストライクを集めようと力んだ球が真中に集まり始め、そこを崇徳の打線がこれでもかと打ち返しました。
気が付くと、スコアボードには4という文字が。
稀代の剛腕・戸田はその凄さの余韻を残して甲子園を去り、
首の皮一枚から息を吹き返した崇徳は、
この後は無人の野を行く野獣のごとく、初出場初優勝まで突っ走るのでした。
ちなみに、戸田は夏の大会でも延長で打ち込まれて甲子園を去りましたが、
この時は『春の借りを返す』とばかり攻撃陣が踏ん張り、9回土壇場で追いついたことが忘れられません。
あの打てない打線がよくぞ・・・・と思った思い出があります。
この試合も、カクテル光線に照らされて、美しかったあ。
いずれにしても、甲子園が生んだ剛球左腕・戸田は、
その凄さをファンの目に焼き付けて、甲子園を去ったのでした。
第8位 第57回(S60) 準決勝 伊野商 3-1 PL
すげ~が止まらなかったという意味で、思い出に残っている試合です。
PLは、『本当の意味での強豪』
桑田、清原というスーパースターを擁し、他の選手たちもすべてがプロ注目になり得るようなレベルの高さを誇っていました。
『高校野球の生んだ最高傑作』と言っていいチームだったでしょう。
1・2年までの彼らは、甲子園で優勝、準優勝、準優勝と3大会連続での決勝進出。
全くスキがないと言われたこの3年生の春は、『PL以外に優勝候補なし』とまで言われたチームでした。
しかし迎えた春の選抜。彼らの野望の前に敢然と立ちはだかった投手がいました。
伊野商業の渡辺投手です。
彼は後にオリンピック代表、西武ライオンズとそれなりに光る野球人生を歩きましたが、
彼のピークの投球は、この一戦以外にありえないというのがワタシの思うところです。
『この大会』ではなく、『この一戦』です。
だって後にも先にも、
彼がこんなすごいピッチングを見せたことはありませんでしたから。
そういった意味では、まさに【ゾーン】に入った状態だったんでしょうね、この日の彼は。
この日までの彼は、3試合で4失点。
毎試合コンスタントに7,8安打は供給するその姿は、『剛腕と呼べなくもない』ぐらいのレベルでした。
対するPL打線は絶好調。
決して恵まれた組み合わせではなかったにもかかわらず、
3試合で24得点をたたき出し、まさに『敵なし』の状況でした。
そんな中始まったこの準決勝。
伊野商にはほとんど勝機はないと言われていました。
しかし初回に2点を奪ったことが、
渡邊の気持ちを軽くしたのでしょうか。
あの恐ろしいPL打線を向こうに回し、
恐ろしいほどの落ち着きで次々とアウトを重ねていきます。
ここという時に対する清原に対しては、殆ど直球で勝負を挑み3三振。
完膚なきまでに叩きのめしてしまいました。
伊野商??どこの代表???
と言っていた世間の目を、すべて彼に向けさせるほどの凄いピッチングでした。
今以上に高校野球が注目されていた時代、PLが敗れることは一つのニュースでした。
この凄い渡辺が、
決勝では帝京を相手に前日とは打って変わって”大したことない”ピッチングだったものの、軽々と完封。
それを見ていたワタシ、改めてPLの凄さを垣間見たという逆説的な思い出もあります。
それほどすごい渡辺のピッチングでした。
しかし敗れたPL、ただで終わるはずはありません。
この悔しさを持って夏の戦いに挑み、
見事に最後の夏に全国制覇を達成したこと、
書き添えておきます。
<第1回 了>
岩倉も負けると思われていましたが、PL打線が最後まで翻弄され、負けてしまいました。
野球は強い方が必ず勝つとは限らないスポーツだと思います。
こういう番狂わせがあるから、また楽しいんですね。
甲子園史上最強の番狂わせは、池田ーPLだと思います。
池田は清原はマークしていて、4三振でしたが、桑田をマークしていなかった。
伊野商の投手は、清原はもちろん、桑田もマークしていたから、勝つことができました。
「う~、こういう同年代の高校野球好きの方と、一献酌み交わしながら当時のことを語り合いて~~~」と思いながらコメント読みました。
崇徳は大型チームということでは、あの広島県史上でも類を見ない凄さを持っていましたね。しかも春も夏も、結構ふらふらした試合をしちゃいながら、最後は力で圧倒するという『ドラマ性』を持った、まさに野武士軍団でした。最近出ている高校野球の本の中に当時の崇徳のチーム事情が載っていた項を見つけ、懐かしく読みました。それにしても惜しかったのは、エース黒田が高校からすぐプロ入りしなかったこと。もしすぐにプロ入りしていれば、相当のピッチャーになっていたと、今でも思っています。