SPORTS! SPORTS! 寝てもさめても

16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

10.19 パ・リーグが熱く燃えた日

2014年01月18日 | プロ野球

昨日ふと文化放送を聞いていると、
スポーツの特集をやっていました。

内容はというと、
10.19パ・リーグが燃えた日ということで、
1988年の川崎球場、
言わずと知れた近鉄vsロッテのダブルヘッダーのインサイドストーリーでした。

『当時の音源をもとに、当事者に振り返ってもらいながら』
ということで、
なんだかおもしろそうだと思い、
ワクワクとしながら聞いてしまいました。

『なぜこの時期に??』

という疑問は残りましたが、
当時から西武のファンだったワタシは、
当時を懐かしく振り返ることが出来ましたね。

試合の模様は、
何度も何度も、
テレビ、ラジオ、書籍などで振り返られていますので、
振り返りませんが、
当時の空気感みたいなものは、
ラジオならではの臨場感で振り返ることが出来ました。

文化放送のライオンズナイターは、
始まった当初からワタシのお気に入りの番組でしたが、
その日、
ワタシは田舎のとある街にいたためライオンズナイターは聞けずじまい。

それと同時に、
あの10.19のテレ朝のニュースステーションをぶっちぎって試合終了まで行われた伝説の中継も、
その田舎町には流れることはありませんでした。
(何しろ民放は日テレ、TBS系の2局の地域でしたので)


その日ワタシは、
夕方過ぎからラジオの中継に耳を傾けていましたっけ。
(その中継がどこのラジオ局の中継だったかは、さっぱり思い出せませんけど)


そんな当時の状況を思い出しながら聞いていたのを懐かしく思い出していました。

昨日のラジオ番組は、
文化放送もこのダブルヘッダーを中継する予定は全くなく、
ラジオ大阪に中継のブースを明け渡してしまったことなど、
ワタシにとっては『驚いたなあ・・・・』というようなことが語られていました。

第1試合で近鉄が激勝した後、
『これは中継しなきゃなんねえ…』
と思った文化放送は、
空いているアナウンサーに招集をかけ、
川崎球場でブースのないところでパイプ椅子に座り、
新聞取材でたまたま中継に来ていた西武OBの解説者である山崎裕之氏に急きょ解説を依頼し、
中継を行ったということが語られていました。
(中継機材は、街角中継などをやるときに使用するものを急きょ使ったそうです)

そんなこと、
昨日まで全く知らなかったワタシは、
『へえ~~~~』
を何十回も押しながら昨日の番組を聞いていました。(表現が古いねえ、我ながら)

いずれにしても、
各地でそんなことが行われながら、
日本中を巻き込んだ1日になったのですねえ、あの日は。

思えば、
昭和天皇が倒れられ、
ソウルオリンピックも行われた1988年。

関西の老舗球団である阪急、南海が相次いで球団を手放し、
球界が大激震に揺れた年でした。

そしてもちろん、
昭和最後のプロ野球シーズンとなった年でもありました。

新しい時代の波がもうすぐそこまで来ていた時代の、
『事実は小説よりも奇なり』
の言葉通りの激闘でしたね。

その激闘を戦った野武士球団、
近鉄バッファローズも今はなし。
追憶の中にだけ存在する、
幻の球団となってしまいました。

ワタシは、
いまだに『オリックス・バッファローズ』という名前に、
慣れることが出来ません。

バッファローズという名前は近鉄のもの!!

そんな思いが、
いまだに心の中に渦巻きます。

(ちなみに、オリックスと言えばやっぱり”ブルーウェーブ”だろ~!と思っております。やっぱ打線は、ブルーサンダー打線じゃねーとなー)


そんなことを思い出しながら、
懐かしく聞いた1時間でした。


ライオンズファンとしてはもちろん、
『最強だった、あの頃』
と遠い目になってしまうのは、
仕方のないところかもしれませんね。
(でも西武HDの再上場がほぼ決まり、来年ぐらいからは徐々に球団もよくなってくるのかな~なんて、期待していますがね。)

ということで、
ノスタルジックに浸った、
なんてことのないよもやま話でした。


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