≪選抜出場校の思い出2024 その3≫
関東代表 常総学院(茨城) 11度目(3年ぶり) 優勝1回 準優勝1回
夏16度出場 優勝1回 準優勝1回 甲子園通算42勝24敗
2016年までは茨城県で『絶対』を誇っていた常総学院が、その後はなかなか甲子園に姿を見せなくなりました。前回3年前の選抜に島田新監督とともに姿を見せた常総学院ですが、あの強かった頃のチームと比べて様々な面でスキが多く、勝ち上がるにはまだ時間を擁するなという感じでした。そろそろ「ユニフォームで相手をビビらせる」神通力も切れかかってきた昨今、どんな新しい姿を見せてくれるのか、注目しています。昭和の最後から出場し始めて、平成の30年間までで25度もの甲子園出場を誇り、春夏ともに優勝、準優勝に輝くという、まばゆいばかりの実績を誇る常総学院。その茨城野球の総大将であった故・木内監督の薫陶を受けた「木内門下生」が、茨城県内の各校で次々に監督として実績を残しています。「常総1期生」の島田監督は、今後常総学院にまた輝きをもたらしてくれるのか?追われる立場として、苦しい戦いを強いられることも多い常総学院ですが、したたかに僅差を逃げ切る木内マジックを受け継ぐ野球を、また甲子園で見せてほしいものです。
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さあ、常総学院が甲子園に帰ってきました。16年にエース鈴木(ロッテ)を擁して選手権8強に入って以来遠ざかっていた甲子園。2010年代に入って佐々木監督の下、新しい常総カラーを出して新たな時代を迎えたと思っていた常総学院が、4年間足踏みをして甲子園出場を果たせませんでした。その間も茨城県大会や関東大会などでは常に「優勝候補」の冠を抱いての戦いでしたが、「あと1勝」などのところで必ず一敗地にまみれてしまう戦いが続きました。「まさか」の負けが続いたチームは、ついに昨夏、指揮官を交代して新たなチーム作りへと一歩踏み出しました。前佐々木監督は「取手ニの全国制覇メンバー」でしたが、新しい島田監督は「常総学院の全国準優勝エース」としてプロでも鳴らした人。ともにあの木内幸男監督の愛弟子です。「木内常総」として浮かぶのは、「何を仕掛けてくるかわからない」という試合巧者の姿。木内監督がベンチに座ってニヤッとしただけで、相手チームは疑心暗鬼に襲われ、通常のマインドで試合ができなくなってしまうという感じでした。佐々木監督は打って変わって、オーソドックスで正統派の野球を好み、トータルで相手を上回るという野球を目指した監督でした。さて、島田監督はどうでしょうか。『甲子園のスター』としてまばゆい光を放っていた高校時代、そして長い年月を過ごしたプロ野球。それらの経験をミックスして、これまでの木内野球、佐々木野球にはない味付けをチームに施すのでしょうか。「プロ出身のOB監督」が昨今はちらほらとみられるようになってきていますが、その代表格は智辯和歌山の中谷監督、天理の中村監督といったところでしょうか。いずれも甲子園の優勝を経験し、その後プロに進んで下積みを経験し、そのすべての経験をチーム作りに還元していると感じることができる監督さんです。さて、島田監督のチーム作りはいかに。今大会、優勝候補に名前は上がりませんが、注目度は高い常総学院。もちろん、昨年亡くなった”チーム中興の祖”木内監督の弔い合戦という意味合いもある大会です。さっさと負けて帰るようじゃあ、木内監督に顔向けできませんよ。あの「島田スマイル」が何度も甲子園に咲くことを、期待しています。
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もう、言わずと知れた北関東の代表的なチームで、名物監督である木内監督の姿とともに、高校野球ファンの脳裏に焼き付いて離れないチームです。今では強豪の名をほしいままにしている常総ですが、その登場は新しく、甲子園初登場は昭和62年のこと。まだ30年ほどの歴史しかありません。そして最初の登場は、『繰り上げ出場』だったこともまた、珍しいことですね。何しろ取手二であの強かった”最強PL"を破った木内監督が就任して、高校野球界の話題を独り占めしていた常総学院。『いったいどんなチームに仕上がるんだろう』とかたずをのんで見守っていたファンの前に登場したのは、大会のわずか数日前にバタバタと補欠校から繰り上がって出場したチームでした。しかしあのえんじ色の早稲田カラーのユニフォームが甲子園で躍動するまで、さほど時間はかかりませんでした。甲子園で戦うための準備など何もしていなかった『繰り上げ出場』の選抜大会では初戦敗退したものの、その悔しさと経験を持って臨んだ夏の甲子園では、そのえんじのユニが、甲子園狭しと躍動しました。小さなエース島田に一年生ショートの仁志ら、のちにプロ野球で活躍する選手も揃えたこの軍団は、この一度の甲子園だけでファンの脳裏に深く『常総学院』という名前を刻みつけました。尽誠学園・伊良部、沖縄水産・上原、中京・木村とのちにプロで活躍する三人の好投手を次々に攻略、そして『大会NO1』の呼び声が高かった東亜学園の川島相手に島田が一歩もひるむことなく投げ合い、最後はサヨナラで決勝進出を決めた準決勝は、語り草になるほどの好試合でした。決勝では春夏連覇のPLに敗れましたが、”大会の華”は間違いなく常総学院でしたね。その後は春も夏も全国制覇を遂げ、木内監督引退までの間に獲れる栄光はすべて獲った感のある常総学院ですが、やはり最初に挑んだ昭和62年の夏の大会が、いまだにワタシには一番印象に残っています。ワタシの勝手な印象なんですが、昭和59年の取手二、そしてこの62年の常総学院の頃の『木内采配』は、選手を伸び伸びとプレーさせるということが徹底されていて、『グラウンドに出たら選手に任せる』という様な采配だった印象が強いです。しかしマスコミに過度に『木内マジック』と喧伝され、また木内監督を慕って数多の好選手が集まってくるようになってから、なんだか試合の中で采配をこねくり回すような感じになっていった気がして、その変化があまりワタシ自身は好きではありませんでした。90年代~の木内采配は、『勝つための方法論』が変化したように、感じていました。
しかし2013年夏、佐々木監督が久しぶりに『オリジナルの常総らしいなあ』という戦いぶりを見せてくれて8強まで進出。更に昨春の8強進出。そのチームの変化が、なんだか妙にうれしくて、また常総を一生懸命応援するようになってきている自分に気が付いたりもしています。今の常総学院、いいチームです。いい野球をします。今年もまた、オーソドックスな戦法の中にキレを感じさせる野球で、上位を狙ってほしいものです。
関東代表 中央学院 (千葉) 2度目(6年ぶり)
夏1度出場 甲子園通算0勝2敗
2018年に野球どころ・千葉からすい星のごとく飛び出してきた中央学院。いきなり秋季関東大会で優勝し、投打の2刀流・大谷投手を擁して春夏ともに甲子園にやってきました。しかし甲子園の水は苦かった。春は明徳義塾の前に大逆転サヨナラ負け、夏も済美に1点差の惜敗を喫し、甲子園で校歌を歌うことなく帰還となってしまいました。それから6年。やはり強豪ひしめく千葉で頭角を現すのは厳しく、上位に常に顔を出すものの、甲子園をつかむというところまではいきませんでした。しかし昨秋、秋季千葉大会のブロック戦で敗れながら、そこからチームは目覚めて千葉県大会を制覇、さらに関東大会で1勝を挙げて2度目の聖地を手繰り寄せました。まだまだ全国的に名前が売れているというところまでは来ておらず、中央学院といえば世間では「ああ、あの駅伝が強い・・・・・」と、大学駅伝部の名前が出てきてしまうところです。何とか甲子園で活躍し、【野球の中央学院】を高らかに宣言したいところでしょう。千葉の新勢力として、全国に名前をとどろかす絶好のチャンスがやってきました。溌溂とした野球で、甲子園に旋風を巻き起こすことを期待しています。
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中央学院というチーム。高校野球の世界で中央学院というチームは、首都圏に在住する”高校野球おやじ”のワタシでもなかなか見る機会に恵まれなかったチームです。この秋の関東大会、明治神宮大会で初めてこのチームを目の当たりにしましたので、この学校に対する”思い出”はゼロ。しかし千葉県は、過去40~50年にわたって考えると、選抜で時にセンセーショナルな登場をするチームを生むという土壌があると思います。そのあたりの思い出を少しだけ。ワタシが高校野球を見始めた昭和40年代から50年代初めは、まさに千葉県の高校野球は黄金時代。県内の高校野球勢力図は、銚子商と習志野の2強によって色分けされていました。この両校、まあ強かった。昭和49年には篠塚(巨人)らを擁した銚子商、そしてその翌年には小川(ヤクルト)がマウンドを死守する習志野が、それぞれ全国制覇を達成しました。そんな「2強時代」の中で、昭和52年秋にすい星のごとく登場したのが印旛高校。するすると県大会を勝ち上がると、勢いに乗って関東大会も初出場初制覇。好投手・菊池を擁して蒲原監督が指揮を執るチームでした。最初は新聞に「印旛」の文字が踊っても、ワタシは果たしてこの高校、なんと読むのかが分かりませんでした。この印旛は、菊池投手を擁したことと秋の関東大会を制したということで翌53年の選抜では「優勝候補の一角」とまで評価を受けていましたが、選抜では初戦で「西の横綱」と言われその年の夏の甲子園を制する”逆転の”PL学園と激突してしまい、ほとんど何もすることができずに敗れ去りました。しかしその後これを機にぐっと力を伸ばしたチームは、昭和56年には選抜準優勝に輝きました。その時の決勝の相手が因縁のPL学園。9回1死までリードも”逆転のPL"にその本領を発揮されての、逆転サヨナラ負けでした。無印での選抜ということでは、翌々年の八千代松陰もセンセーショナルでした。何せ開校まだ3年にも満たない学校でしたので、そのことが大いに話題となりました。左腕の荒れ球を武器とする中台投手というエースがいたなあ、確か。昭和59年には拓大紅陵が春夏を通じての初出場。指揮官は若き名将、小枝監督が指揮を執っていました。チームは8強まで進出、その後10年ほどにわたる黄金時代の礎を築いた年でした。最近でも、東海大望洋などは選抜が甲子園初登場で、地道に実績を積み上げようと奮闘中です。中央学院が、この選抜での「初登場」を礎に、これからどんなチームに成長していくのか、楽しみです。
東京代表 関東一 7度目(8年ぶり) 準優勝1回
夏8度出場 甲子園通算22勝14敗
ここのところ毎年甲子園に登場しているイメージのあった関東一も、選抜は8年ぶりの登場と聞いて、ちょっと驚いています。春、夏とまんべんなく甲子園に出てくるイメージの関東一は、ワタシのような地元の人間にとっても「東東京No1チーム」として認識されています。最近はずっと二松学舎と東東京の覇権を争っていて、まさに2強の様相を呈していますが、甲子園に出るとなかなか印象深い戦いを見せてくれますね。10年の夏は3回戦で、早実と久しぶりの東京同士の「東京決戦」を戦い、勝利しています。さらに12年春は中村投手(現西武)を擁しての4強入り、15年夏はオコエの大活躍での4強入り、そして19年は接戦を勝ち抜いての8強入りと、頂点には届かないものの、なかなかの実績を残しています。そして関東一が活躍するときには、なんだか必ず1・2番に、足の速い小技のきく選手が座っていたりするイメージがありますね。今年は秋の段階で大阪桐蔭を破ったり、なかなか面白くなる要素をはらんだチームだと思いますね。東京のチームにしては珍しく、あまりもろさが同居していないように思われるチームです。その反対に、絶対的な強さを持った年はありませんが。。。。。。米沢監督がどういうチームを作ろうとしているのか、まあ言ってみれば”チームの色”が、よくわかるチームです。今年もしぶとく、4強入りあたりを目指して、歩を進めていってもらいたいものですね。
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東東京のチームとして、帝京の厚い壁を破り、最近では完全に『地区の顔』という地位を手にしている強豪。関東一も東海大甲府と同じようなチームの変遷をたどっています。甲子園デビューを飾った85年~87年までの『小倉監督時代』と、長い雌伏の時を経て復活を遂げた現在の『米沢監督時代』の2つの時期が、チームを説明するうえで欠かせません。現在日大三で二度の全国制覇を成し遂げた小倉監督の若き日、彼は関東一で『若き闘将』として名をはせました。とにかくベンチでの気合満点の様子と、関東一の”やんちゃな野球”は見事にマッチして、『下町の暴れん坊』として『帝京一強』だった東京の高校野球勢力図に風穴をあけました。このころのチームで、何と言ってもワタシの記憶に鮮烈に残っているのは、85年の東東京大会決勝。その年、センバツで帝京が2度目の準優勝に輝き、夏の東東京大会でも『絶対的な本命』にあげられていました。しかしその頃、何度も上位の対戦で帝京の厚い壁に跳ね返されていた関東一の”打倒帝京”にかける気合いは凄かった。前半リードされている試合をひっくり返して、あとは打つは打つはのお祭り野球がさく裂した勝利に、ベンチは一体となって大盛り上がりでした。ランナーがホームに帰ってくるたびに、帝京ベンチに向かってそのあふれる気迫を表すようにガッツポーズを繰り返すこのやんちゃ軍団に、下町のファンは大いに盛り上がりました。そしてその勢いは甲子園に行っても止まらず、初戦から毎試合、初出場とは思えないようなすばらしいはじけっぷりを見せて8強まで進出しました。前年のセンバツでやはり初出場の岩倉が、ノリノリのイケイケ野球でPLをも破り『初出場初優勝』の快挙を成し遂げたのですが、関東一の進撃を見てワタシは、『岩倉の進撃再び』の感を強くしたものでした。今につながる小倉監督のDNAを強く感じる、見ていて本当に楽しいチームでした。そしてその強烈な印象が冷めやらぬ87年選抜。今度は強力なバッテリーを中心にスルスルと勝ち上がり、何と決勝まで進出。関東一の名前は高校野球ファンの隅々まで浸透していきました。しかしその後小倉監督がチームを去り、チームは完全に低迷期に突入しました。ときおり思い出したように甲子園まで進出するもののほとんど存在感なく去っていき、なかば『忘れ去られたチーム』となっていました。しかし00年に現在の米沢監督が就任して、じっくりとチーム作りを進めて、ようやくチームは再び軌道に乗ってきました。これまでの『イケイケ野球』から完全にチームカラーを変革して、08年に監督初めての甲子園に進出した後、甲子園に来るたび新しい顔を見せてくれて、びっくり箱のような楽しさを再びファンに感じさせてくれるチームになってきました。その集大成は昨夏。オコエを中心に、弱点だった投手陣も何とか仕上げ、夏の甲子園で4強まで進出しました。米沢監督も、40代を迎えてすっかり”名将の風格”を兼ね備えてきました。これからが本当に楽しみなチームです。今年のチームは、昨年までの数年間と比べると明らかにチームの総合力は劣ると思いますが、それでも『何とか戦えるチームにする』のが米沢流。米沢采配を軸に見ると、関東一というチームは、実に実に、興味深いチームです。
(つづく)