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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

選抜出場校 こんなこと思い出してしまいました 2024 その4 【東海】

2024年02月09日 | 高校野球

≪選抜出場校の思い出2024 その4≫



東海代表   豊川 (愛知)      2度目(10年ぶり) 
                   夏出場なし    甲子園通算3勝1敗 

豊川と聞いて思い出すのは、2014年の選抜ですね。何しろ、甲子園に出場したのはその1回きり。後にも先にも、その大会のみです。しかしその「唯一の大会」で、豊川はまばゆい光を放ちました。初戦の相手は優勝候補に挙げられていた日本文理。好投手飯塚を擁して、夏は4強まで進出する強豪でした。その強豪に対して初出場の豊川は、粘って粘って試合をあきらめず、9回に追いつき延長へ、そしてその10回表に2点を勝ち越されてもあきらめず2点を取り返して同点に。。。。とまさに根性の野球を見せて、延長13回ついに日本文理を振り切ったのでした。豊川といえばそれまでは駅伝しか浮かばなかったワタシの頭の中に、強烈にその名前がインプットされた瞬間でした。そしてこの勝利で波に乗った豊川は、2回戦、準々決勝と快勝して4強へ。そこで対戦した履正社に対し、ここでも粘って粘って大逆転をし、あと1イニングまで持ってきました。「なんとすさまじいチームなんだろうか」というのがワタシの感じた印象です。試合はピッチャーの尽きた豊川が9回に追いつかれ、延長では試合にならず負けてしまいましたが、久々に愛知からいいチームが登場してきたなあと思い、強く印象に残りましたね。しかしその後は、2度目の甲子園は遠かったですね。何せ愛工大名電、中京大中京、東邦の3強が覇権を争う愛知県。豊川は何度挑んでも、この3強の厚い壁を突き破ることはできませんでした。そして10年。ようやく昨秋、県大会準々決勝で東邦を破り東海大会に出場、そして決勝では愛工大名電を破り初の東海王者へ。注目の選手もいますし、あの春と同じく打ちまくる野球で大暴れを狙っています。
 



東海代表   愛工大名電(愛知)       10度目(12年ぶり) 優勝1回 準優勝1回
                      夏15回出場      甲子園通算24勝23敗  

12年ぶりの出場という事で、この愛工大名電について書いていなかったとは、ちょっと自分でも驚きました。なにしろ「春の名電」の異名を取り、春の選抜には絶対的な強さを誇っていた学校です。愛工大名電と言ってワタシが最初に思い出すのは、77年の選抜。まずは子供のワタシ、「電気」とついている校名に興味をそそられました。「へえ、電気の学校なんだあ」と大いに興味をそそられましたが、その頃は日田林工とか、宮古水産・焼津水産とか、はたまた静岡自動車工(?)とか、そんな名前に興味津々でした。さて、鈴木投手という好投手を擁する超大型チームとして選抜に登場してきた名電は、初戦でその春の選抜を制する箕島と激突。しびれるような展開ながらずっと名電が押していたものの、ただの1点が取れずに0-1の完封負け。箕島のエース東投手は、この大会結局5試合中4試合を完封する(完封しなかった試合も、大差の9回に打たれて失点したもの)という超絶な安定感で大会を制した好投手でした。名電は9回2死満塁、打者の打った大飛球で「サヨナラか~」という場面でしたが、その打球はラッキーゾーン寸前で失速してレフトのグラブへ。みんながグラウンドにガックリとうなだれる姿、妙に印象に残っています。そしてその後のセンセーションは工藤(元SB監督ほか)のいた81年。左腕のエース工藤のカーブの落差の大きさと鋭い変化は、「こんなの見たことない」というぐらいの球でしたね。初戦の長崎西戦をノーヒットノーランで抑え注目を一身に浴びた工藤は、3回戦ではものすごい投手戦で延長12回、北陽を破りました。いい試合だったなあ、この試合。工藤と北陽の高木(元広島)、両左腕の一歩も譲らない試合展開にワタシは痺れっぱなしでした。カクテル光線がまばゆい延長12回、北陽の高木は捕手のサインに「見えない、見えないよ!」とゼスチャーを送り、そのまま投げてしまった真ん中のスライダーを、名電のスラッガー・中村(元プロ野球→審判員)のバットが一閃。打球はレフトスタンドに吸い込まれて、この激闘は決着したのでした。その後準決勝まで進出した名電は、工藤の疲れとともに金村擁する報徳に攻略され敗退。しかし工藤は金村と並ぶこの大会の華であったことは間違いありません。その後はなかなか甲子園で活躍することはなく、監督も中村監督から倉野監督に代わっていた04年選抜で、久々の大ブレークを見せました。その前年まではなかなか打てず勝ちを手繰り寄せられなかったチームは、「倉野スペシャル」のセフティーバントを駆使する戦法に特化。左腕のエース丸山の好投と相まって快進撃を見せ、決勝に進出しました。相手は創部2年の済美。この決勝戦、確か雨が降ったからか、試合開始が非常に遅れてナイトゲームだった記憶がありますね。この試合で惜しくも1点差の惜敗を喫した愛工大名電は、翌05年選抜でも快進撃。エース斉賀が抜群の安定感を見せ、打線は得意のバント攻撃から好機を作って相手を翻弄。2年連続決勝に進出すると、決勝でも神村学園に圧勝。ついに愛工大名電が初めての全国制覇を成し遂げたのでした。しかしその後は、甲子園に出るものの初戦敗退が続く苦しい時代が続き、特に夏の選手権は「甲子園七不思議」とも言われるほど、倉野監督は勝利に恵まれませんでした。ようやく監督として選手権初勝利を挙げたのが18年。8回目の挑戦でやっと・・・・・でしたね。その後22年の選手権では3勝を挙げ準々決勝へ。ようやくつきものも取れて、普段着の野球ができるようになってきています。さて、「春の名電」はまだ生きていると思います。準優勝・優勝と黄金時代を築いた当時の「バント攻撃」は今はすっかり封印していますが、今年はまたどんな戦いを見せてくれるでしょうか。近年はまた、毎年好投手を育てて甲子園にやってくるので、どんな投手が出てくるのか、楽しみな名電です。



東海代表   宇治山田商(三重)     2度目(16年ぶり)   
                    夏3度出場     甲子園通算1勝4敗  

宇治山田商。名前は深くワタシにインプットされている学校なんですが、意外に甲子園出場回数、少ないんだなあと思ったりしています。まずワタシの記憶の奥に眠るイメージは、78年の春夏初出場の時のもの。その頃人生で一番深く甲子園に興味があった頃なので、甲子園でのひと試合、ひと試合を鮮明に覚えているんですが、宇治山田商の左腕エース・中村投手はいい投手だったという記憶しかありません。打線の方は、相手の超高校級・南陽工の津田投手(元広島)に完全に抑え込まれたので全く記憶に残るものはありませんが、中村投手が津田投手を向こうに回して、強気に攻めていく姿は鮮明に記憶に残っています。そして次に宇治山田商が甲子園にやってくるのは世紀をまたいだ03年です。四半世紀の間、ずっと甲子園とは縁がなかったんですね。その03年のエースは江川(元SB)。ドラフト候補として注目されていましたからよく覚えています。さらに07年、巨人に在籍した中井が中心となりチームを出場に導きました。そこで初戦で対戦したのが優勝した佐賀北。宇治山田商は”49番くじ”を引いて、ずっと待っている状態での初戦。中井に平生と超高校級と言われた選手を擁する宇治山田商が有利と言われていた試合でしたからそう思って見ていましたが、試合は膠着状態になったままいつまでたっても終わる気配を見せず、なんと延長15回引き分け再試合となりました。どちらも途中からは、なんだか打てる気配がなくなって、見ていながら「ああ、これは再試合になるなあ」って感じの試合でした。正直言って、引き分け再試合ではありましたが「激闘感」はない試合でしたね。再試合では体力的に勝る鍛えられた佐賀北が圧勝。宇治山田商は疲れからか集中力が欠けたミスが見られて大差となってしまいました。翌年の春、前年夏の激闘を経験したエース平生を中心に再度甲子園に出場してきた宇治山田商。平生は「甲子園最速右腕」と言われ、非常に注目されていました。初戦は21世紀枠出場で初戦を飾っていた安房と対戦。平生は球速こそ出ている者の安定感にかける投球で序盤に先制を許し苦しい試合展開になるものの、2点ビハインドの9回裏に3点を奪って大逆転サヨナラ勝ち。これが宇治山田商にとって、念願の甲子園初勝利となりました。伝統的に好投手を生み出す土壌の宇治山田商。今年は打線の力もあって、甲子園2勝目も十分に狙える陣容です。ここまで甲子園で打線爆発した試合がない宇治山田商が、打線を爆発させて勝利を手繰り寄せる展開を、関係者やファンは期待していると思います。
 




(つづく)


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