≪選抜出場校の思い出2024 その5≫
近畿代表 近江(滋賀) 7度目(2年ぶり) 準優勝1回
夏17回出場 準優勝1回 甲子園通算 29勝23敗
ベテラン・多賀監督に率いられ、現在チームとしてのピークを迎えていると思われる近江。過去2度の準優勝に輝く強豪ですが、この正月にサッカー部が高校サッカー選手権の決勝に進出。全国制覇に王手をかけました。野球部としても、先を越されるわけにはいきません。その高いレベルでの切磋琢磨が、さらに力を伸ばす源泉となることでしょう。それにしても、2021年、22年のチームは素晴らしかった。エース山田がマウンドに君臨して相手をなぎ倒し、打撃陣は相手をじわじわとせめて優位に立っていく精度の高さで、攻守ともに充実したチームでした。21年夏には大阪桐蔭を倒し4強まで進出、22年春には補欠校からの出場ながら快進撃を見せ決勝まで駆け上がっていきました。22年夏も激闘を制し4強入り。この2年間で近江は、甲子園でなんと12勝もの勝ち星を積み上げました。その前の林投手を擁して甲子園で選抜準優勝の智辯和歌山を倒したあたりから、近江は完全に変わりましたね。甲子園で生き生きと自分たちの野球を出して戦うようになってきました。それまでも期待された年はあったものの、今一つよそ行きの野球をやって甲子園を去っていたのが、この智辯和歌山を倒した一戦で完全に自信をつかんで、その後の活躍につなげていっています。近江の野球はよく甲子園で戦う各校の選手たちがチーム紹介で言うような、「守りからリズムをつかんで攻撃につなげる」野球ですね。最近の試合は特に、気がつくと近江ペースで運ばれている試合が多いと感じます。そのベースになっているのは、なんといっても好投手の存在。22,23年の山田投手、18,19年の林投手のように、試合を支配できる投手が次々にチームに現れて、多賀監督もその彼らを信頼してマウンドを任せ、チームが一体となって相手を倒しに行っています。さあ、あと残るは全国制覇だけ。もちろん滋賀県勢、近畿勢では唯一、まだ全国制覇を達成してはいません。関東では昨年、唯一の”未優勝県”だった山梨から、山梨学院が紫紺の大旗をもぎ取りました。次は近江でしょう。。。。。と、個人的には思っています。
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近江商人を生んだ湖国・滋賀。かつては近畿のほかの5県に挟まれた「野球不毛の地」と言われ、何と甲子園初勝利は1979年まで待たなければいけませんでした。その79年というと、その前年にようやく夏の大会が『1県1代表』となった年で、その79年に比叡山が初めての夏の勝利を挙げて滋賀県の高校野球の歴史が動き出したといってもいいでしょう。そもそも、それまでもさほど弱小だったというわけではなく、夏の予選では同一地区”京滋”で1代表を争った京都勢が強かったために、頭を押さえられ続けていたという要因がありました。(一時期は福井と組んで”福滋”地区だった時もあります。)その後翌80年には瀬田工が4強、85年には甲西が4強と滋賀県勢は着実に戦績を残し続けるのですが、比叡山にしても、瀬田工、甲西にしても、いずれも「一時期の栄華」に終わって次第に力を落としてしまいました。その後一時代を築いた八幡商もしかり、です。そんな中、81年に初出場を成し遂げ、その後ずっと多賀監督の下今日まで30年以上に渡り力を維持し続けているのが、この近江です。琵琶湖の水を連想させる鮮やかなブルーのユニフォームに身を包み、大技、小技何でもござれの鍛えられた野球を見せるこの近江、春夏17度の出場を誇る滋賀の高校野球界のリーダーです。この近江、何といっても記憶に残っているのは2001年の夏の準優勝。竹内―島脇―清水という3人のタイプの違う投手を巧みな継投でつなぐ『3本の矢』が特徴的だったチームで、見事に強豪を次々に打ち破っての決勝進出でした。特に終盤に好投手阿部を打ち崩して逆転した準決勝の戦いぶりは見事で、滋賀県の高校野球氏に燦然と輝く好勝負でしたね。その後もコンスタントに甲子園には出続けていますが、今一つインパクトを残す戦い方ができていない近年です。今年はある意味勝負の年。滋賀県のチームが何と3チームも甲子園に登場するこの選抜。湖国の野球のリーダーとして、絶対にほかの2校より先に帰るわけにはいきません。プライドと意地をかけての春になる、この選抜大会です。
近畿代表 京都外大西(京都) 7度目(18年ぶり)
夏9度出場 準優勝1回 甲子園通算19勝15敗
京都外大西が、久しぶりに甲子園の土を踏みます。京都外大西は、京都西として80年代の中盤から90年代にかけて、京都の中心として何度も甲子園の土を踏みました。率いたのは広陵や福井で何度も甲子園の土を踏んだ名将・三原監督でした。三原監督の采配は、かつての西鉄の三原監督をもじって「三原マジック」なんて言葉をよく使われましたが、オーソドックスな野球が身上。初出場は真鍋投手を擁した84年選抜。この時はその秋にも敗れた「最強PL」の前に2回戦敗退ながらもしっかり初戦に勝って甲子園初勝利をあげました。2度目は86年選抜。2年生の佐々木投手を擁して2勝し8強へ。そこで激突したのが「ミラクル新湊」で、この試合延長14回の激闘で京都西は敗れるのですが、この試合は今でもNHKの高校野球放送の中で毎年紹介される試合となっています。翌年の87年は京都西最強と言われた代で、前年から残る佐々木投手と強力打線で秋の近畿大会を制覇して堂々の優勝候補として甲子園に乗り込みました。しかし初戦には勝利したものの、芝草擁する帝京に完封負けで悔しい2回戦敗退となってしまいました。89年春も4強に進出、93年夏も8強に進出して、京都西はすっかり京都の強豪として甲子園にその名をとどろかせていました。その後監督交代などあり、次に甲子園でその存在感を示したのが04年夏。この頃から、「春の京都西」から、「夏の京都外大西」に変化していったように感じます。この大会の2回戦、優勝候補筆頭に挙げられていた涌井擁する横浜に対し、京都外大西は技巧派の大谷投手を立てて果敢に挑み、延長11回の激闘を演じました。さらに翌05年、1年生の本田投手が大活躍のチームは快進撃。ついに4強の壁を破り、決勝まで進出。決勝では駒大苫小牧と激闘を演じ、存在感を際立たせてくれました。翌06年春も本田投手を擁して選抜に出場するも初戦敗退、7年夏は本田最後の甲子園に出場も、2回戦で敗退。このあたりがターニングポイントとなって、以降京都外大西は、甲子園に届かなくなってきました。07年以降は、わずかに10年夏に出場があるも初戦敗退。甲子園はこの1回だけにとどまっています。捲土重来を期し、80年代~05年ぐらいまでの輝きを取り戻すべく、気合が入っていることでしょう。
近畿代表 京都国際(京都) 2度目(3年ぶり)
夏2度出場 甲子園通算4勝3敗
森下投手の好投と、韓国語の効果が話題になった京都国際が3年ぶりに出場してきます。まだまだ京都の名門と呼ぶには早い段階ですが、今年上位まで勝ち上がることができれば「甲子園に強い」というイメージは確固たるものになると思いますので、負けられない戦いでしょう。京都は長く龍谷大平安が引っ張り、途中今年アベック出場する京都外大西が確固たる地位を築いた時代もありました。そして今、京都国際が、新たな京都の盟主として名乗りを上げています。古都の夏の激闘は、全国的にも話題を呼ぶことが多い昨今、どこがトップの地位をつかむのか、興味深いですね。
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昨年すい星のように甲子園デビューを飾った京都国際。その校歌とともに、甲子園のファンの耳目を集めました。全くの初舞台だった選抜では初戦突破を果たし2回戦も好ゲームを展開、そして連続出場となった夏は、さらにインパクトを残してくれました。そのしっかりと地に足がついた野球は、京都の伝統の野球そのままだなあという感想を持ち、さらなる飛躍が期待されるこの3季連続の春舞台です。昨夏の初戦の前橋育英戦、そして二松学舎戦、敦賀気比戦と、甲子園の常連校相手に接戦を堂々と勝ち切った姿は、すでに伝統校の香りがしました。今年の春も、二松学舎、敦賀気比と昨夏下した相手が甲子園に登場してきています。再戦がなれば楽しみですね。そして、ドラフト候補とも言われる森下投手のピッチングも楽しみな「新興名門校」です。
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最近めっきりと京都の中で力をつけてきた京都国際。龍谷大平安をはじめとして、福知山成美、立命館宇治、京都翔栄、京都成章、京都外大西、乙訓、鳥羽、東山など挙げればきりがないほど有力校がひしめく古都の高校野球界ですが、京都国際が初めて選抜の切符をつかみ取りました。ここ数年顕著に実力を伸ばしている学校で、いったいどんなチームだろうと思っていましたが、初めて夢の舞台でチームを披露することになりました。京都の新顔も、京都西(現京都外大西)、北嵯峨などをはじめ、甲子園でいい戦いをするチームが多いように思われます。さすがは強豪集う近畿のから出てきただけはある、とうならされることも多いのですが、この京都国際はどんな戦いを見せてくれるのでしょうか。
(つづく)