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選抜出場校  こんなこと思い出しました 2017(その8)

2017年02月20日 | 高校野球

思いつくまま、気の向くままの連載記事。
第8回『四国編』です。

高校野球の世界での四国勢に、
特にシンパシーを感じ続けている≪四国フリーク≫のワタシ。
今年は21世紀枠であの”24の瞳”中村高校が出場。しかしここでは、21世紀枠については触れません。
四国代表の2校について紹介します。



≪選抜出場校 思い出編8≫




四国代表   明徳義塾(高知)    17度目(2年連続)
                             夏18度出場 甲子園通算 56勝33敗  優勝1回  


昨年は『お約束』の春夏連続出場を成し遂げた明徳義塾。まさに甲子園は『年中行事』の一つでしすが、春は何もできないまま初戦敗退し、甲子園の初戦は絶対に落とさないという『明徳神話にも陰りが出てきたか』と噂されました。しかし夏は見事に立ち直って4強に進出。明徳健在を力強く印象付けました。そのいい流れを汲んだ今年のチームは、馬淵監督をして『今年のチームで全国制覇を狙う』と宣言するほど自信を持ったチームのようです。総合力が高い明徳は、県内、そして四国内でライバルチームが少ないという事情もあるものの、およそ30年にわたって『3年明けたことがない』ぐらい頻繁に甲子園へ足跡を刻み続けてきています。しかし四国はかつての”四国四商”が元気だったころと比べて、明らかに地盤沈下を起こしている印象がぬぐえません。『四国の代表は、どこでも甲子園の優勝を狙える』と言われたのは今や昔。昨年は高松商が久しぶりに甲子園を沸かせてオールドファンが歓喜に包まれましたが、今のところ四国勢で『間違いなく全国制覇を狙える』というチームは、残念ながらこの明徳をおいてほかにはないという状況が続いています。それだけに明徳にかかる期待も大きいのではないかと思われます。今年馬淵監督をして『優勝が狙える』と豪語するこの明徳のチームが、全国の強豪に対してどんな戦いをするのか、全国のファンはかたずをのんで見守っている・・・・・という感じですね。


昨年の記事 ⇒

高校野球ファンにはおなじみの明徳義塾。良しにつけ悪しきにつけ、本当に話題になるチームですね。『何もない』須崎半島の山の中にでんと校舎を構え、まさに『虎の穴』のようにスポーツ選手を鍛え上げる、特徴を持ち筋の通った学校です。野球のみならず、ゴルフ、相撲、サッカーなどなど、有名スポーツ選手の輩出は引きも切らず、『こんな田舎から、こんなすごい選手が』と驚きを持って、世間からは見られています。高校野球の世界でこの明徳の名を初めて耳にしたのは1979年(昭和54年)。それまで3強(高知商・高知・土佐)が覇権を独占していた高知の高校野球界に、『何やら新興の私立で、野球にえらい力を入れる学校ができるらしい』との噂が。それが明徳でした。初代監督に高知商の監督などを歴任した老将・松田監督を据え、素晴らしいグラウンドと全寮制の施設を兼ね備えた『本気で甲子園を狙うチーム作り』が話題になりました。翌80年、春の選抜で中西投手を擁する高知商が悲願の全国制覇を達成。高知はまさに『高知商の時代』が到来していましたが、この『最も強かった高知商』に果敢に挑んでいったのが明徳でした。のちにプロ入りする河野(元日ハム・巨人)をエースに、4番には横田(元ロッテ)を据えた『自称実力全国一』のチームは、高知商を土俵際寸前まで追い込んで、まざまざとその力を見せつけたものでした。そして57年春には初めての甲子園へ。これが明徳の甲子園デビューなのですが、その時がまたすごかった。前年の明治神宮大会で早実を力で破って見せて初出場ながら優勝候補の一角に堂々と名を連ねていた明徳。初戦では瀬田工(滋賀)を難なく退け、2回戦で”優勝候補筆頭”の箕島と対戦しました。この勝負が延長14回の逆転に次ぐ逆転の、『選抜名勝負』のひとつに数えられる激闘。明徳はこの試合で、松田監督の試合後の『武蔵が小次郎に敗れたわい』という名言とともに、甲子園のファンに『明徳強し』を印象付けたのでした。翌58年センバツでは、準決勝で夏春連覇を狙う【最強池田】に堂々と挑んで、8回までリードという試合を繰り広げました。最後は逆転負けしましたが、『明徳はさすがに高知でもまれた強豪だ』と、誰もが思ったものでした。ちなみにこの時期の蔦監督率いる【最強池田】も、明徳のことは大の苦手。蔦監督をして、『1県1代表になっていて本当によかった。もし昔みたいに、高知と南四国大会をやらなければならなかったら、明徳がいるけん、甲子園にも出れんかもしれん』
と言わしめるほど、あの池田にとっても、明徳は手ごわい存在でした。そこからしばらくの『昭和時代』の明徳が第1期だとすると、馬渕監督の『平成時代』
が第2期ですね。厳密にいうと、甲子園の試合直前に出場を辞退した05年までが第2期、そこからの苦難を経て現在までが第3期だと思いますね。
第2期の始まりは、物議をかもした星稜・松井の5打席連続敬遠という『負の遺産』を背負っての船出でしたが、その後はほとんど高知県で『明徳1強』の時代を築き、98年からは夏の選手権に7年連続出場という偉業も成し遂げました。(当時戦後最長の連続出場記録)その間、02年には悲願の全国制覇も達成。『明徳義塾』という名前は、高校球界の1大ブランドとして、君臨していきましたね。昨夏ついに止まったものの、【初戦勝利】の記録をずっと続けたのは、本当にすごいことです。何しろ、32度も甲子園に出場して、初戦で敗れたのがたったの3度。ものすごい記録です。しかし、それだけ初戦を勝ち上がりながら、まだ決勝には1度しか進出できていないというところに、明徳の隠れた『弱み』の部分がありますね。データを元に、試合を完ぺきなまでに組み立てられる初戦には無類の強さを発揮するものの、どんどん違う相手が出てくる上位まで勝ち進み、その試合を勝ちきるというたくましさを持ったチームが、なかなか出来上がっていないようにも見えます。そのあたりの課題に、ベテランの域に入ってきた馬渕監督、どんな答えを出していくのでしょうか。いよいよあの若かった馬渕監督も還暦を迎え、明徳の≪第3期黄金時代≫を築くのか?注目されます。




四国代表   帝京五(愛媛)      2度目(48年ぶり)
                              甲子園通算 0勝1敗     

今年の選抜で、ワタシが注目するチームの一つが、この帝京五です。何しろ48年ぶりの出場。しかもその間、夏の出場はなし。ということで、ワタシも全く知らないチームですが、そのユニフォームは東東京の帝京と全くと言っていいほど同じ(袖のマークなどは違いますが)。
そして指揮を執るのが、あの帝京の選抜準優勝投手にして、指導力にも定評のある小林昭則監督。これは注目しないわけにはいきませんね。プロアマの規定が緩くなって以降、プロを経験した指導者が全国の高校に、とても多く就任しています。最近でも、九州国際大付属の楠城監督や早鞆の大越監督など、『昔懐かしい顔』の指揮官が甲子園に登場してきており、ワタシもその都度注目しています。ちなみに先ごろは、あの中日・巨人・西武などで活躍した中尾孝義氏が専大北上の監督に就任したそうですね。プロで『スーパースタークラス』の実績を残した彼が、果たしてどんなチームを作るのか、とても楽しみです。
そして帝京五では小林監督。まだ就任して半年ですが、『帝京メソッド』を十分にいれたチーム作りで、短期間で結果を出しました。まだまだ打線の力は全盛期の帝京には及ばないでしょうが、いろいろな舞台を知る監督の下、いいチームが作られているのではないでしょうかね。思えばあの縦じまの帝京のユニフォーム、ここのところ甲子園で見ていませんね。まあワタシは東京大会にもよく顔を出しますので、神宮ではしょっちゅう見ているのですがね。。。。山梨の帝京三も実力を上げてきているし、東海大や日大の付属校みたいに、そのうち『甲子園での帝京対決』が見られるかもしれませんね。かつての『野球王国』愛媛からの、実質的な新顔登場ということで、県内の注目は集めていることでしょう。

(つづく)


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