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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

最も印象に残った球児   38.山口

2012年09月14日 | 高校野球名勝負

◇もっとも印象に残った球児

38.山口



 藤井 進     外野手  宇部商   1985年 春夏     


甲子園での戦績

85年春   1回戦    〇   9-1    熊谷商(埼玉)
        2回戦    ●   2-6    PL学園(大阪)
    夏   1回戦     〇   8-3    銚子商(千葉)
        2回戦     〇   8-0    鳥取西(鳥取)
        3回戦     〇   8-5    東農大二(群馬)
        準々決勝   〇   5-3    鹿児島商工(鹿児島)
        準決勝    〇   7-6    東海大甲府(山梨) 
        決勝      ●   3-4    PL学園(大阪) 

 

60年代から70年代にかけて、
甲子園で幾度も上位に進出して『野球王国』の趣のあった山口県。

あの下関商・池永投手をはじめ、
72年の柳井、74年の防府商など、
5度の決勝進出を果たし黄金時代を築きました。

その各校がやや力を落とした70年代後半以降に台頭してきたのが、
新興勢力の宇部商業。
情熱と理論を兼ね備える名将・玉国監督に率いられたこのチームは、
その後何度も甲子園で逆転勝ちや激闘の歴史を重ねて、
『奇跡のチーム』
と呼ばれるようになりました。

85年選手権帝京戦での、浜口の逆転サヨナラ弾。
88年センバツ中京戦での、完全試合目前から相手エースを打ち砕く逆転弾を放った坂本。
同じく88年選手権東海大甲府戦での、1年生の代打・宮内の奇跡の最終回逆転3ラン。
06年日大三戦での最終回の連打など、
枚挙に暇がない『奇跡』の連続です。

が、
『最もインパクトの強かった選手』ということになると、
85年に【最強PL】に果敢に立ち向かったチームの主砲であり、
その大会で一時【甲子園新記録】の1大会4本塁打を放った藤井選手を思い出さないわけにはいきません。

このチーム、
秋の中国地区大会を圧勝して選抜に乗り込んできました。
時はまさにPL全盛時代。
しかしその中にあって、
宇部商の力はかなり評価されていました。

選抜ではそのPLに2回戦で激突。
左腕のエース田上が好投するも、
終盤には力の差を見せつけられて敗退しました。

夏に向け、
さほど力を伸ばしたというニュースは聞こえてこなかった宇部商ですが、
夏の選手権出場を決めると、
甲子園でチームはその本領をいかんなく発揮し始めました。

初戦で『東の横綱』と位置付けられ、
県大会のチーム打率が5割に迫る勢いだった銚子商を雨中の激闘で撃破。
2回戦の鳥取西戦を完勝し、次の東農大二戦も圧勝して8強にコマを進めました。

しかしこの試合あたりから、
エース田上の様子がおかしくなります。
速球は走らなくなり、痛打を浴びる展開に。

3回戦で14安打を浴びてアップアップだった田上は、
次の準々決勝で、
初回から痛打を浴び3点を献上してしまいます。

しかしここでチームに救世主が二人現れます。
ひとりは田上に代わって8イニングを”完封”した右本格派の古谷。
そして5番を打ち豪快な2試合連続の一発を叩き込んだ、藤井でした。

この鹿児島商工戦を何とか5-3と切り抜けた宇部商は、
準決勝でまたも苦戦を強いられます。
相手は強打の東海大甲府。
またまた序盤からエース田上が打ち込まれ古谷が”スクランブル登板”する苦しい展開の中、
起死回生の”3試合連続”弾を放ったのが、藤井でした。

何かが乗り移ったかのような藤井の猛打は、
【1大会4本塁打】
の記録となって、
藤井の上に輝きました。
(翌日の決勝で清原にあっさりと抜かれたため、わずか1日限りの記録となりましたが。)

決勝は『絶対王者』のPL学園。

言わずと知れた、桑田・清原の最後の夏。

決勝までまさに『順風満帆』の足取りで、
苦戦なく上がってきたPL。

田上が不調の宇部商は、
序盤からPLの猛打に圧倒されるのでは、という予想を立てられての決勝戦でした。

たぶん宇部商があんなに粘るとは、
試合前は誰一人予測できなかったと思われます。

宇部商・玉国監督はこの決勝で【勝負手】を打ってきます。
それが好調・古谷の『初先発』。

エース田上の不調で致し方ない部分があったとはいえ、
この大会での古谷は好調そのもの。
この日も先発起用を”意気に感じて”、
PLの【史上最強】打線に対して、
臆さず、ひるまず、堂々と向かっていきました。

そのピッチング、
春のセンバツでPLに唯一の土を付けた伊野商・渡辺投手を彷彿とさせるものでした。

藤井にとってはPL・清原の驚愕の2本のホームランをいずれも見送る悔しい決勝戦となりましたが、
桑田から放ったフェンス直撃の特大の三塁打は、
『オレも負けてないぞ!』
という気迫を見せつけるに十分な当たりでした。

結局PLはサヨナラで栄冠を勝ち取り、
3年間甲子園を席巻し続けたKKコンビの甲子園は、
大団円を迎えたのでした。


最後はPLの力に押し込まれてしまったとはいえ、
宇部商の勇猛果敢な戦いぶりが、
本当に印象に残った大会でした。

その後チャンスがありながら優勝までは届かず勇退した玉国監督。

あの夏が、
真紅の大旗を抱く最大のチャンスだったと、
今になってみれば思わざるを得ませんね。

宇部商業。

インパクト満点の、
甲子園になくてはならないチームでした。


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