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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

選抜出場校 こんなこと思い出してしまいました2022  その4

2022年02月26日 | 高校野球

≪選抜出場校の思い出 その4≫

近畿代表  大阪桐蔭(大阪)      13度目(3年連続) 優勝 3回
                    夏11度出場     優勝 5回  甲子園通算64勝14敗 

昨年は春夏ともに優勝候補に上がりながら、いずれも近畿のチームに屈して早期敗退。初優勝した08年から、甲子園で9割近い勝率を残していた大阪桐蔭にとって、本当に悔しい年となりました。しかし「21世紀の高校野球最強軍団」が、黙って引き下がっているはずはありません。今年のチームは例年にも増して素材の良い選手が集まり、そして特徴としては粘り強いこと。すでに来年のドラ1競合が確定的とも言われるエース左腕前田を、ずらりと並ぶピカピカの3年生たちが援護、スキのない布陣が出来上がりつつあります。大阪桐蔭の試合を見る時の楽しみとしては、「今年のチーム」を過去の大阪桐蔭の超絶なチームと比べたり、80年代の最強PLのチームと比べたりしながら見ること。すでにワタシにとっては、勝つか負けるかという事を超越した存在になりつつあります。いやっ、今年に限っては、サッカーでその超絶ぶりを見せつけた青森山田と比べて見ちゃったりするのも楽しみですね。競技は違いますけど。。。どっちのオーラがすごいかな・・・・・なんてね。まあ、大阪桐蔭を見るというのは、「究極の高校野球のチームを見る」というのと同義語であり、その強い強いチームに対して、思いもよらないチームが牙をむく・・・・・なんてことがあるもんだから、高校野球の観戦はやめられないわけです。


前回の記事 ⇒

まあもう、大阪桐蔭について書くことなんて、まったくありません。今年もドラフト候補がずらっと並ぶ才能の宝庫のようなナインが、名指揮官の下、甲子園をまるでわが庭かのように駆け巡る野球を目にすることができるということです。高校野球ファンとして、いつも思うのは「今の大阪桐蔭と、全盛期のPL,果たしてどっちが強いんだろうか」ということですね。いつでもどこでも、こういう時代をまたいだ「最強はどこだ」という論争は、どの競技でもやむことがありません。まさにこれこそが「ファンのお楽しみ」でもあるわけですからね。『今…』派は、「今の野球のほうが進化しているし、球速やらスイングスピードなどの絶対値においては、比較にならん」と言うでしょうし、『昔…』派は、「昔のほうが野球のレベル自体が高かった。やっている人数自体も段違いだし」と若干美化された記憶を手繰り寄せ、言うことでしょう。。。。しかしこの論争、どこまで行っても決着がつくことなど、あるはずがありません。だって、しょせんは同じ土俵で比較しているわけではないんですから。。。。。一つだけ言えることとしては、「昔のPLも、今の大阪桐蔭も、どっちも他校から恐れられ、リスペクトされ、ほとんど甲子園で負けることのないチームだ」ということですね。さあ、今年も大阪桐蔭が、涼しい顔をして優勝旗をその手中に収めるのでしょうか。はっきり言います。今年の大会も、大阪桐蔭vs他の31校 という図式だけは、変わらないということです。


前々回の記事 ⇒

2年ぶりの大阪桐蔭の登場です。前回この記事を書いた時から、2度の優勝、11勝を積み重ねて重ねた優勝回数が春夏8度。通算勝利も63勝となって、まさにこの世の春を謳歌する『高校野球の盟主』そのものの学校です。高度情報化社会の今、インサイド情報をも手にした有力な中学生たちは、まさに我も我もと大阪桐蔭にはせ参じ、草木もなびくという状態になっていると聞き及びますので、この流れはしばらく続いていくと思います。萩原を皮切りに、中村剛、西岡、平田、辻内から中田、浅村、藤浪、森、そして根尾に藤原。。。。どれだけのプロ野球に名を残すスーパープレーヤーたちがここから旅立っていったことでしょうか。まさにチーム作り、人づくりに長けた名将・西谷監督はどこまでこのチームを高みにまで引き上げることでしょうか。今年もどんなチームが出来上がってくるのか。高校サッカーに青森山田ありだったら、高校野球には大阪桐蔭あり。そんな存在のチームですね。


その前の記事 ⇒

さあ、連覇を狙う大阪桐蔭の登場です。
昨年も一昨年も記事を書きましたので、思い出はそちらをご参照ください。
今年のチームは、昨年全国制覇を成し遂げたチームやこれまでの全国制覇のチーム以上の戦力と言われ、秋のドラフト指名候補が1位候補3,4人を含み5,6人もいて、【高校野球史上最高】とまで言われる陣容を誇ります。さて、どんな戦いぶりを見せるのか。とても楽しみですね。

その前の記事⇒https://blog.goo.ne.jp/angeldad/e/025ae8447f2f17fe17754ff36d2552aa




近畿代表   和歌山東(和歌山)    初出場
                    夏出場なし


智辯和歌山ががっちりと覇権を握り、それを市和歌山が追うという構図がここ10年来ずっと続く和歌山から、厚い壁を破って甲子園初出場を決めたのが和歌山東。「公立校」という事が取り上げられているものの、やんちゃくれの学校として有名のようです。かつての伏見工のラグビー部のように、スポーツによって大きく名前を挙げて、全国の強豪の仲間入りができるでしょうか。ワタシが和歌山東と言って真っ先に浮かぶのは、一昨年だったかでドラフト候補と言われるも指名漏れの憂き目にあって即座に「野球やめた」とコメントを発した落合投手ですね。なんだか興味があったので、和歌山東ってどんなチームなんだろうなあ、なんてちょっと調べたなんてこともありました。チームとしてはなんといっても「大きな壁」である智辯和歌山を県大会で打ち破るにはどうしたらいいのか?という事を突き詰めているチームというイメージです。近畿大会は見ましたが、なかなかしぶとい野球を展開していて、これは甲子園でも面白い野球を見せてくれるのではという期待は持っています。何しろ秋の近畿大会準優勝校ですから、期待も大きいと思います。




近畿代表   天理(奈良)   26度目(3年連続)   優勝1回
                夏28度出場     優勝2回  甲子園通算 78勝49敗  

これで3年連続となる春。昨春は日ハムにドラ1で指名され入団した達投手が話題となり4強まで進出したものの、夏はライバルの智弁学園に覇権を譲りました。その智弁が準優勝まで駆け上がったので、天理としてもここからまた存在感を発揮していきたいと思っていることでしょう。天理といえばなんといってもその強打と毎年現れる剛腕が話題となるチーム。選手たちの体格の良さ、そして長年変わらぬ見事なブラバンによるアルプスの応援、さらに最近は「アルプスで試合中ずっと微動だにしない応援団長」なんていうのも話題になりました。もう50年も甲子園を沸かせ続けてくれているバイオレット軍団。さて今年はどんな姿で甲子園に姿を見せてくれるのでしょうか。


昨年の記事 ⇒

昨年は、秋の近畿大会を制して勇躍選抜に登場してきた天理でしたが、大会が行われずに悔しさばかりが残ってしまいました。夏は独自大会こそ制したものの、甲子園交流試合では広島新庄にまさかの惜敗。何か燃えきれないものが残ったシーズンとなってしまいました。今年も大型選手が残り期待されて秋を迎え、県大会ではライバルの智弁学園を一蹴。「今年も天理は強いぞ」といわれ近畿大会に突入しましたが、準々決勝で大阪桐蔭に一方的に打ち込まれてコールド負け。「近畿6番手か7番手」という評価の中、選抜出場が微妙となって苦しい冬を過ごしました。しかし1月29日、近畿最後の枠で出場権を何とか勝ち取り、捲土重来を期して春の選抜は「狙いに行く」大会になりそうです。秋に敗れた大阪桐蔭へのリベンジももくろんでいることでしょう。去年の秋には、天理を2度全国制覇に導いた橋本元監督が逝去。その弔い合戦となるこの選抜は、天理にとっても特別な大会になると思います。中村監督は初優勝の時の橋本監督の教え子。監督ー主将という濃密な間柄で、橋本イズムを受け継ぐ人物です。心に期するものもあるでしょう。「大型だが粗い」といわれた天理が、橋本監督時代にはその粗さが取り払われて豪快さだけを残した「完成形のチーム」に仕上がり、5年の間に2回の全国制覇を達成したのは、本当に橋本監督の功績が大きいでしょう。それまでは長いこと、どうしても「全国3勝」の壁が破れずに悔し涙に暮れていた天理の姿を知っているだけに、初優勝時の喜びには感慨深いものがありました。「当時から全国一美しい音色を響かせるアルプススタンド」といわれていたブラスバンドからの歓喜の音色も、忘れることはできません。今年もまた、橋本監督の有名なフレーズである「ぼちぼちいこか」で後半に反撃を開始する天理の姿が、甲子園で見られるでしょうか。


前々回の記事 ⇒ 

天理が5年ぶりに選抜に帰ってきます。バイオレットのユニフォームに身を包み、『♪見よ空高く輝く光~』と歌い上げる校歌が天高くとどろき、幾多の名勝負を演出してきた学校です。奈良県ではライバルの智弁学園と長らく覇を競い合ってきましたが、ずっと「天理がNo1で智弁がNo2」という序列は変わることがありませんでした。しかし近年は天理が出場の自粛などを余儀なくされている間にライバルの智弁学園がグイッと力を伸ばし、その序列は逆転したかとみられることも多くなってきました。ライバルの智弁学園も数年前には全国制覇を達成。奈良では天理だけが持っていた勲章は、ライバルにもあるぞ・・・・そんな情勢で、しかも近年は2強で独占していた夏の出場も追いかけてくる新興勢力の急伸で揺らぎ始めています。ある意味そんな「追われるものの苦しさ」を十分に味わいながらの戦いとなり甲子園の出場もまばらになってきていましたが、昨秋の大会で県大会3位からの見事なまくりで近畿大会を制覇。履正社、大阪桐蔭という大阪、いや全国の2強を破っての栄冠だけに、久しぶりに天理の甲子園での大ブレークが期待されています。
天理の黄金時代と言えばいつなのか。思い出すのは2度の全国制覇を成し遂げた80年代後半~90年代にかけてがまず思い出されます。86年の制覇の時は主砲が現監督の中村、エースがひじの痛みを推して投げ続け栄冠に導いた本橋でした。本橋は準決勝ぐらいからは本当に辛そうで、現在の基準ではマウンドに上がることはできなかったと思いますが、その当時はこれが「本当のエースだ」と持ち上げられる時代。そのため投手生命を半ば絶たれる形になってしまいましたが、その時は「なんてすごい投手なんだろうか」とワタシも感動して見ていました。90年の2度目の優勝の時のエースは日ハムに入団したジャンボ南投手。この時はそれまでの天理によく見られた、大型チームにありがちな”強さに同居する脆さ”というものをほとんど見せずに優勝まで完璧に駆け上がったというイメージがありますね。決勝は沖縄水産との戦いで、自慢の打線が相手エースにほぼ完ぺきに抑え込まれる中、南が熱闘を続けそれをバックが堅い守備で守り切っての1-0での勝利。「天理らしからぬ」スモールベースボールでの勝利でした。この2度の栄冠+97年センバツの優勝という3度の輝かしい全国制覇がありますが、ワタシが一番印象に残っているのは、鈴木康、鈴木喜らの強力打線と”ジャンボマックス”佐藤や福家投手などの超大型投手を揃えて「力で押し切る野球」を推進していた時の天理ですね。とにかく選手が大型で、何か対戦相手よりも一回り大きな選手ばかりがそろっていて、おおざっぱではあったけど魅力あふれる野球を展開していたチームという印象が、どうしても抜けません。もちろん上でちょっと触れたような「脆さ」も同居していたのですが、子供心に野球の楽しさを教えてもらったような気のするチームでした。80年代~90年代の洗練された『黄金期の野球』からまた、近年は「大型チームの天理」に戻った野球をやっているような気がして、それはそれでワタシは楽しいのですけどね。それから忘れてはいけないのが、天理が元祖と言ってもいい、「ブラバンで魅せるアルプス」のチームだということ。「ワッショイ」や「ファンファーレ」は、今に続く高校野球の定番ですのでそれもお忘れなく。

 

近畿代表   金光大阪(大阪)     3度目(13年ぶり)
                    夏1度          甲子園通算 0勝3敗

金光大阪といえば、吉見(元中日)、陽川(阪神)、植松(元ロッテ)ら、プロ野球に進んだOBが中心となっていたチームの時、甲子園に進んできたチーム。陽川が在籍した09年は選抜の開幕戦で、倉敷工と壮絶なゲームを展開。同点の最終回に3点を取り勝利を手繰り寄せたと思ったのもつかの間、すぐにその裏に3点を取り返されて延長へ。その延長戦でも13回に1点を挙げると、その裏に2点を返されて逆転サヨナラ負け。開幕戦からありえない壮絶な打撃戦を展開しました。その戦った相手の倉敷工も、同じく今年13年ぶりのセンバツ出場。ちなみに現在の横井監督の長男(今春卒業)はその縁があったかどうか、倉敷工の選手として活躍したそうです。そんな金光大阪ですが、選抜は3度目ながら、夏はなかなか大阪の厚い壁を破ることができず、ここまで出場は1回のみです。しかしその1回は、インパクト絶大でした。その年の大阪は・・・・というより、全国で注目を一身に浴びたのは大阪桐蔭の中田(巨人)。彼の超絶な本塁打記録が、その年の高校野球界を支配していたといっても過言ではないでしょう。選抜では8強で敗退も、選手権では投打の二刀流、中田がどこまで活躍するか・・・・・がファンの注目の的でした。しかし、この大阪桐蔭を大阪大会の決勝の舞台で破ったのが金光大阪。左腕エースの植松があの中田を抑え込んで、まさかのジャイアントキリングをやってのけたこの金光大阪。その夏の甲子園では、優勝候補の一角に上がっていました。しかし甲子園では植松が本来の力を出せず初戦敗退。過去3度の甲子園では、いずれもプロに進む超高校級の選手を擁しながら、まだ初白星を挙げることはできていません。今年はその大チャンス。ぜひ大阪のファンだけではなく、全国のファンに「金光大阪野球」というものを見せてほしいと思っています。



近畿代表   京都国際(京都)     2度目(2年連続)
                    夏1度          甲子園通算 4勝2敗

昨年すい星のように甲子園デビューを飾った京都国際。その校歌とともに、甲子園のファンの耳目を集めました。全くの初舞台だった選抜では初戦突破を果たし2回戦も好ゲームを展開、そして連続出場となった夏は、さらにインパクトを残してくれました。そのしっかりと地に足がついた野球は、京都の伝統の野球そのままだなあという感想を持ち、さらなる飛躍が期待されるこの3季連続の春舞台です。昨夏の初戦の前橋育英戦、そして二松学舎戦、敦賀気比戦と、甲子園の常連校相手に接戦を堂々と勝ち切った姿は、すでに伝統校の香りがしました。今年の春も、二松学舎、敦賀気比と昨夏下した相手が甲子園に登場してきています。再戦がなれば楽しみですね。そして、ドラフト候補とも言われる森下投手のピッチングも楽しみな「新興名門校」です。


昨年の記事  ⇒

最近めっきりと京都の中で力をつけてきた京都国際。龍谷大平安をはじめとして、福知山成美、立命館宇治、京都翔栄、京都成章、京都外大西、乙訓、鳥羽、東山など挙げればきりがないほど有力校がひしめく古都の高校野球界ですが、京都国際が初めて選抜の切符をつかみ取りました。ここ数年顕著に実力を伸ばしている学校で、いったいどんなチームだろうと思っていましたが、初めて夢の舞台でチームを披露することになりました。京都の新顔も、京都西(現京都外大西)、北嵯峨などをはじめ、甲子園でいい戦いをするチームが多いように思われます。さすがは強豪集う近畿のから出てきただけはある、とうならされることも多いのですが、この京都国際はどんな戦いを見せてくれるのでしょうか。

 



近畿代表   市和歌山(和歌山)    
8度目(2年連続)   準優勝1回
                    夏5度出場      甲子園通算 14勝12敗   

このところすっかり甲子園の常連になりつつある市和歌山。まだまだ智辯和歌山は立ちはだかる大きな壁ですが、かなり最近は「並び立つ存在」として、その存在感が大きくなりつつあります。昨年はいずれもドラ1でプロ入りした小園ー松川のバッテリーを中心に、全国制覇を成し遂げる智辯和歌山に肉薄するチームを作りました。伝統的に投手力を中心としたしっかりした守りが特徴のチームですが、ここに打線のパワーが加わるとさらに一段階段を登れるのではないかと思います。藤田平(元阪神)、川端(ヤクルト)という技術の高い先輩プレーヤーを輩出している高校なので、打者としてチームを引っ張るプレーヤーの出現が待たれます。


昨年の記事  ⇒

和歌山というところ。戦前からのまさに野球どころ。愛知、岐阜と並び「野球どころ」戦前は関西の中でも突出して戦績を残してきた県です。温暖な気候に恵まれていたということが一つの要因なのでしょうが、それはすさまじい戦績だということが記録を見るとわかります。高校野球(中等野球)創成期には和歌山中(現桐蔭)が、その後海草中(現向陽)が席巻し何度も全国制覇を達成します。戦後新宮などが県高校野球界を引っ張る時期があり、70年代からは箕島の時代に。そして昭和の時代の最後からは智辯和歌山の時代になり今に至るというのが和歌山県の高校野球の歴史だと思います。箕島の時代あたりからワタシは高校野球を見始めているのですが、和歌山の伝統校という中に二つの商業高校(県和商、市和商)の名前をよく目にしました。その頃70年代~80年代にかけ、この伝統の二つの商業高校は、県和商も市和商も甲子園でその姿を見ることはない、ワタシにとっては「まだ見ぬ伝統・強豪校」という学校でした。両校ともに多数のプロ野球選手を輩出しているところからも野球力の高さを感じることはできますが、何しろ和歌山では「時代を作った」学校が甲子園に出続けるという伝統(?)みたいなものもあり、なかなか甲子園の土を踏むには至らなかったというのがワタシの印象です。特に市和商は、子供のころにあこがれた阪神の藤田平を生んだ学校ということもあり、特別感は確かにありましたね。初めて市和商の姿を甲子園で見たのは94年の夏の大会。もうワタシも、子供時代を通り越しておっさんへまっしぐらのころでした。それからは04年の玉置投手、05年の川端選手(ヤクルト)らプロ入りする選手を擁しての甲子園出場を果たすようになりましたが、同時期の智辯和歌山のまばゆいばかりの甲子園戦績と比較すると、正直少し地味かなと感じることが多かったように思います。そして14年の選手権初戦、12回裏の守りで、サヨナラのランナーがホームに還るのにファーストに投げてしまった悲劇の結末のことは、忘れられません。
さて、2年ぶりの出場となった今年。大会NO1ともいわれる剛腕・小園を擁して、勝負に行く大会として出場します。秋の大会でライバル・智辯和歌山を小園が3連破。自信をもって挑むこの大会、ひょっとして、市和歌山の歴史を変える大会となるかもしれません。高校野球を特に熱く応援することで定評のある和歌山県のファンが、新たな優勝校の出現に沸く大会になるかもしれません。


前々回の記事 ⇒

今回の選抜出場校の選考で、最も驚かされたのは関東・東京の6番目、盤石だろうと思われていた東海大菅生が外れて横浜が選出されたというもの。そして同時に驚いたのが、近畿6校目に選出された市和歌山でした。何しろ優勝した龍谷大平安と接戦をしたというのが評価されたようですね。両校ともにまんじりともしない数か月を過ごしてきたと思うので、春の陽気の下その思いを思いっきりぶつけて戦ってほしいですね。近畿はかつては7校、現在は6校が一般枠として選考されますが、秋の近畿大会準々決勝敗退組の4校から選出されることが多く、強豪同士の対決で敗れた5校目、6校目が選抜で大活躍するという事も、多々あります。00年には秋の近畿大会初戦敗退だったものの選出された智辯和歌山が大ブレークして選抜準優勝、続く選手権優勝に輝いたという例もあります。一方関東・東京の6校目。かつては関東で5校選出されていたこともあって、その頃は「関東の5校目」というのが選抜のジョーカーになっていたという事もありました。「4強に残れなかったチームたちの最後のイス」ということで、その頃は「それ以外で最も強いチーム」が先行されることが多く、それゆえ「関東の最後の枠は気をつけろ」ってなことが言われていたこともありました。そんな「最後尾から一気」という、競馬を見ていてももっともコーフンする展開を演出してくれるチームになってもらうと、選抜も盛り上がります。何しろ選抜は、『無印良品』を見つけるのが楽しい大会というのが、大会を楽しむポイントになっているような気もしますからね。という事で、市和歌山も秋に見せたようなしぶとい戦いで、頑張ってほしいと思っています。

 



近畿代表   東洋大姫路 (兵庫)     8度目(14年ぶり)
                      夏12度出場    優勝1回   甲子園通算 33勝18敗1分   

東洋大姫路が、やっと選抜に姿を現してくれました。思い出のいっぱいあるこの学校、やっと書くことができます。東洋大姫路と聞いてワタシが思い浮かべるのは、やはり「サムライ」という言葉かな。この言葉がぴったりくるチームとして、梅谷監督が率いた70年代、80年代は甲子園を席巻していました。70年代前半、高校野球界は関東、四国、中国のチームが強く、近畿勢は若干押され気味の傾向がありました。ワタシが子供時代に最も心躍らせた73年の甲子園でも、江川の作新を中心に、春は横浜、夏は広島商が甲子園を制覇。上位に進出するのはこの3地区の伝統校が中心となっていました。しかし70年代も中盤に差し掛かってきたころ、もともと高校野球が最も盛んだった甲子園の地元である近畿地区に強豪校が続々と出現、70年代後半~80年代にかけては、まさに近畿全盛の勢力図にガラッと変化していきます。その中核を担ったのがこの東洋大姫路。72年には夏出場して、初戦であの掛布のいた習志野を破っていたりしますが、ワタシの記憶は定かではありません。ワタシの記憶の中ではっきりと思い出せる最初の東洋大姫路のチームは76年選抜のチーム。このチームは確かに2枚看板の投手力がいいチームではありましたが、なんといってもチームの顔は1番の弓岡(元阪急)。この人の足の速さ、出塁率の高さは、本当に驚異的でした。それまで足といえば広島商の足攻が有名でしたが、弓岡は一人でこの広商に劣らないインパクトを醸し出していて、チームを4強まで引き上げました。そしてその翌年の夏。前年のチームから松本ー安井の超高校級バッテリーが残った東洋大姫路が、初の全国制覇を成し遂げます。選抜には出場できなかった東洋大姫路でしたが、「選抜に出ていれば全国制覇できた」と言われていて、「主役のいない選抜だ」という事まで言われていたほどの強力チーム。不覚を取った秋季大会から、チームはほとんど負けずに夏の甲子園までやってきて、そして夏の甲子園でもほかのチームとの「格の違い」を見せつけて全国制覇。準決勝では好投手三谷の今治西と対戦し、エース松本はピッチャーライナーを膝に受けてもんどりうって倒れながら気迫で最後まで投げ切って、延長を制して決勝に進出しました。その決勝の相手は1年生エース、15歳のバンビ坂本を擁する東邦。梅谷監督と阪口監督、いずれ劣らぬ気迫あふれた”青年鬼監督”の対決に、甲子園は盛り上がりました。試合はご承知の通り、延長10回に松本敬遠の後、4番の安井がライトラッキーゾーンに歓喜のサヨナラホームランを叩き込んで、東洋大姫路が全国制覇を成し遂げました。その後のインタビューなどでも梅谷監督は語っていましたが、「とにかくこのチームはサムライぞろいで、負ける気がしなかった」というまさにスーパーなチームでした。こんなチームはそうそうできるわけではありませんが、東洋大姫路はその後も、攻守に隙のないしぶといチームとして、甲子園でその存在感を見せ続けました。この70年代~80年代にかけては、兵庫はこの東洋大姫路と報徳学園の2強時代。報徳も74年春、81年夏と2度の全国制覇に輝き、どちらのチームも甲子園に出れば必ず優勝候補に名前が上がるという黄金時代でした。両チームともに、強かったな~。そんな東洋大姫路と報徳、両雄が甲子園に並び立ったのが、85年の春と98年の夏の2回。東洋大姫路は、この選抜の前の直近4回の甲子園では、優勝3回、4強3回とまさに「強豪中の強豪」という戦績で、報徳も初優勝したセンバツからこの大会までの6回で、優勝2回、4強1回、8強1回という超絶な成績。この85年選抜、世はPL学園の天下でしたが、この兵庫のライバルが初めて甲子園に並び立つという事に、ワタシはかなりドキドキしていた記憶があります。実はこの大会前の評価では、秋の近畿大会決勝でPLを何と完封した豊田擁する東洋大姫路は優勝候補の2番手という扱い、一方の報徳は中の上ぐらいの位置取りでしたが、やっぱり野球だけはやってみなければわからないもの。東洋大姫路はまさかの開幕戦敗退、そして報徳は8強まで進出したのでした。  さて、少し話を戻して、東洋大姫路は77年の全国制覇の後も力を落とすことはなく、79年の選抜、82年の選手権で連続の4強進出を果たします。79年の選抜は、岡田主将(現履正社監督)が引っ張って、戦力は劣るといわれながら、すべてを近畿勢が占めた4強の一角(他は箕島、浪商、PL)を堂々と占めました。その年の準々決勝の池田戦、これは雨中の激戦となり、ワタシの「選抜観戦史」の中で今でもNo1の試合として、心に残っています。82年の夏も、4強に進出して、その池田と好勝負を展開。この年の池田。やまびこ打線大爆発で初の全国制覇を遂げた伝説のチーム。そのチームに対して、東洋大姫路は堂々と互角の戦いを挑んで3-4の惜敗でした。ちなみに最強池田、準々決勝は14-2で早実を下し、決勝は広島商に12-2の圧勝。いかに東洋大姫路が善戦したかわかる、このスコアです。蔦監督をして「東洋大姫路は嫌じゃ」と言わしめたほど、しぶとく戦いにくいチームでした。そしてワタシが「東洋大姫路のベストゲーム」ではないかと思うのは、86年夏の選手権3回戦、拓大紅陵戦です。この年の拓大紅陵は有力な優勝候補。安定感抜群の木村ー飯田のバッテリーを中心に強打を誇り、拓大紅陵史上最も力を持ったチームでした。その相手に対して、押されに押されながら東洋大姫路はエース長谷川(元オリ、エンジェルス等)から島尾につなぐ必勝リレーで、ピンチというピンチを4つの併殺で切り抜けて、1-0の勝利。「これしかない」という勝ち方で、強豪を撃破したのでした。この頃の東洋大姫路は、本当に甲子園に来ると無類の強さを発揮するチームでしたね。その後監督は変わってもその伝統は生き続けて、アン投手を擁して花咲徳栄と再試合、そして延長という大激闘を戦った03年選抜で4強進出、06年夏は乾投手を擁して8強に進出して、3連覇を狙う駒大苫小牧に果敢に挑んでいきました。08年選抜も佐藤投手で4強進出。この時は終盤に優勝する沖縄尚学に逆転負けしましたが、優勝のチャンスでしたね。そして最後の聖地は11年夏。この年は原樹里投手(ヤクルト)を擁していましたが、この時は初戦で海星と激突。終盤リードしている状況で原に代走(臨時代走)を送ってしまいマウンドから降ろさざるを得なくなって、最終回に冷や汗をかいたなんてこともありました。それにしても、思い出を書き連ねていてもま~~~沢山の思い出のある学校ですね。しかしここ10年以上甲子園出場がなく、OBはやきもきしていたことでしょうね。この春は久しぶりに甲子園に登場、そしてそのすぐあとから監督が交代して、あの履正社の岡田監督が就任します。バリバリの脂の乗り切った岡田監督の就任によって、名門は華麗なる復活を遂げるのでしょうか?その可能性、極めて高いと思われます。また胸のTOYOのマークが、甲子園をブイブイ言わせる日は近いのではないでしょうか。




(つづく)


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