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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

選抜出場校 こんなこと思い出してしまいました2022   その5

2022年02月27日 | 高校野球

第5回『中国・四国編』です。
5校すべてが名門校。しかも久しぶりの出場校が多くて、前年までの記事はなし。う~~腕が鳴るぜ~~~。



≪選抜出場校 思い出編 その5≫


中国代表  広 陵 (広島) 
     25度目(3年ぶり)  優勝3回 準優勝3回
                    夏23度出場  準優勝6回   甲子園通算72勝44敗 

今年も広陵が春の選抜にやってきました。何しろ90回以上を数えるこの大会の、第3回大会の優勝チームですからその歴史が感じられます。「野球どころ」広島で広島商とともに高校野球界を引っ張ってきたチームで、その輝かしい歴史は素晴らしいものです。広陵は春と夏の出場回数がほぼ拮抗していますが、春の選抜では優勝回数が3回、そして勝利数でも選手権を上回っているので、やはり「春の申し子」と言えるチームなのかもしれません。かつてはこの広陵に広島商の広島勢、そして山口勢、岡山勢など甲子園でも上位まで勝ち進むチームばかりだった中国勢も、21世紀に入ってからというもの、この広陵以外には甲子園で活躍することがままならない状況が長く続いています。広陵以外には8強以上を期待できるチームも少なく、いきおい広陵へのファンの期待は非常に高まります。今年のチームも、明治神宮大会で準優勝に輝くなど潜在能力はピカ一。中井監督の采配の下、今年も快進撃が期待される春です。


前回の記事 ⇒

今も昔も、『野球王国』広島県のトップリーダーとして君臨し続ける広陵は、その豊かな歴史の上に、現在の中井監督が時代に合った味付けをして、毎年甲子園を沸かせるチームを作り全国の舞台に乗り込んできています。広陵といえば『春の広陵』と言われ、長く広島でライバル関係を続ける広島商の『夏の広商』と比較されてきました。何しろ広陵と選抜といえば、第2回大会で初出場を飾り、第3回大会で早くも優勝。そして翌第4回大会では準優勝と、「広陵なくして選抜の歴史は語れない」ほど切っても切れない関係だといえます。その後も第6回、第12回と準優勝を飾り、その後は甲子園で勝ったり負けたりという時期もありましたが、中井監督が就任しはじめて采配を振るった91年の選抜で優勝。その後はずっと全国でもトップの存在であり続けています。平成に入ってからというもの、かつて広島、岡山、山口を中心に甲子園を我が物顔で暴れまわった中国地区代表がその活躍をぱたりと止めてしまい低迷を続けていましたが、広陵だけはそんな中でも一校だけ輝きを放ち続けていました。03年選抜ではエース西村(元巨人)を強力打線が鋭く援護して3度目の選抜制覇。決勝で横浜の誇る成瀬ー涌井(ロッテ)の二本柱を完膚なきまでに叩いての15-3の圧勝は圧巻でした。その後も毎年のようにプロ入りする好投手を輩出、今度は「選手権を何としても獲る」というターゲットを強く意識してチーム作りをしているように見受けられます。その夏は、07年に野村(広島)-小林(巨人)のバッテリーで準優勝、さらに一昨年夏は中村(広島)の大会6本塁打の大爆発などで再度準優勝に輝きました。中井監督が「男気」で育てる選手たちは腹の座った選手が多く、近い将来の夏の全国制覇も予感させますね。その中井監督が選手時代の1980年のチームも、ワタシの記憶に鮮やかに残るチームです。選抜では4強に進出。高知商、柳川と並び「3強」と称されていた前評判通りの活躍を見せてくれましたが、アンダースローの渡辺投手と強打の原捕手のバッテリーが素晴らしかった。ずっと低迷を続けていた広陵が、鮮やかに蘇ったといえる年となりましたね。それから印象に残っている戦いといえば、02年選抜の報徳戦。ガチガチの優勝候補だった報徳を向こうに回し、敗れたとはいえ大会屈指の好投手と言われた大谷(ロッテ)の速球をものの見事に打ち返していた姿はセンセーショナルでした。それから91年選抜初戦、三田学園戦での雨中の引き分け再試合とか、07年選手権初戦、駒大苫小牧戦での最終回の逆転勝利、一昨年選手権初戦の中京大中京戦の鮮やかな逆転勝利など、枚挙にいとまがないほど「広陵の思い出試合」は次から次へと頭に浮かんできます。そしていえることは、「広陵は初戦で苦戦をしてそれを乗り越えると、必ずその大会は勝ちあがる」ということです。今年も戦力は充実しています。広陵は果たして、どんな大会にするのでしょうか。



中国代表  広島商 (広島)      22度目(20年ぶり) 優勝1回 準優勝1回
                    夏23度出場  優勝6回  準優勝1回   甲子園通算62勝36敗 

広陵と並んで広島県の・・・・・というよりも、中京(中京大中京)、松山商などと並んで昭和の高校野球の顔として長く君臨してきた広島商。しかし時代とともに公立校の地盤沈下が叫ばれる中、この広商も例外ではなく平成に入ってからは力を落としていき、なかなか甲子園には届かない”古豪”として語られるようになってきてしまいました。1924年に初めての全国制覇を成し遂げて以来、29年、30年、31年と戦前に4度の全国制覇。戦後も57年に復活優勝を遂げると、73年には佃ー達川のバッテリーとキャプテン金光の攻守を中心にあの江川を倒し春準優勝、夏優勝の輝かしい実績を残しました。そして82年の選手権準優勝、88年の選手権優勝と、昭和の時代は最後の最後まで、広商が高校野球の顔として君臨した時代でした。戦前に広商がどんな野球をしたかというのはわかりませんが、70年代からの強かった広商には、たくさんの異名がついていました。基本的には投手を中心とした守りの野球が基本。木のバットという事もあり、打線は徹底的にボール球には手を出さず、塁に出ればバンと、盗塁など小技で揺さぶって、たとえヒットが出なくても点を取る野球というのが徹底されていました。そしてその小技は、緊張した場面になればなるほどその真価を発揮して、江川を崩した重盗や、その夏の決勝でのサヨナラスクイズなどはその真骨頂。そしてその精神力は、練習での”真剣渡り”などによって培われたものと言われていました。 そして並外れた集中力と洞察力は、「広商は相手に一度もスクイズされたことはなく、自分のスクイズは一回たりとも失敗に終わったことはない。」などと言われていたものでした。まさに昭和の「高校野球のバイブル」のような存在で、数多の高校がこの広商をまねようとしていましたが、かなう事はありませんでした。決して超高校級の投手がいたり、強力打線でパワー満点だったりはしないものの、その広商の鋭く洗練された野球が、高校野球好きの琴線に触れて、応援されていたというチームだったと思います。
しかしながら、その春準優勝、夏優勝を飾った年の翌年から高校野球には金属バットが導入され、野球が大きく変わっていきました。「ランナーを3塁に置けば、まずはスクイズ」と考えられていた高校野球戦法は大きく変わり、後に登場した池田やPLなどのパワーで相手を粉砕する野球がスタンダードとなり、広商の甲子園戦法は影を潜めていきました。昭和までに甲子園通算57勝、優勝7回、準優勝2回を誇った広商は、平成に入ってから今日までの34年間でわずか5勝(6敗)しか挙げられず、もちろん優勝はおろか8強入りもなく、この時期から大きく飛躍したライバル・広陵に大きな差を付けられてしまっています。もはや広島でも「広島の早慶戦」と呼ばれることもなく、広商に対する期待は「何とか甲子園に出て、あのユニフォームを見せてくれんかなあ・・・」というものに変わってきてしまっています。公立校が野球を強化するのが非常に難しい時代になってきているので仕方ないとは思いますが、何とかあの精神力と野球力で、復活してきてもらいたいと思っているのは、全国の高校野球ファンの総意でしょう。そういう意味では、2019年に15年ぶりに夏の県大会を勝ち抜いて甲子園にやってきたのに続き、このセンバツに出場してくることは、名門復活の第一歩として、とても大きなことのように感じます。この選抜の選考に際し、愛媛県が21世紀枠の候補にあの松山商を選んだという事に、ワタシはショックを受けました。同時に、ものすごく腹立たしい気持ちと、『あの名門に対して、失礼なことするな!!』という思いも同時に感じてしまいました。そんな中でこの広商の復活、意義があると思います。応援しますよ、頑張ってほしいと思います。



中国代表  倉敷工 (岡山)      11度目(13年ぶり)
                    夏9度出場   甲子園通算25勝19敗 

小さなころから、岡山とは浅からぬ因縁があったワタシ。今は訪ねることもめっきり少なくなってしまいましたが、かつての名門校である、岡山、倉敷の野球強豪校については、なんだか懐かしさを感じてしまいます。ワタシが若かりし頃、岡山で高校野球といえばまず名前が挙がったのが岡山東商、そしてこの倉敷工でした。60年代までの「ワタシが知らない時代」にブイブイ言わせていた両校、ワタシが甲子園を見始めてからしばらくも、強豪として名をはせていました。岡山、倉敷という県内2大都市の「代理戦争」みたいな感じの岡山県大会、とても好きでした。倉敷工は小沢監督という名将に率いられて何度も甲子園に登場するのですが、最初に記憶にあるのは74年の選抜大会。岡山代表としてこの倉敷工を応援していたワタシでしたが、その時のエースは居郷投手。そう、昨年まで西武ライオンズの球団代表をやっていた人物です。居郷の活躍で8強に進出した倉敷工が対戦したのが、あのイレブン池田。蔦監督に率いられ、細かい技を駆使して得点を奪い、最少点を守り切るというまさに「弱者の野球」で勝ち上がってきたこのチームに魅了されていたワタシは、倉敷工を応援していたことなんかコロッと忘れ、池田に大声援を送っていたものでした。(まあ、子供なんてそんなものです。)倉敷工はここで延長12回の激闘に敗れて甲子園を去りますが、翌年もまたセンバツに連続出場。この時は中京と開幕戦で激突。球史に残る大打激戦の末、倉敷工は16-15で中京を振り切り初戦を突破して、ワタシも大喜びでした。2回戦はあの原辰徳、津末、村中を擁して優勝候補筆頭の東海大相模。初戦で15点も失っている投手陣が東海大相模を抑えられるはずがないと思っていたところ、なんと2回戦はエース好投で0-1の投手戦。つくづく野球というのはわからないものです。しかしこの試合は前の試合であれだけ猛威を振るった打線が全く沈黙して、村中に完封に抑えられてしまった試合になりました。そしてこの後小沢監督が退任。岡山は岡山南、関西、岡山理大付などの台頭もあって倉敷工はなかなか甲子園に歩みを進めることができなくなりました。しかしこの「岡山の激闘王」は、たまに出てくる甲子園では、何かと話題を提供してくれるチームです。久々出場の86年夏は初戦で大敗を喫したものの、96年夏には10年ぶり出場で2勝、03年夏には、あの有名な駒大苫小牧との雨天中止再試合での勝利も経験。0-7で負けていた試合が豪雨で途中コールドどノーゲーム、再試合で勝ったという試合です。ちなみに駒大苫小牧は、この試合の悔しさを忘れることができず、翌年からの3年連続の決勝進出の礎になりました。そして選抜でも2009年に、ちょうど75年の開幕試合と同じように、金光大阪と開幕戦に激突して11-10という大激戦をサヨナラで制して勝利を飾りました。9回に3点差を追いついて、12回にも逆転サヨナラで勝ったというこの試合に、倉敷工の脈々と受け継がれるDNAみたいなものを感じますね。なにしろ、ワタシが甲子園を見始めた(?)60年代後半から直近の10回の出場で、なんと9回初戦突破を飾っているチームです。その粘り強い、あきらめない戦いぶりは、今年の選抜でも話題を呼ぶかもしれません。




四国代表   高 知(高知)      19度目(4年ぶり)    優勝1回 準優勝1回
                   夏13度出場  優勝1回   甲子園通算 34勝29敗      

高知高校が、4年ぶりに甲子園に帰ってきました。前回はライバルの明徳義塾がとってきてくれた「明治神宮枠」での出場。しかし今回は、秋季四国大会を制しての、堂々の出場です。しかしなあ。。。。。森木(阪神)のいた3年間、すっぽりと抜け落ちてしまっているんだよなあ。「森木がいれば、全国制覇が狙える」と大いなる期待を寄せていましたが、結局1度も甲子園の土を踏めず。すべてライバル・明徳の恐ろしさというものを感じるだけの3年間となってしまいました。しかしこういった「超絶に強いチーム」だとか「スーパースターがいるチーム」だとか、そんな年のポスト年の方が、実は結果を残している・・・・なんてこともよくあることではあります。例えば07年に、中田のいた大阪桐蔭が夏の切符を逃したのに、地味と言われた翌08年のチームがまさかの初の全国制覇を達成。。。。。。。とか、高校最速の160キロを投げる二刀流エース、大谷の花巻東が12年に夏の切符を逃すと、かなりスケールが落ちるといわれた翌年のチームが夏の甲子園4強にまで進出。。。。とかですね。そういう意味で、「ポスト森木」の今年の高知のチームが、いったい甲子園でどんな戦いをしてくれるのか、非常に興味があります。そして、この春の選抜で得た自信とか経験を持ち帰り、今年の夏こそ明徳義塾を破って、真夏の聖地へ勝ち上がってきてほしいと思っています。


前回の記事 ⇒

高知県とは浅からぬ因縁を持ち、高知県代表を応援し続けているワタシ。そのワタシにとって、高知商、土佐らと並んで特別な響きを持つ高校がこの高知です。早稲田カラーのえんじのアンダーシャツを身にまとい、胸にKOCHI。そのユニを見ただけで胸躍ってしまうワタシがいます。ワタシが高校野球にどっぷりはまったころの昭和50年代、高知と高知商、その2チームは本当に強かった。これに土佐を加えたつばぜり合いの中、甲子園にどこが出場するかは、大いに注目の的でした。そして出場したチームは、8強は当たり前。そんな時代、高知県はわずか20数校の加盟校しかないにもかかわらず、全国屈指の「野球強豪県」として君臨していました。そんな中で高知高校。ワタシが物心ついたときは、有藤、弘田らの卒業生がロッテで活躍しており、そのころはそんな関係でロッテを応援したりもしていましたっけね。ワタシが強烈に印象に残っているのは、75年春の選抜。原辰徳がいた東海大相模を決勝で下して選抜初優勝を成し遂げた年です。高知には三塁手に”超高校級”のスラッガー杉村が君臨。東海大相模・原とのスラッガー対決に、甲子園は大いに沸きました。この決勝の写真の中に、タイムリー3塁打の後3塁ベース上に立つ原に、杉村が何やら話しかけているというものがあります。その写真、「恰好いいなあ」と子供心に、大いに刺激された思い出がありますね。そのころはまだ、「スター選手」といえばまずサードを守っていた・・・・・そんな時代でした。延長13回で10-5の決着。それまでの甲子園で、そんな決着の仕方をした試合はあまりなかったので、この打撃戦には大いに酔いしれました。この高知のチームの中に、現在の春日部共栄の本多監督がいたりするんですね。だから、春日部共栄のユニフォーム、高知とそっくりでしょ。そんな高知ですが、甲子園で輝きを放っていたのはこの70年代まで。80年代になると、その勢いはぱったりと止まり、高知商、そして明徳にいいようにやられてしまう時代を迎えてしまいます。県内を勝ち抜けないのはもとより、県内を勝ち抜いても甲子園では思ったような成績を上げられないこともしばしば、という感じで今日まで来てしまっています。県内の公式戦、とりわけ夏の選手権大会予選で、明徳の前に屈したことは数知れず。80年代から2013年までは、甲子園に13回も出場しながらその間わずか3勝。3勝12敗というあり得ないような戦績で、明徳には何か腹に一物持っているベテランのファンにさえ「やっぱり明徳じゃなきゃ、甲子園では勝てん」とまで言われていました。しかし、2013年選抜で、本当に本当に久しぶりに、高知のエンジのユニが甲子園で躍動する姿を、目に焼き付けることができました。今までのうっ憤を晴らすような活躍で4強まで進出。準々決勝で優勝候補の仙台育英を破った時は、「こりゃ、優勝まで駆け上がるかも」と期待しましたが、準決勝で同じ四国の済美に接戦で敗れて頂点までは届かず。「絶対に勝てる」と思っていた試合を落としたので、かなりへこみましたね、あの試合は。これで『名門復活ののろしを上げたか?』と思いましたが、この辺りからまた明徳が勢いを盛り返してきて、厳しい戦いを強いられています。何しろ、2011年から2015年までの5年間、常に明徳と決勝で対戦すると、図ったようにすべての試合で1点差負け。接戦に持ち込んでいるだけ、本当に悔しい負けが続いているのです。そうこうしているうちに、2016年は中村に、17年は梼原に決勝に到達する前に敗れて、明徳の前までたどり着くこともできず、昨年の夏の大会後はワタシも高知高校のチームとしての退潮傾向を感じざるを得ませんでした。しかしながら、昨年の秋。高知高校は秋季四国大会の8強で敗れるものの、その四国大会を制した明徳義塾が明治神宮大会も制して「明治神宮枠」を持って帰ってくれたおかげで、まさかの選抜出場が転がり込んできました。例年の枠数であれば、考えられなかったことです。しかも長年のライバルであり、常に頭を押さえられる続けてきた明徳のおかげで、甲子園が転がり込んできたんです。明徳には感謝しつつ、これはやるしかないでしょう。こんなチャンスはなかなかないだけに、実力云々はさておいて、甲子園で「ここに高知あり」を証明してもらいたいと思っています。本当に楽しみな選抜です。




四国代表  鳴 門  (徳島)    9度目(4年ぶり)   優勝1回 準優勝1回
                   夏13度出場    準優勝1回    甲子園通算 28勝20敗   

1950年代初頭に黄金時代を作った鳴門。わずか2年で全国制覇1回、準優勝2回という輝かしい戦績を残し、野球どころ・四国で確かな足跡を残してきました。しかし70年代に入ると徐々にその力は落ちていき、徳島は徳島商、池田の時代へと移り変わります。80年に島田、秦というのちにプロ野球で活躍するバッテリーを擁して春夏連続出場するものの、その勢いは長くは続かず、次に時代を作るのは2010年代となります。70年代~00年代までの4世代(40年)では、鳴門が甲子園で上げた勝ち星はわずか4勝のみ。71年~2010年までのでは、40年間で出場4回、わずか1勝のみという戦績です。まさに”古豪”とも呼ばれないぐらいの忘れられた存在でしたが、現在の森脇監督が就任し強化に乗り出してから、劇的に状況は改善しました。12年に選抜出場でその端緒を開くと、その夏からなんと、16年まで夏を5連覇。そして18,19年も夏を連覇し、2010年代は10年間で8回の夏を含む10回の甲子園出場を果たしました。その中には13年、16年夏の8強進出も含まれ、「鳴門時代」を築いているところです。ここのところ甲子園では強打が注目されていますが、もともとはコントロールのいいエースを軸に、しっかりと接戦を勝ち切るチームです。ピッチャーが大崩れしないで試合を作れるところが特徴の、崩れにくいチームですね。そうでなくては、これだけ夏の予選を勝ち抜いてこれないでしょう。すでに1950年代に全国制覇も経験しているチームではありますが、「新生鳴門」として、優勝まで駆け上がる夢を追いたいところです。勢いに乗れば、十分に可能な「現実的な目標」だと思います。さて、今回はどこまで駆け上がることができるでしょうか。



(つづく)


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