クリスマスイブは、もはや一年に一度になってしまったミサに行く日。
クリスマスにしか教会に行かない人を、批判的な目で見ていたときもあったのに。
今は、所属教会の共同体の人間関係がとても居づらいし…
現在の主任神父の説教を聴いていても、周りの人の話や態度、典礼などを見ていても…
基本的な考え方が、私とはあまりにかけ離れて昔風で保守的、教条的に思えてしまって。
そこにいることが、精神的につらいばかりになってしまいました。
なので、心の安定のために、教会からは完全に距離をおいています。
こうしてみると、昔「クリスマス信者」だった方々にも、いろいろ事情があったのだなと。
批判的に見てしまっていたことを、今は深く反省しています。
でも、私がかつて教会に通っていた頃は、クリスマス(主日夜半のミサ)ともなると…
聖堂のベンチは人でいっぱいで、座れずに立ってミサに参加する人がいっぱいで…
あまりに多すぎて聖堂の扉を開けて、ナルテックス(前室)にまで人があふれていました。
それが今は、ベンチにも空席が目立つようになりました。
教勢はがっくり衰えています。
時代もあるのでしょうけれど、神父や教会委員長はじめ、関係者は…
その理由について、深く考えてみる必要があるのではないでしょうか。
「時代」のせいばかりにせず。
ところで、昨日は父のために、一日早いクリスマスパーティーをしました。
異常な寂しがり屋の父は「クリスマスぼっち」をすごく嫌がってるので。
なので、ローストチキンを買ったり料理を作ったりして、三人でお祝い。
無神論者の父なのに、クリスマスをひとりで過ごしたくないなんて。
我々の世代ならともかく、昭和ひとケタ生まれであのノリは珍しいのではないかと。
みんなが浮かれるお祭り?の日なのに、ひとりぼっちなのが単純に嫌なんですかね。
なにしろ、母が倒れるまで…
生まれて以来87年間、一瞬たりとも一人暮らしというものをしたことがなくて…
独身時代も常に、友達と一緒に、今でいうルームシェアをして来たらしいので。
あの歳になって一人になるのが嫌なのは、まあ、仕方ないのかもしれない。
でも、誰でも最後はひとりで死んで行かなくてはならないのですから…
「ひとりは嫌だ」「死ぬのが怖い」
それだけだと、これからの老い先、どんどん追い詰められて行くばかり。
戦中世代の男性というのは、みんなあのように、もろくて弱いものなのか…
それともうちの父が、特にいくじがない人なのか、わかりませんが。
まあ長男で、小さい頃から常に、周りからとても大事にされて育ってきたようなので…
仕方ないですね。
ともあれ、クリスマスケーキのろうそくを吹き消して…
それを食べないと、納得できない人なので、その願いをかなえてあげました。
あと何回クリスマスを祝えるか、ということが身に染みて感じられるようになったら…
自分もその気持ちがわかるのかな。
いや、やっぱりここまでではないな。
たとえ親子でも、人間いろいろ、ということですね。