アルファロメオと小倉唯

母の側にも寄り添ってあげればよかった

昨日の記事の続き。母の癌の進行で命の先が見えて来たことから、いろいろ考えたことを書きます。

子どものころ彼女の気分次第で体罰を加えられたことは、今なら幼児虐待に当たると思います。

また小学生のころ、母から今すぐここで死ねと命じられ、沼に突き落とされそうになった事件は、到底許されないことでありました。

当時は過酷ないじめにあっていた最中でもあり、その心的外傷が私のメンタルを生涯に渡り歪めてきたのも事実だと思います。

他にも、ずっと続いた過剰な浪費や、晩年の父に対する現実離れした嫉妬妄想、お札を掴ませることで息子を味方にしようとした見苦しい行為など、彼女の「非行」はいろいろとありました。

そんな経緯で両親のことを考えるとき私は、いつも父の側に立ってしまっていたと思います。

でも、少年の非行に様々なわけがあるのと同じに、大人の女性の非行にも、いろいろ因って来たる理由があったはずです。

母の場合は幼少期から少女時代にかけて、故郷での生活環境、家庭環境が、あまり良いものではなかったか...

あるいはその時期に、心が壊れてしまうような出来事が何かあったのではないかと想像されます。

(たとえば性被害とか)

そうしたものは彼女自身の責ではなくひたすら不運から来たものですから、気の毒としか言いようがありません。

それに加えて今考えてみると父の母に対する接し方、態度にも、夫としてどうかと思うところがあったようにも思います。

母に美味しいものを食べさせたり、旅行させたり、高価な買い物を許したりはして来た父だと思いますが…

直接感謝を伝えたり、優しい言葉をかけたりというようなことは、全くない父でした。

何十万円かけた贅沢よりも、一言の優しい言葉、感謝の言葉、褒め言葉を、本当は、母は求めていたのかもしれません。

うちの妻はそのことを以前から言っていて、父にもそう勧めていたのですが、昭和ひとケタ生まれの男とはそんなものだったのか、父は聞かず。

もともと自己評価の低い人である母は、たとえば我々夫婦やうちの息子が料理の味を褒めたりしても本気に受け取りませんでした。

そこは父こそが、母が本当に評価してもらいたい相手だったからなのかもしれないと思います。

そもそも、おそらくは結婚した後で妻が豊胸手術を受けたと思われるのに、それに気付きもしないというのは、夫として大問題なことだと思います。

父は母の豊胸手術を「そんなこと有り得ない」と言って一蹴するばかりですが…

彼女の胸にシリコンバッグが入っていたことは、3つの医療機関でCTやMRIを撮った結果一致して言われていることで、動かしがたい「物証」なのです。

それを、有り得ない有り得ないと、いまだに認めようとしない父。

「有り得ない」のはその事実ではなく、そんなことに気づかなかった、父の妻に対する無関心だったのだと思います。

私も気付きませんでしたけれど、私はまだ子どもで、そんなものがあることも想像つかなかったですから、まだ免罪の余地があるかと。

でも父は、いくら性交渉がなかった(おそらく私が生まれてからずっと)とはいえ、仮にも大人で、夫なのですから。気づかなかった、で済まされる問題なのかと思います。

晩年の嫉妬妄想にも、父の関心を引きたいという隠れた心理的要素が介在していた気がします。

そう考えると、母の人生は常に不満感と欠乏感を抱えたまま過ぎてしまったような気がします。浪費もそこから来るものだったかも。

脳梗塞で倒れて半身不随になり、入った施設が異様に気に入り、いまだにそこから出されることを恐れているのは...

自分のことを尊重して、褒めてくれて、正面から向き合ってくれる介護師さんや看護師さんたちに囲まれて...

ようやく母が見つけた安住の場所だからなのかも。

愛情の薄い両親に育てられ、仲の悪い兄弟に囲まれた家庭でも、自分に無関心な夫がいる家庭でも得られなかったものが、施設で初めて得られたのではないかと。

そう考えると、本当に気の毒に思えてきます。

そして、家族っていったい何なのか、考えてしまいます。

何がなんでも人を血縁による「家族」という単位に閉じ込めて管理しようとする、統一教会的な?価値観のおかしさも、ここにあぶりだされています。

人の表面的な部分だけしか知りようのない状態で、結婚させようとする「お見合い」というシステムの欠陥も。

家庭を営むのに向いた人間だろうがそうでなかろうが「男女皆が結婚せよ」という「全員結婚」時代でもありました。

母は恵まれない家庭と、時代と、社会システムのせいで、不幸になった女性だったのではないか。

そう考えると…

我が子に対してした仕打ち自体は許せませんが、気の毒な女性として、同情する気持ちは十分に湧いて来ました。

母を送るとき、やはり涙の一粒くらいは流せる息子でいられる気がします。

というかもっと早くそこに気付いて、父の側だけでなく、母の気持ちにも寄り添ってあげればよかったと、今は思います。


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