昨日ようやく葬儀が済み、喪主の役目もなんとか果たせました。
なんだか大変な年越しになってしまいましたが...
母が亡くなる前に親子のわだかまりを解消し、心の中で完全に和解できたことは救いでしたし…
臨終に際してとはいえ、母にそれを言葉で伝えることができたのは、何より良かったと思っています。
私のひとりよがりではなく、母も喜んでくれたと思います。
そういえば、火葬場の係の方が「お耳の骨が綺麗に残っていますね。珍しいです。ご臨終の際に何か良い事を聞かれたのでしょうか」とおっしゃっていました。
自分の親を恨んだり憎んだりしているということが、私にとって長い年月、重たい心の錘になっていたのだなと、それを下ろして実感しました。
そこから解放されて「お母さんごめんね。いろいろありがとう。お疲れさまでした」と素直に思えることが、幸せな事なのとだとつくづく思います。
私自身は一応クリスチャンですが、家の宗旨は浄土真宗大谷派(東本願寺)なので、葬儀の導師は祖父母のお墓がある寺のお坊さんにお願いしました。
真宗では冥土への旅、中陰という考え方はなく、亡くなった人は弥陀の本願により、即時に成仏するということになっています。
なので死は穢れでも忌むべきものでもなく、従って葬儀の会葬者には、特段の希望がない限り「お清め塩」というものは出しません。
忌中・喪中というものもなくて、歌舞音曲を控えたり、物忌みをしたりということも必要ないそうです。
四十九日法要も、することが勧められてはいるものの、追善供養ということではなくて…
亡くなって仏となった人を縁に阿弥陀様の本願に一層感謝し、命の尊さに改めて思いを致す式だ。
と、お寺さんからも教えられました。
いろいろと変わった?宗派で、僧侶は頭を剃っていたりせず、髪をふさふさ生やしているし。
比較的お布施が少なくて済むし、葬儀に際して「戒名料」などというものが必要ないのも、遺族にとって負担にならないですね。
浄土真宗では「法名」と呼ぶそうです。
というわけで、母が亡くなっても、残された私たち家族は笑顔で元気に過ごしたいと思います。
生前の母を思い出し、感謝しつつ。
母もそう願っていると思いますし。
本年もよろしくお願いします🙇