早朝に施設から電話があり、容態が急変したので、これから救急車で病院へ向います。息子さんも来てくださいとのこと。
取るものも取りあえず、すぐ車で病院へ向かって...
それでも今日入院するのだと思っていたら、着いた時にはもう母は心臓マッサージを受けているような状態で。
医師から、全身状態に鑑みてもう戻って来られることはないと思うと。
施設から付き添って来た看護師、介護士の方も、入院の支度をして来ていただいていたくらいで、あまりの急な容態の悪化に呆然としておられました。
最後まで聴覚は残っているので、声をかけてあげてくださいと言われ。
父の肩ばかり持ってきたけれど、母の気持ちにも、もっと寄り添ってあげればよかったということを詫びて...
母からされたあれこれのことは、すべて赦すからと伝えました。
すると、母の目に涙がにじんだようでした。
そして呼吸が止まり、いったん心停止して、血圧もゼロになったのに、最近私の息子にあった「良い事」あれこれを話して聞かせたら…
脈拍と血圧が、一瞬だけ戻りました。
すぐにまた消えてしまいましたが。
臨終のときにはしばしばある現象だと言いますけれど、やっぱり聞こえたんだと思います。
うちの息子のことは可愛がってくれて、幼児さんのころ、公園で遊んでいるときに彼が「お団子食べたいな」とつぶやいたら...
黙って母が姿を消して、かなり遠くにある美味しい団子やさんで買った団子を、息を切らせて持ってきてくれたこともあったり。
息子が「お世辞じゃなく、おばあちゃんの煮魚が一番美味しい」と言ったら...
「そんなことないわよ」と言っていましたけれど、かわいい孫にそう言われて、内心嬉しかった...ような気もします。
それにしても、ほんとに急変でした。
昨日、最近同じ施設に入った父と会ったばかりでした。
医師から癌と思われるという話があった日「息子さんと話すからお母さんは少しだけ外で」と言われたのに無理やり車椅子のまま自分でドアを開けて入ってきて...
「私はどこもわるくないですから。今のところに満足していて、他のところへは行きたくないです」と、医師の膝にすがるように訴えていたほど、病院を嫌がっていた母。
「入院」と「延命治療」をとことん嫌っていたので、病院が本当に臨終の看取りだけになったのは、本人の思い通りでよかったと思います。
そんなにうまくいくものなんですね。さすが、頑固だった母です。
でも、母が亡くなっても涙なんか出ないんじゃないかと危惧していたのですけれど...
ちゃんと泣けました。
自分がそこまで薄情な人間ではなかったのだとわかって、少しほっとしたというか。
最後まで冷たい親子関係のままではなかったというのが救いです。
横浜は葬祭場も火葬場も大混雑だそうで、葬儀は年が明けてからになります。
それまで、母はご遺体がいたまない施設に安置されることになります。
詳しいことはこれから葬儀社と相談になりますが...
友達というのもおらず、近所付き合いもほぼなく、兄弟姉妹で葬儀に参列できるのは仲の良かった叔母一人だけなので、小ぢんまりと家族葬で見送ります。
幸せとは言えなかった母の生涯だったと思いますけれど...
不器用なりに、頑張って生きたのでしょう。
お母さん、お疲れさまでした。