今日は昨日の投稿の続きです。
エンターテインメントや、趣味、娯楽が心の薬になり、人を救うということ。
それに関連して。
そういうものに時間やお金を使うことを「くだらない」と切って捨てたり…
「遊びに時間や金を使うぐらいなら、もっと働いたり勉強したりしろ」と言い放ったり。
今なら主に高齢者と、親や先生に従順に育った真面目な人に、そういう人が多いようです。
でも、社会がますます複雑になり、かつてあった多くの「規範」の正当性が揺らいで…
何が正しいのかも不透明な時代。
しかも時代の流れ、変化がどんどん早くなって…
かつて正しかったことが、今は間違いだと言われたりする。
かつてやっていた仕事のやり方が、今は通用しなかったり。
そんな時代に、強いストレスを感じることなく、泰然自若としていられる人は…
むしろひどい鈍感人間か、サイコパス的精神の持ち主なんじゃないでしょうか。
もしくは、何から何までいい加減で、生きることに不真面目すぎるか。
そういう現代に生きている人間は…
「生産的で役に立つこと」「ためになること」だけをやって生きて行くのは無理です。
時代や環境の変化で傷つくことが避けられない人の心に、薬を塗り絆創膏を貼る行為。
溜まったストレスのガス抜きをし、張り詰めた精神をふっと緩める行為。
それがなければ、もはやどんな人も、生きていけない時代なんじゃないでしょうか。
こういう時代の、趣味・娯楽・エンタメは、もはや食べ物や水と同じような…
生きるための必需品なのではないか、そんな風に思います。
でも、趣味・娯楽・エンタメのたぐいは、それをたしなむ嗜好がない人にとっては…
すべてが「くだらない」ものになります。それは当たり前のこと。
演歌なんて古臭くて、性差別の宝庫でジェンダーフリーの観点から問題ありありだし。
パンクロックやヘビーメタルが嫌いな人には、騒音にしか聞こえないだろうし。
クラシックなんてわけわからんし眠くなるだけ、という人もいるだろうし。
「にーちゃんねーちゃんが歌って踊るの見て喜んで、バカみたいだ」
「酒なんて飲んで、体壊してバカなことだ」
「あんな球遊びのどこが面白い?」「格闘技なんて野蛮なことだ」
「疲れて危険を冒して、登山なんかして何になる?」
「ギャンブルなんて結局、胴元が儲かるようにできてるじゃないか」
「車に凝るのは無駄な見栄っぱりか、公道でぶっ飛ばしたい傍迷惑で反社会的なやつだ」
などなど……
そういう趣味が全くない人からすれば、全部が全部「くだらない」ものになるんです。
逆に言えば万人にとって「くだらなくない」「有益な」ものなんて、仮にあったとしても…
それはたぶん娯楽、趣味にはならないものでしょう。
傷ついた心の薬、絆創膏にはならないものでしょう。
はたから見れば時間や金の無駄に見える事しか、そういう役割は果たしてくれない。
おそらくそういう物なんでしょう。
でもそれが、生きるために欠かせないものだったりする。
完全に無趣味だ、と自称している人も、確かにいます。
でも良く見ているとそういう人は、自分もまた…
趣味の代わりの気晴らしのたねや「依存」するものを持っていることに…
自覚がない人です。たいていは。
それは「仕事」だったり…
(心理学ではワーカホリックは立派な依存症とされています)
我が子や孫を甘やかすことだったり…
(お金がかかるし、過干渉や過保護は虐待の一種です)
同僚やクラスメイトををいじめたり、家族や部下にハラスメントをすることだったり…
あるいは弱者に対する差別だったり、外国人や特定の思想を持つ人へのヘイトだったり…
今の若者なら、風邪薬などを過剰に飲む「オーバードーズ」という行為もそうです。
恋愛に依存、恋人に依存、夫や妻に依存する人もいる。
宗教や、思想、政党などの団体、また特定の偉人に傾倒することも、依存のひとつ。
酷い場合には、痴漢行為やストーカー行為、万引きなどの犯罪に依存する人もいる。
そうした依存は、趣味や娯楽、エンタメと同じ役割を果たしているのだと思います。
いずれにせよ、そうした「何か」に頼らずに生きていられる人が…
今の世の中にどれだけいるか。
そう考えると、なるべくなら…
体を壊したり、重い怪我を負ったり、極端な出費で経済的に破綻したり…
そういう危険性がなるべく少ない趣味、娯楽を嗜むのが「利巧」ということになるでしょうか。
でも、おりこうさんにしていては、たいして気晴らしにならなかったり…
健康やお財布に害があったり、危険の伴うものほど、面白くてハマってしまう…
という困った習性が、人間にはあるようなのですが。
わが身を振り返ってみれば、たとえば一昨日見て、癒された小倉唯さんの涙にしたって…
ビジネスのための「嘘泣き」かもしれないんですよ。
まんまとだまされて、コンテンツにお金を出させられているのかもしれない。
彼女は極めて有能なプロデューサーで、優秀なビジネスウーマンでもありますから。
(それでも一昨日の涙は嘘泣きではなかったと、私は思っていますけど)
まあ仮に声優に貢いだところで、大した出費ではないし、健康を害するわけでもないし…
他の人への加害になるわけでもないから…
「安全で利巧な趣味」のうちでしょう。
どうせだまされるなら、綺麗にだまされて心を癒してもらった方がいいですね。
アベやらキシダやら、ババやらヨシムラやらにだまされて…
(ああいうのは、ほとんど詐欺師と変わらない)
うまーく、見えない形で、お金を大量に貢がされたり、生活を苦しくされたりして…
それを「上級国民さま」たちのお仲間でぐるぐる回して、不当に儲けられている。
おまけに、我々が住んでいるこの国を衰退させられ、社会システムをぶっ壊されている。
そして悪いことをしても法を犯しても、たいして、あるいは全く罰せられもせずにいる。
権力の座にある人間が公有財産を私物化して、私腹を肥やす政治体制のことを「クレプトクラシー」(泥棒国家)と言います。旧ソ連や腐敗した独裁国に使われる言葉ですが、昨今の安倍・二階派の様子を見るにつけ、日本もクレプトクラシーだったのだと得心します。https://t.co/gwblqaIzrj
— 烏賀陽(うがや)弘道 (@ugaya) December 19, 2023
それでも「支持」し続けるのは、権力と自分が一体化した錯覚を覚えて、気持ちいいかも。
でもそれって、どうしようもなく悲惨な「だまされ方」ですよ。
権力者は「信者化」することで自分も強者の側に立った気になっている下々の者なんて…
屁とも思っていない。利用して搾り上げて、最後はポイされるだけです。それって…
芸能人なんかに入れあげるより、ずっとアホで、ものすごい実害のあるだまされ方。
多分、カルト宗教みたいなものにハマるより、もっと悪い。
「偉い人」「権力」「お上」にだまされて、信じて、支持し続けている場合には…
個人や家族に損があるだけじゃなくて、社会まるごと転落して行くわけですから。
そういうこと、もっと多くの人が理解しないといけないんじゃないですかね。
どうせだまされるなら、納得できる相手に、個人的にだまされていましょうよ。
……という厳しい話だけで終わると、また後味が悪いでしょうから…
今日は、以前に上げたことのあるこの曲をまた置いておきます。
私の大好きな曲。歌詞の最後の二行が、特に胸を打ちます。
「amazarashi」の秋田弘が歌う『僕が死のうと思ったのは』、どうぞ。