ロシアがウクライナに侵攻開始したときに書いた、このブログの2月28日の記事「世界平和のためにやっている」の冒頭部分と、最後の部分を、できれば読み返してください。
➡️5月7日に再掲しました!
小倉唯さんが、自分のすべての活動の、究極の目的は「世界平和」だと言っている件。
それとは別に、以前ネットラジオ『めっちゃコミック+本屋さん Special Radio』という番組に出演し…
小倉唯さんが、自分のすべての活動の、究極の目的は「世界平和」だと言っている件。
それとは別に、以前ネットラジオ『めっちゃコミック+本屋さん Special Radio』という番組に出演し…
最終回で真田一族のマンガについて取り上げたときに…
小倉さんが戦国時代の武将だったら、天下を取りたいと思いますか?またいまの声優の世界で天下を取りたいと思っていますか?
という質問がリスナーから寄せられたことがありました。
ご本人は「声優の世界で天下なんて、もちろん取りたいと思ってません」笑と。そして…
「もし、私が戦国武将だったとしても、天下を取ろうとは思わないですね」
「敵対する武将が領地に攻めてきたら、とりあえず逃げて、だれもいない土地に行ってそこを開拓して…」
「そこも攻められたらまた逃げて、別の土地を開拓しますね。そんなんじゃ駄目ですか?戦国時代に生まれてなくてよかったです」と言っていました。
物心ついてから、お母さんと言い合いをした以外に「けんか」というものをしたことがない、という絶対的平和主義者の唯さんらしい答えでした。
かといって「怒る」ということがないわけではないらしいですが。
怒ったときはどうなるかというと…
「声が普段より静かになって、理詰めで相手を論破しにかかる」そうです。
以前にマネージャーさんが、唯さんの得意なことは「会議、ディスカッション、ディベート、ブレーンストーミング」と言っていましたが…
意外に(と言うと失礼かな?)弁が立つんですね。
ところで、冒頭に触れた記事を書いてからもうじき2か月経とうとしていますが、ウクライナの戦闘は収束の糸口も見えない。
この戦争の原因はいくつかあるでしょうが…
その一つに、プーチンロシア大統領が「汎ロシア主義」=過激な民族主義・ナショナリズムのイデオロギーに毒されていることもあります。
どう考えてもロシアの国益にさえかなっていない、一種の「狂気」をはらんだプーチンの暴走は恐るべきものですが…
これは彼一人の問題ではなくて、過激な民族主義や排外主義、ナショナリズムが勢いを得ているのは、世界の各地で見られること。
この日本でも、他の東アジア各国でも…。
ファシズム、ナチズム、そして八紘一宇のイデオロギーが隆盛を極めた、今から90年ほど前の状況に、世界は似て来ているのかも。
ロシア軍がウクライナで、戦争犯罪といえる残虐非道な行為を行っているのは、たぶん事実なのでしょう。
しかしこれは決して特殊な状況ではなく、75年前まで、我が国も含めた各国が「戦地」で、同じような行為を行ってきました。
そうした過去を振り返ることなく、ただロシア=悪の軍団、プーチン=悪の総帥であり…
ウクライナ=一方的な被害者、ゼレンスキー=正義の英雄、という単純化した見方を大衆がするよう、日本をはじめ「西側」のマスコミは誘導しているようです。
でも実際、多くの戦争は単純な善と悪に切り分けられる事象ではなく、そのはざまに様々な国家の生き残ろうとする戦略や…
複雑な国同士の利害関係、経済を動かす者たちの思惑、そして長い歴史の中での経緯があります。
それを無視して、あまりに単純な「勧善懲悪」の物語を作ろうとしているメディアには、危うさしか感じません。
これは、ポジショントークではありませんよ。
私はイタリア語の翻訳と通訳、そして中世古典文学を中心テーマとして、イタリアの文化と歴史、哲学や宗教、美術について…
人に講義したり、本を書いたりする仕事をして来ましたので(最近やめましたが)…
あえて立ち位置を定めるなら、がっつり「西側欧州世界」の側の人です。
だから、プーチンの行動や汎ロシア主義を、まして権威主義国家体制や独裁政治を肯定するものではもちろんないのですが…
単純な物語に変換され過ぎている、あの戦争についての報道と、政財界の反応、それに誘導された一般庶民の論調には違和感しか感じないです。
ついでのことに、祖国のために銃を取って敵を殺すのは「自明の当然」ということにも。
お前は敗北論者か、という異論の方が多いのは承知の上ですけれど…
自国の事でもないのに片方に無批判に肩入れして、銃をとる人を英雄視して「良いもの」「悪いもの」的な見方をするのは、あまりに軽すぎるのではないかな、と思うのですよね。
最後に、ちょっと懐かしいこんな曲を。
セカイノオワリって、全体に軽くて甘すぎる、と感じる方には、こんな曲はどうでしょう。
amazarashiは、現代のバンドでもかなりヘビーでビターな部類だと思いますが。お気に召したら他の曲も聴いてみてください。
「ぼくが死のうと思ったのは」なんて、歌詞がなんとも文学的で、名曲ですよ。
小倉唯さんの話題からは離れてしまいましたが、ここは彼女の「絶対的平和主義」「言論で解決」という道も、そう馬鹿にしたものではないのでは?という風に思うのですよね。
この世界はあまりに複雑で、ほとんどの正義が(全部ではない)相対的なものである以上、正義のために人を殺傷するという行為自体を、暫定的にでも全否定すること…
つまり非暴力主義にも、一定の理があるのではないでしょうか。
人間が、殺し合う以外に問題の解決方法を知らないような生き物であるならば……
さらに、環境や他の全ての生物を損なうことしかできない人類は、この地球上に存在しない方が良いということになります。
そういう存在は、そう遠からず自然の摂理によって淘汰され、滅びることになるでしょう。
小倉さんが戦国時代の武将だったら、天下を取りたいと思いますか?またいまの声優の世界で天下を取りたいと思っていますか?
という質問がリスナーから寄せられたことがありました。
ご本人は「声優の世界で天下なんて、もちろん取りたいと思ってません」笑と。そして…
「もし、私が戦国武将だったとしても、天下を取ろうとは思わないですね」
「敵対する武将が領地に攻めてきたら、とりあえず逃げて、だれもいない土地に行ってそこを開拓して…」
「そこも攻められたらまた逃げて、別の土地を開拓しますね。そんなんじゃ駄目ですか?戦国時代に生まれてなくてよかったです」と言っていました。
物心ついてから、お母さんと言い合いをした以外に「けんか」というものをしたことがない、という絶対的平和主義者の唯さんらしい答えでした。
かといって「怒る」ということがないわけではないらしいですが。
怒ったときはどうなるかというと…
「声が普段より静かになって、理詰めで相手を論破しにかかる」そうです。
以前にマネージャーさんが、唯さんの得意なことは「会議、ディスカッション、ディベート、ブレーンストーミング」と言っていましたが…
意外に(と言うと失礼かな?)弁が立つんですね。
ところで、冒頭に触れた記事を書いてからもうじき2か月経とうとしていますが、ウクライナの戦闘は収束の糸口も見えない。
この戦争の原因はいくつかあるでしょうが…
その一つに、プーチンロシア大統領が「汎ロシア主義」=過激な民族主義・ナショナリズムのイデオロギーに毒されていることもあります。
どう考えてもロシアの国益にさえかなっていない、一種の「狂気」をはらんだプーチンの暴走は恐るべきものですが…
これは彼一人の問題ではなくて、過激な民族主義や排外主義、ナショナリズムが勢いを得ているのは、世界の各地で見られること。
この日本でも、他の東アジア各国でも…。
ファシズム、ナチズム、そして八紘一宇のイデオロギーが隆盛を極めた、今から90年ほど前の状況に、世界は似て来ているのかも。
ロシア軍がウクライナで、戦争犯罪といえる残虐非道な行為を行っているのは、たぶん事実なのでしょう。
しかしこれは決して特殊な状況ではなく、75年前まで、我が国も含めた各国が「戦地」で、同じような行為を行ってきました。
そうした過去を振り返ることなく、ただロシア=悪の軍団、プーチン=悪の総帥であり…
ウクライナ=一方的な被害者、ゼレンスキー=正義の英雄、という単純化した見方を大衆がするよう、日本をはじめ「西側」のマスコミは誘導しているようです。
でも実際、多くの戦争は単純な善と悪に切り分けられる事象ではなく、そのはざまに様々な国家の生き残ろうとする戦略や…
複雑な国同士の利害関係、経済を動かす者たちの思惑、そして長い歴史の中での経緯があります。
それを無視して、あまりに単純な「勧善懲悪」の物語を作ろうとしているメディアには、危うさしか感じません。
これは、ポジショントークではありませんよ。
私はイタリア語の翻訳と通訳、そして中世古典文学を中心テーマとして、イタリアの文化と歴史、哲学や宗教、美術について…
人に講義したり、本を書いたりする仕事をして来ましたので(最近やめましたが)…
あえて立ち位置を定めるなら、がっつり「西側欧州世界」の側の人です。
だから、プーチンの行動や汎ロシア主義を、まして権威主義国家体制や独裁政治を肯定するものではもちろんないのですが…
単純な物語に変換され過ぎている、あの戦争についての報道と、政財界の反応、それに誘導された一般庶民の論調には違和感しか感じないです。
ついでのことに、祖国のために銃を取って敵を殺すのは「自明の当然」ということにも。
お前は敗北論者か、という異論の方が多いのは承知の上ですけれど…
自国の事でもないのに片方に無批判に肩入れして、銃をとる人を英雄視して「良いもの」「悪いもの」的な見方をするのは、あまりに軽すぎるのではないかな、と思うのですよね。
最後に、ちょっと懐かしいこんな曲を。
セカイノオワリって、全体に軽くて甘すぎる、と感じる方には、こんな曲はどうでしょう。
amazarashiは、現代のバンドでもかなりヘビーでビターな部類だと思いますが。お気に召したら他の曲も聴いてみてください。
「ぼくが死のうと思ったのは」なんて、歌詞がなんとも文学的で、名曲ですよ。
小倉唯さんの話題からは離れてしまいましたが、ここは彼女の「絶対的平和主義」「言論で解決」という道も、そう馬鹿にしたものではないのでは?という風に思うのですよね。
この世界はあまりに複雑で、ほとんどの正義が(全部ではない)相対的なものである以上、正義のために人を殺傷するという行為自体を、暫定的にでも全否定すること…
つまり非暴力主義にも、一定の理があるのではないでしょうか。
人間が、殺し合う以外に問題の解決方法を知らないような生き物であるならば……
さらに、環境や他の全ての生物を損なうことしかできない人類は、この地球上に存在しない方が良いということになります。
そういう存在は、そう遠からず自然の摂理によって淘汰され、滅びることになるでしょう。