これ自体は昔から父の持病みたいなもので、何年かに1回起きていたことなのですが、ここ15年以上収まっていました。
初めてのことではないとはいえ、あの年齢で多量の出血はさすがに体力を消耗するでしょうし、精神的にショックだったようです。
病院の駐車場から受付へと歩くのも(その時鼻血は一時的に止まっていました)おぼつかなくて…
受付の方が気を利かせてくださって車いすを出してもらいました。
そうしたら「車いすって初めて乗ったけど、こんなに楽ちんなものだったのか」と。
介護する方も、自力歩行で傍に付き添って時速500mぐらいで(実際はもちろん500mも歩けないですが)歩いてもらうより、正直その方が楽です。
そして治療が終わって落ち着いたら、また「もういよいよ限界だ。施設に入りたいから手続きしてくれないか」と。
ほんの1ヶ月前(正確には9月9日)そういうことで手続きを進めて、明日はいよいよ…というところで「やっぱりやめる」と言われ…
ドタキャンというか、全部ご破算にさせてもらったばかりなのですが…。
もうドタキャンが二度続いてしまったので、また気が変わらないかどうか、心配で何もしていません。
デイサービスの先でも朝令暮改どころか、数分前に頼んだこと主張したことが、すぐに変わってしまって。
言うことが二転三転している自覚もなく、結果周りを振り回して、頻繁にトラブルを起こしているそうです。
しかも認知が入ってきてから性格が荒くなって、すぐに激高してひとを怒鳴りつけるようになってしまって。
男性の場合は、女性よりもともと攻撃性が強いので、理性の抑制が外れてくると、とても扱いが大変なのです。
特に子どもが大嫌いで、飲食店に行って近くに子ども連れが来ると、露骨にいやな顔をして。
小さな子がぐずったり大きな声で喋ったりし始めると「うるせえなあ!」と、むしろこちらの方が大きな声で文句を言って。
周りのお客さんはびっくりするし…
子どもなんて大声出すのが当たり前だし、相手の親がガラの悪いタイプだったりしたら逆ギレして、因縁つけられそうで、一緒に居ていつもドキドキなのです。
父にとっては外食できるというのが、施設に入らずにいるほとんど唯一のメリットになっていて。かといって子ども連れのいない高級店に、日常的に行くわけにもいかず。
でも、本人も好きでぼけているわけではないし。
父も心臓にステントを入れる手術(脚の血管からカテーテルを入れて挿入するやり方で、当時は先端医療でした)をしていなかったら…
もうとっくに他界していたはずなので、医療の発達と認知症の増加との間の因果関係は確かにあるのですが。
難しい問題ですね。
アルツハイマー型認知症の薬は「〇〇マブ」という薬が何種類か開発され、認可されていますが…
名前の最後に「マブ」が付く薬はみな「抗体薬」という種類の医薬品で…
製造に手間がかかり、大量生産も難しいので、どうしても薬価が高くなってしまうのだそうです。
実際、既出の認知症薬はいずれも年間100万円単位で自己負担が発生し、しかも定期的な点滴を生涯続けなくてはならないので…
低所得者層には手が届かないものです。
大量の患者が利用した場合、国の医療費負担が大変なことにもなります。
なので、実際は富裕な人だけに向けた薬だと言えます。
当然途上国の国民には無縁なもので、あくまでも「先進国の」富裕層のためだけの薬です。
(それが理由で、うちの息子はこの種の薬の開発には背を向けています)
加えてこれらの薬は認知症が「治る」わけではなくて、使用を開始した時点での状態から、それ以上進行するのを止める、あるいは遅くするだけの働きしかありません。
一度壊れてしまった脳細胞を復旧して、既に失われた記憶(ニューロンの連結による)まで含めて…
後から取り戻す方法は、今後どんなに細胞レベルでの再生医療が進んでも、不可能だと思います。
だから進行してしまった認知症に使用してもほとんど意味がなく…
あくまでも早期の、あるいは若年性のアルツハイマー型の患者にしか使えないのです。
そういう意味でも「使う人を選ぶ」薬だと言えます。
「認知症患者に福音!」みたいにセンセーショナルな報道をするメディアは単に部数とか視聴率とかWeb上での再生回数を稼ぎたいだけのものですね。
それはそうと、父は「今度はいよいよ身に染みた」と言って施設入りを希望しています。
今度のようなことがあっても、近くに看護師などが常駐していれば安心…というか、今は強い不安を感じているからなのでしょう。
でも、もし今のショックをまた忘れてしまって…
3度目の前言撤回をしたら、4度目はちょっと…。無制限に、行く、やめる、行くを繰り返すわけにもいかないですから。
私の問題だけでなく、申し込み先にも迷惑をかけ続けるわけで。
どうしたらいいのか悩んでいます。