紛失したり、紛失したと思い込んだりして大騒ぎになることがあるでしょうから、それは当然のこと。
でも母は「お金を差し入れてちょうだい」と。どうやって?と訊くと、畳んで差し入れる衣類の間に、挟んで紛れ込ませなさい、と言います。
何に使うの?買い物なんてできないでしょ?と言うと「介護士や看護師や他の職員に内緒で渡すんだから」。
つまり付け届け、賄賂用の資金を渡してくれということですね。
そういうことは以前にもあって、そのときはより個人的な待遇を良くしてもらおうということだったようですが…
今は体調の異変を本人も察していて(胸の変形や、傷口から汁状のものが出ていることも含め)…
そのために、より医療的な種類の施設や病院に移されてしまうことを恐れているようです。
検査で病院に行ったときも「体調はすごくいいですから。今のところで満足しているのでどこにも行く必要ないですから」と、医師に訴えていました。
そのためにすることが「付け届け」になってしまうところが、母らしいというか。
以前は「商品券を」と言っていたのが今度は直接現金を渡す、に変わったようです。
商品券のときはケアマネさんが「受け取らないと納得して下さらないので、お母様には受け取ったということにして収めましょう」と言って、全員分を返してくれたのですが。
それがかえっていけなかったのかもしれません。
そのときのケアマネさんはすごくいい方で、断っても頑迷に商品券を押し付けてくる母に手を焼いた末に、丸く収まる手を考えてくれたのだと思いますが。
現金渡すなんて、そんなことしてる人いないでしょ、と言っても「握手したときに握らせたり、ポケットにそっと入れたりいろいろあるのよ」と。
で、定期的にそういうことをする資金として「少しずつ持ち込んで、最終的には2千万円ぐらいここに持っておきたいのよ」と主張。
現金は1円も持ち込み禁止の施設に2千万円って…いったいどこに隠すというのやら。
完全にイッちゃっている発言ですが、もともと妄想性障害(精神疾患の一種)を患っている上に認知症が重なって、そういうことになっているのかと思います。
早く持って来い、また入ってなかったじゃないのと、しきりと催促されるとこちらもメンタルやられちゃうんですよ。
かつて母が父に対して嫉妬妄想を持って、私を味方につけようとしていたとき…
隙あらば私の手に万札を握らせようとしたり、ポケットにねじ込もうとして来たときの、あの嫌悪感…あんた恥ずかしくないのか?という感覚。
息子の心まで万札で「買える」と思っているのか?馬鹿にすんな!という思い…
それがまた、よみがえって来て。
でも…
そもそも「賄賂付け届け体質」なのは両親ともになのですけれどね。
父の仕事が芸能界の仕事で、しかも昭和の芸能界でしたから、コンプラも何もなく…。
裏でのカネの授受が当たり前、裏金で何でも動くのが、世の中全体の常識と思っていたのでしょう。
実際父も私に向かって「世の中結局コネで動いてるんだよね。そしてコネはカネで買うものなんだよ」と人生訓?を語ってくれましたから。
自民党政治家なんかと同じ体質。そういうのは、一生治らないものなのだと思います。
保守政治家と直接関わる財界の上層部とか、霞ヶ関の官僚の上の方とかも、同じ体質、同じ行動原理を持っているのでしょう。
「コンプライアンス遵守」とか言われて、守らされているうちは、会社員も公務員もまだ「兵隊」の身分だということです。
ちょっと横道にそれましたけど、そういう両親の考え方や家の雰囲気がいやでいやで仕方なかった私は、やっぱり祖父に似た気質なのでしょう。
上司の不正なやり方に怒って殴り倒し、逓信省の営繕部を辞めたり…
軍属として応召して赴いた軍事施設の建設現場で、朝鮮人徴用工の扱いが「使ってる馬より酷かった」「このままじゃみんな死んじまう」ということで…
将校に彼らの待遇の改善を申し出て、軍刀の柄で前歯を全部折られたり。
(残念ながら戦中までの日本は、そういう国だったんです。当事者から聞き取ったまぎれもない一次資料です)
祖父のような直線的で要領の悪い正義感は、私の両親には、全くないものです。
父は「戦中戦後におやじさんがもうちょっと要領よく立ち回ってくれたら、家族もあんなに貧乏して苦労しなかったのに」と愚痴っていたので…
その逆張りをした結果なのかも。
私はまた、親たちの、何でも正面から取り組もうとせず、横から裏から手を回そうとするコネ賄賂体質につくづく嫌気がさして、逆に振れてこんな風になってしまったのです。
私の息子は…私そっくりですね。正義感強すぎで苦労してる様子。
あれじゃあこの社会で「エラく」なるには相当な困難があるでしょう。
かといって、本当に正義やコンプライアンスが機能してる社会が、外国にもあるかどうか、心もとないのですが。
まあ、いろいろ探せばどこかに、もう少しはましなところがある……と信じたいです。
ともかく、そんなわけで価値観と人生観が両親とは相容れない私だったので、一日も早く家を出たい、実家から距離を取りたいと思って来たのですが。
両親が老いさらばえて、また深く関わらなければならなくなったら、再びそこの齟齬によるストレスがマックスになってきたということです。
積極的に絶縁する勇気もなかったのですから、自業自得ということで諦めるしかないですね。
追記:でもコネ「だけ」ならカネを使わなくても得る道はあるんです 、本当は。現に私は1円も使わずに、「流れでいつの間にか」自民党の元知事、内閣官房の現役参事官やゼネコンの元トップなど政官財界の住人から一時期「先生」と呼ばれる立場になりました。また文春の社長さんと個人的な飲み友達になったりもしました。ただそれを使って「個人的な利得を得る」才覚や、それ以前にそういう意欲を持っていなかったので。おかげで「ダークサイド」に堕ちることなく済んだのですけれど。全部、イタリア人の親友とつるんだことがきっかけでしたけれど、そのイタリア人もまた、私と組んでなかったらそういう縁も出来なかったわけで。真面目に勉強、研究してたら、そういうご縁もある…場合があるのです。