この世の終わり。 この世の果て。その意味を知らす。
我が名の元に集まりし人びとの中に、これは悪、これは善と真しやかに云いし者多し。
かくや 何も知らず何も考えず何もなさんで終わる者も また 多し。
我言う。
終わりとはこれ。
何もなさん者。 何をかをなさんと大ぼら吹く者。
みな全て同じ。同じ事。
神の名の元にて また云う。
隠さず汚さず生きし者、尊し。
我知らず、故に我在りたしと天を仰ぐ者、尊し。
隠さず汚さず生きし者 尊し。
ああ これ 幸い。
真の幸いとは すなわち自らの行いをさっさと汚さず生きた者の在り処なり。
訳してみます。
この世の終わりとは何を意味するのか
神を信じるという者の中には 悪とはこういうものだ、とか、善とはこういうものだ、などと、まるでそれが本当の事のように言う者達が沢山いる。
その逆のような人達もいる。 その人達は知識欲もなく考えるという事もしない。何もしないで一生を終える。こういう人も沢山いる。
この世の終わり、とはこの状態を言う。
知ったかぶりの者も 愚鈍な者も同じ。「終わり」「果て」の状態である。
神様はこうもおっしゃっている。
隠し事なく、汚れた心なく生きた人は尊い。
宇宙の智慧をいただきたいと天を仰ぐ心、それも尊い。
隠し事が無いこと。 つまりあざむきの無い事。
心を汚したくないと律する事、それが尊い。
そう、これが幸せ。
本当の幸せとは、自分の行いを潔く「汚さない。」と決める事。
そういう人がいきつく処が「幸せ」という状態である。
今日の盛岡。 うっすらですが日輪と大きな数本の龍雲
夕日もビューティー