またひとりあの頃の戦友が亡くなった。ウルトラセブンの脚本家・上原正三さん。撮影当時はあまりお付き合いがなくお話をしたこともなかった。2枚目の脚本家さんがいらっしゃる事は知っていた。
撮影後35年経った頃、お互いの友人山本正孝氏(セブンのチーフ助監督さん)彼が2003年12月に62歳で亡くなられた。当時山ちゃんが居を構えていた大蔵団地の集会場で小さくも温かい友達葬を、上正さんが葬儀委員長みたいに音頭をとって、私は受付を手伝った。お骨も一緒に拾わせて頂きました。
それがきっかけで上正さんご夫妻とは急速に親しくなった。山ちゃんの49日忌や一周忌も上正さんご夫妻として差し上げた。それからというもの、結構なお付き合いがあったけど、そのうち電話でお話ししたり年賀状だけになってしまった。奥さまのみっちゃんに連絡したかったけれど、上正さんは奥様の看病をなさっていた時に亡くなったらしい。みっちゃんも入院なさっていることを知った。(頑張れみっちゃん)
上正さんがご寄稿下さった『アンヌへの手紙』の一文が忘れられないでいるアンヌです。
ゆっくりおやすみ下さい。。。(合掌)
撮影後35年経った頃、お互いの友人山本正孝氏(セブンのチーフ助監督さん)彼が2003年12月に62歳で亡くなられた。当時山ちゃんが居を構えていた大蔵団地の集会場で小さくも温かい友達葬を、上正さんが葬儀委員長みたいに音頭をとって、私は受付を手伝った。お骨も一緒に拾わせて頂きました。
それがきっかけで上正さんご夫妻とは急速に親しくなった。山ちゃんの49日忌や一周忌も上正さんご夫妻として差し上げた。それからというもの、結構なお付き合いがあったけど、そのうち電話でお話ししたり年賀状だけになってしまった。奥さまのみっちゃんに連絡したかったけれど、上正さんは奥様の看病をなさっていた時に亡くなったらしい。みっちゃんも入院なさっていることを知った。(頑張れみっちゃん)
上正さんがご寄稿下さった『アンヌへの手紙』の一文が忘れられないでいるアンヌです。
ゆっくりおやすみ下さい。。。(合掌)