「怖いもの見たさ」なんて言葉があります。
見たら怖いから見ないようにしようと思うのに、どうしても身の毛がよだつような、鳩尾に一発喰らったような、衝撃のあまり瞬きも呼吸も忘れてしまうような、あの感覚を味わいたくなってついつい見てしまう。
そんなふうに、時々、無性に読みたくなる(見たくなる?)漫画があります。
漫☆画太郎さんの《珍遊記―太郎とゆかいな仲間たち―》全6巻(1990-92、集英社)[絶版]です。
小学生の時に読んだので、ストーリーは全く覚えていませんが、絵は覚えています。特に、キャラクターの眼がまるで底なしの穴のように闇が深かったこと、そして、人物の何故かいつも荒い息遣いが絵から聞こえてきそうだったのを思い浮かべることができます。
今、この作品が手元にないので、記憶の中でこの作品の印象が誇張されて残っている可能性はありますが、思い出すたびに、そのグロテスクさに鳩尾が「うげっ」として背筋がゾクゾクします。
最近、実写で映画化されたそうです。
《珍遊記》(2016、日本)
主演はピエール瀧さんと松山ケンイチさん。
まだ観ていませんが、《エビボクサー》の存在を知った時以来の平和を感じる一瞬でした。
2009年に、OVAも作られていてちょっと観たのですが、アニメーションになると微妙に絵が漫画のニュアンスと違ってしまって、なんだか期待外れだった記憶があります。
絵は絵として見るもので、動きや声がつくと全く別物になってしまいます。
けれど、一番驚いたのは主人公・太郎の声をターミネーターの人が担当なさっていて、プロはこんな仕事(失礼…)も嫌な顔ひとつしないで(したかな?)やるのだなぁと、感服しました。
アニメーションにはアニメーションの良さがあるのと同様に、漫画の絵にもそれにしかできない表現があります。
例えば、この作品でいえば、絵が見る者に訴えかけてくる、なんとも言えない危機感(本能的にヤバイと感じるような、それでいて目を逸らせない)は本当に秀逸です。
漫画家に備わっている画力とは、こういうことをいうのではないかと私は思うのですが。
それにしても、人間とはおかしなものです。美しいもの、整ったもの、洗練されたものを好む一方で、とんでもなく汚く醜いものに惹かれてしまいます。
バル〇ンを焚いて害虫を駆除し、ロボット掃除機で部屋を24時間清潔に保ち、家中に消〇力を並べて〇ブリーズを散布しまくる一方で、三日間風呂に入っていない脂の浮いたハゲオヤジの頭の匂いや、そのオヤジが脱ぎ捨てて、洗わずに放置した靴下の臭いを嗅ぎたくなるように。
(え!?ならないって!?笑)
別に、その臭いが嗅ぎたいわけではなくて、嗅いだことによって身体器官が起こす拒絶反応を楽しみたいのです。
いわば、ジェットコースターに乗って、内臓をかき回されるような感覚を味わいたいと思うのと一緒です。
(ちょっと違うかな?)
子供の頃から絵を描くのが好きだったので、私にとって漫画を読むという行為はお話を読むというよりは、絵を見て楽しむという嗜好の方が強いです。
でも、私は美術の専門家ではないので、絵の良し悪しなどはよく分かりません。
私にとって大切なのは、一目見て好きになるかどうかです。
第一印象がイマイチだと、どんなに話題作でも初巻だけ買ってあとは読まなくなりますが、絵が気に入るとストーリーの展開に関係なく続巻を買ってしまうこともあります。
最近は、電子書籍で手軽にサクサク読めちゃいますけど、やっぱり漫画は紙で読みたいと思ってしまうのは、絵をじっくり見るのが好きだからかなと思います。
特に、漫画雑誌の紙は色の出る具合も、手触りもサイズも独特なので、絵の見え方が単行本とは違うような気がします。
(こだわり過ぎですかね?)
そんな、絵が気に入るかどうかという基準だけで漫画を読んでいた私ですが、この《珍遊記》はそんな概念を遥かに凌駕しています。
ただただグロテスク。だけど、目が離せない。(注・小学生だった頃の印象です。)
最近でも、グロい絵の漫画はあるにはあるのですが、どこかやっぱりスタイリッシュに見えるグロさのような気がします。
なりふり構わないというか、取り繕わない醜さを表現しているという点において、《珍遊記》は他に類を見ないと言っても過言ではないかもしれません。
私のおぼろげな記憶では、掲載誌では漫画なのに折込みページみたいになっていて、しかも巻頭カラーでバーンと地獄絵図(笑)が展開されていたこともあったような?
開いて見ては衝撃的な絵におののいて慌てて畳んで、だけどすぐに何故かもう一度見たくなって開いて見ては、また冷や汗をかいて…という行動を繰り返していた記憶があります。
記憶違いかしら???
大人になった今では、そんなに衝撃を受けないかと思いますが、なんだか懐かしいのでもう一度見てみたいなぁという気になった今日、こどもの日でした。
見たら怖いから見ないようにしようと思うのに、どうしても身の毛がよだつような、鳩尾に一発喰らったような、衝撃のあまり瞬きも呼吸も忘れてしまうような、あの感覚を味わいたくなってついつい見てしまう。
そんなふうに、時々、無性に読みたくなる(見たくなる?)漫画があります。
漫☆画太郎さんの《珍遊記―太郎とゆかいな仲間たち―》全6巻(1990-92、集英社)[絶版]です。
小学生の時に読んだので、ストーリーは全く覚えていませんが、絵は覚えています。特に、キャラクターの眼がまるで底なしの穴のように闇が深かったこと、そして、人物の何故かいつも荒い息遣いが絵から聞こえてきそうだったのを思い浮かべることができます。
今、この作品が手元にないので、記憶の中でこの作品の印象が誇張されて残っている可能性はありますが、思い出すたびに、そのグロテスクさに鳩尾が「うげっ」として背筋がゾクゾクします。
最近、実写で映画化されたそうです。
《珍遊記》(2016、日本)
主演はピエール瀧さんと松山ケンイチさん。
まだ観ていませんが、《エビボクサー》の存在を知った時以来の平和を感じる一瞬でした。
2009年に、OVAも作られていてちょっと観たのですが、アニメーションになると微妙に絵が漫画のニュアンスと違ってしまって、なんだか期待外れだった記憶があります。
絵は絵として見るもので、動きや声がつくと全く別物になってしまいます。
けれど、一番驚いたのは主人公・太郎の声をターミネーターの人が担当なさっていて、プロはこんな仕事(失礼…)も嫌な顔ひとつしないで(したかな?)やるのだなぁと、感服しました。
アニメーションにはアニメーションの良さがあるのと同様に、漫画の絵にもそれにしかできない表現があります。
例えば、この作品でいえば、絵が見る者に訴えかけてくる、なんとも言えない危機感(本能的にヤバイと感じるような、それでいて目を逸らせない)は本当に秀逸です。
漫画家に備わっている画力とは、こういうことをいうのではないかと私は思うのですが。
それにしても、人間とはおかしなものです。美しいもの、整ったもの、洗練されたものを好む一方で、とんでもなく汚く醜いものに惹かれてしまいます。
バル〇ンを焚いて害虫を駆除し、ロボット掃除機で部屋を24時間清潔に保ち、家中に消〇力を並べて〇ブリーズを散布しまくる一方で、三日間風呂に入っていない脂の浮いたハゲオヤジの頭の匂いや、そのオヤジが脱ぎ捨てて、洗わずに放置した靴下の臭いを嗅ぎたくなるように。
(え!?ならないって!?笑)
別に、その臭いが嗅ぎたいわけではなくて、嗅いだことによって身体器官が起こす拒絶反応を楽しみたいのです。
いわば、ジェットコースターに乗って、内臓をかき回されるような感覚を味わいたいと思うのと一緒です。
(ちょっと違うかな?)
子供の頃から絵を描くのが好きだったので、私にとって漫画を読むという行為はお話を読むというよりは、絵を見て楽しむという嗜好の方が強いです。
でも、私は美術の専門家ではないので、絵の良し悪しなどはよく分かりません。
私にとって大切なのは、一目見て好きになるかどうかです。
第一印象がイマイチだと、どんなに話題作でも初巻だけ買ってあとは読まなくなりますが、絵が気に入るとストーリーの展開に関係なく続巻を買ってしまうこともあります。
最近は、電子書籍で手軽にサクサク読めちゃいますけど、やっぱり漫画は紙で読みたいと思ってしまうのは、絵をじっくり見るのが好きだからかなと思います。
特に、漫画雑誌の紙は色の出る具合も、手触りもサイズも独特なので、絵の見え方が単行本とは違うような気がします。
(こだわり過ぎですかね?)
そんな、絵が気に入るかどうかという基準だけで漫画を読んでいた私ですが、この《珍遊記》はそんな概念を遥かに凌駕しています。
ただただグロテスク。だけど、目が離せない。(注・小学生だった頃の印象です。)
最近でも、グロい絵の漫画はあるにはあるのですが、どこかやっぱりスタイリッシュに見えるグロさのような気がします。
なりふり構わないというか、取り繕わない醜さを表現しているという点において、《珍遊記》は他に類を見ないと言っても過言ではないかもしれません。
私のおぼろげな記憶では、掲載誌では漫画なのに折込みページみたいになっていて、しかも巻頭カラーでバーンと地獄絵図(笑)が展開されていたこともあったような?
開いて見ては衝撃的な絵におののいて慌てて畳んで、だけどすぐに何故かもう一度見たくなって開いて見ては、また冷や汗をかいて…という行動を繰り返していた記憶があります。
記憶違いかしら???
大人になった今では、そんなに衝撃を受けないかと思いますが、なんだか懐かしいのでもう一度見てみたいなぁという気になった今日、こどもの日でした。
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