11年前の今日、1月17日、目覚めてテレビをつけたら信じられない光景が映し出されていた。
あの年は、息子の小学校入学と、娘の幼稚園入園が重なっていたが、正月早々に舅が亡くなり、葬儀を済ませ、ほっと一息つき、夫も出勤し始め、まだまだ慌しいが、日常の生活リズムに戻ろうとし始めた時のことだった。
阪神淡路大震災
私の祖母はあちらの出身なので、母のいとこ達もそちらに暮らしている。
幸いな事に、母のいとこの家族は、震災そのもので命を落としたものはいなかったが、家がつぶれ、避難所生活を余儀無くされたり、被害の軽かった親戚の家に避難したりした。
でも、その後、母のいとこの家族の1人が避難所生活の間に体調を崩し、亡くなってしまったという知らせが届いた。(この人は、高齢でした)
1995年、平成7年1月17日。
いろいろな意味で、我が家の家族にとっては、忘れられない日である。
あの年は、息子の小学校入学と、娘の幼稚園入園が重なっていたが、正月早々に舅が亡くなり、葬儀を済ませ、ほっと一息つき、夫も出勤し始め、まだまだ慌しいが、日常の生活リズムに戻ろうとし始めた時のことだった。
阪神淡路大震災
私の祖母はあちらの出身なので、母のいとこ達もそちらに暮らしている。
幸いな事に、母のいとこの家族は、震災そのもので命を落としたものはいなかったが、家がつぶれ、避難所生活を余儀無くされたり、被害の軽かった親戚の家に避難したりした。
でも、その後、母のいとこの家族の1人が避難所生活の間に体調を崩し、亡くなってしまったという知らせが届いた。(この人は、高齢でした)
1995年、平成7年1月17日。
いろいろな意味で、我が家の家族にとっては、忘れられない日である。