兵庫県と言えば西脇市が日本のへそとして有名なんだけど。
へそよりも南に住んでいるけど日本列島のほぼ真ん中に住んでいる私。
兵庫県のクソなところは沢山ある(特に今の井戸知事になってからろくなことがない)けど地理的にはもっと発展できる余地もある県でもある。南と北に海を持つ唯一の県なんだからね。
義兄さんの道楽で作った里屋。このページの左下にリンクがありますが。
道楽と書いてはいますが、仕上げるまでの工程は苦楽の苦の方が多かったことは用意に想像が付きます。
体壊したり、仕事が忙しかったりしてお邪魔する機会がこれまでなかった。
とにかく一度おいでって言われて、時間を見繕って西へ西へと進路をとる。
姫路の山の中。兵庫県以西でなくとも山間の道路標識には動物の飛び出し注意の看板が珍しくない。姫路の山の中ともなればリアルに動物のパラダイスなわけで、動物の住む所に人間がお邪魔している感覚は珍しくない。
里屋はそんなところにある。近所の田畑は全て鹿除けの高圧電線が張り巡らされていて、こんなところに刑務所の一つも作れば囚人が感電死するのも珍しくないんじゃないかって思ったりする。
まあ何だかんだで目的地に到着。

これは羊の皮を被った狼的な外観です。見た目はまんま小民家です。

しかし中に入ると、この道楽には手間と暇が掛っていると分かる出来栄えでした。

自慢の暖炉
まあホームページを見てもらうのが一番ですが、もう今は宿泊の客はとってないらしい。客が地元住人とトラブルを起こしたらしい。
都会人が都会の喧騒に疲れて田舎暮らしを夢見て田舎に引っ越す。
聞こえはいいが、田舎には田舎のしきたりや、横のつながりがあって、外様は一生外様である。少なくとも親の代では変わらない。子供の世代が地元の人間と結婚して子供が生まれたぐらいの世代でようやく田舎モンの仲間入り、土着の人間となんとなく認められる程度。
そんな田舎の付き合いが嫌でみんな都会に出て行っちゃうんだよね。
都会の人間からするとそんな田舎モンの仲間入りにはなりたくないと思うかも知れないが田舎の横のつながりは相当なもの。今日の出来事は自分以外の全ての人間が共通の情報を持っていたりする。
あんなに家が離れてて、あんなに人の往来が少なそうに見えてと思うが、情報の並列化は半端じゃない。
なぜなら田舎って奴は他人のゴシップ以外に楽しい話がない。
目的地に向かう中、カーナビのない私は地図帳片手にあっちへウロウロこっちへウロウロ。田舎にゃ看板がない。
そして私のauは圏外の文字を表示する。
(今時の日本で圏外ってあるんだ・・・)と久々に認識。
都会は人も車も往来が多いので一度や二度往来しても誰も気にしない。隣は何をする人ぞってのが都会。
田舎って奴は太陽が昇れば野良仕事に出るし、日が暮れれば明日のために眠る生活だ。
だから田舎の昼間って奴は何処にいても人の目が光っている。都会なんかより絶対安全だと思う。昔、生まれた家は田舎であり、洗濯物が干しっぱなしで雨が降ってきたりすると普通に人ンちに上がりこんで洗濯物取り込んでくれる近所のオバちゃんがいたりしたのを思い出したり・・・
「今日は変な緑色のバンがウロウロしとったな。あれは怪しいんちゃうか」
なんて話がそこかしこで話されていることは簡単に想像が出来る。田舎の住人には変化はニュースなのだから。
義兄さんは三宮に住み、仕事の都合でしょっちゅう海外を飛び回っている。
都会の喧騒に疲れて田舎の小民家で余生をなんて思っているのかも知れない。
とにかく時間の流れが止まった空間がそこには確実に存在していて、リラックスするには最高の空間を義兄さんは作り楽しんでいる。天晴れです。
へそよりも南に住んでいるけど日本列島のほぼ真ん中に住んでいる私。
兵庫県のクソなところは沢山ある(特に今の井戸知事になってからろくなことがない)けど地理的にはもっと発展できる余地もある県でもある。南と北に海を持つ唯一の県なんだからね。
義兄さんの道楽で作った里屋。このページの左下にリンクがありますが。
道楽と書いてはいますが、仕上げるまでの工程は苦楽の苦の方が多かったことは用意に想像が付きます。
体壊したり、仕事が忙しかったりしてお邪魔する機会がこれまでなかった。
とにかく一度おいでって言われて、時間を見繕って西へ西へと進路をとる。
姫路の山の中。兵庫県以西でなくとも山間の道路標識には動物の飛び出し注意の看板が珍しくない。姫路の山の中ともなればリアルに動物のパラダイスなわけで、動物の住む所に人間がお邪魔している感覚は珍しくない。
里屋はそんなところにある。近所の田畑は全て鹿除けの高圧電線が張り巡らされていて、こんなところに刑務所の一つも作れば囚人が感電死するのも珍しくないんじゃないかって思ったりする。
まあ何だかんだで目的地に到着。

これは羊の皮を被った狼的な外観です。見た目はまんま小民家です。

しかし中に入ると、この道楽には手間と暇が掛っていると分かる出来栄えでした。

自慢の暖炉
まあホームページを見てもらうのが一番ですが、もう今は宿泊の客はとってないらしい。客が地元住人とトラブルを起こしたらしい。
都会人が都会の喧騒に疲れて田舎暮らしを夢見て田舎に引っ越す。
聞こえはいいが、田舎には田舎のしきたりや、横のつながりがあって、外様は一生外様である。少なくとも親の代では変わらない。子供の世代が地元の人間と結婚して子供が生まれたぐらいの世代でようやく田舎モンの仲間入り、土着の人間となんとなく認められる程度。
そんな田舎の付き合いが嫌でみんな都会に出て行っちゃうんだよね。
都会の人間からするとそんな田舎モンの仲間入りにはなりたくないと思うかも知れないが田舎の横のつながりは相当なもの。今日の出来事は自分以外の全ての人間が共通の情報を持っていたりする。
あんなに家が離れてて、あんなに人の往来が少なそうに見えてと思うが、情報の並列化は半端じゃない。
なぜなら田舎って奴は他人のゴシップ以外に楽しい話がない。
目的地に向かう中、カーナビのない私は地図帳片手にあっちへウロウロこっちへウロウロ。田舎にゃ看板がない。
そして私のauは圏外の文字を表示する。
(今時の日本で圏外ってあるんだ・・・)と久々に認識。
都会は人も車も往来が多いので一度や二度往来しても誰も気にしない。隣は何をする人ぞってのが都会。
田舎って奴は太陽が昇れば野良仕事に出るし、日が暮れれば明日のために眠る生活だ。
だから田舎の昼間って奴は何処にいても人の目が光っている。都会なんかより絶対安全だと思う。昔、生まれた家は田舎であり、洗濯物が干しっぱなしで雨が降ってきたりすると普通に人ンちに上がりこんで洗濯物取り込んでくれる近所のオバちゃんがいたりしたのを思い出したり・・・
「今日は変な緑色のバンがウロウロしとったな。あれは怪しいんちゃうか」
なんて話がそこかしこで話されていることは簡単に想像が出来る。田舎の住人には変化はニュースなのだから。
義兄さんは三宮に住み、仕事の都合でしょっちゅう海外を飛び回っている。
都会の喧騒に疲れて田舎の小民家で余生をなんて思っているのかも知れない。
とにかく時間の流れが止まった空間がそこには確実に存在していて、リラックスするには最高の空間を義兄さんは作り楽しんでいる。天晴れです。