エクレアのあのねのね

大と為せば、以って大と為すに足らず

















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紅糸線

2005年05月28日 09時58分52秒 | 徒然日記の50
紅糸線

室町時代のお坊様の一休宗純禅師(一休さんですね)が男女の縁(えにし)を紅糸線という言葉で読んでいます。
いわゆる”赤い糸”です。詩集「狂雲集」の中で、盲女(しんにょ)との経ちがたい純愛を”紅糸”という言葉で表現しています。

私は現代人らしく相当俗にまみれて生活をしていますのでお坊様のように俗世間から足を洗った生活はとても出来るものではありません。
ですから恋多き私としましては”純愛”なるものにはとんと縁がございません。英語で言いますと”ピュア・ラブ”ということになりましょうか?

男女の仲に友情は成立しないなどということを申します。どうなのでございましょう?
かくいう私の場合友情で結ばれている女子というのは幼なじみの女子一人でございます。
彼女の場合、女子ではありますが実際のところ兄弟のようなものです。
ですから純愛や恋愛ではなく家族愛ですね。ですから二人の間には男と女のような世知辛いものは存在しないのであります。

私は純愛こそしてはおりませんが好きになった相手に対してそれほど多くの見返りを求めたりはしません。
どちらかといえば私のお相手をしてくださる方に愛を注ぐことによって、その行為自体に満足しているのだと思われます。
ナルシストなんでしょうね。たまに優しいしぐさや、言葉をいただけるだけで天まで昇れるタイプです。お安くあがります。

私の場合、誰かを愛しているという行為は私が私であるための自己の再確認の行為になっているきらいがあります。
良くも悪くもですね。

さて、皆様におかれましてはいかがなものでしょう?男女の間に友情は?純愛は?存在するのでしょうか?
もしございますれば是非ともお聞かせ願いたいものでございます。

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