エクレアのあのねのね

大と為せば、以って大と為すに足らず

















なページ

原爆の日に想う

2006年08月06日 11時15分04秒 | 徒然日記の50
亀田の試合には賛否両論あろうが結果が変わるわけでもない。
亀田が、
「次があるから批判される。負けていれば誰も問題にしないだろ・・・」
の旨の発言。その通り。次がある。出来レースでなければ応援していいんじゃないか?しかし視聴者の数十パーセントが「負けろ」と思って見ていたというのが面白い。ビッグマウスをあまり気分よく思っていない人がいるという事実もあるということ。

感動の仕方は色々ある。こういう特異性のあるキャラクターはいつも物議を醸し出すものだけどもう少し違う感動の与え方もあると思うな。このお兄ちゃんは弟思いやし、お父ちゃん思いやし、もうお兄ちゃんとしては本当に鏡のような子。もうチャンピオンになったことだし、ビッグマウスはこの辺にして人格形成に磨きをかければもっとよくなるだろうね。いつもそう。マイク・タイソンじゃないけど荒くれるだけの人間の寿命は短いからね。心・技・体はチャンピオンの資質だよ。

マラソンの円谷幸吉(故人・自殺)は現役時代「あの電柱まで走ろう・・・」と苦しくても頑張ることで結果がついてくる。そういう感動を与えてくれました。その円谷氏は遺書で、
「父上さま、母上さま、柿、トロロおいしゅうございました...」
と最後まで尊敬の念を忘れない生き様にふれ、私などは涙したものです。ま、感動には色々あるものです。

さて、本題。昨年の今頃は確か「はだしのゲン」をギャオが配信していて久しぶりにみて涙を流していた。戦後61年。夏になるといつも戦争のことが語られる。良いことなのか?悪いことなのか?最近は賛否両論、議論されるようになってきた。これは取りも直さず戦争体験者、戦争を語り継ぐ人々たちが少なくなってきているということ。特に教育の現場で戦争体験者がいなくなってきているのでこれを語り継ぐのはもう難しいのかな?と感じてきてるな。
「戦争を知らない子供たち」である私たちの年代が忘れてならないのは、
「正義の戦争はない」
ということ。時代が変わってもそう。経済的なこともあるけど戦争で時代が進むのはもう良くない。悪しきことから学ぶのはもういい。歴史をもっと勉強すればいいのだから。過去はきっと未来のあるべき姿を見せてくれるはずだから。

「大阪で地平線が見えた」といったのは故・開高健。その先に未来が見えたんだろうが、また同じことを繰り返すこともない。今の憲法の美しさを忘れないでほしいと切に願うのである。

何を語るにもこうして「故」が付き始めてる。語る人は故人となりつつあるのだ。戦争を経験した人がいなくなったときき我々はまた「戦争」に出会うのかも知れない。いやいや、杞憂であってほしい。・・・しかし最近想像できることは起こりうるべきことだと往々にして思うことが少なくない。だからこうしたシュミレーションを想像する事を止める事から始めないといけないんだよな。

故人に合掌

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