これから

2006年03月31日 | Weblog
最近妙に野球ネタばかり書いていますが、
実際春のセンバツやらプロ野球開幕やらで盛り上がりを見せてますもん当然です。

でも、少し別にのスポーツなんぞもやってみたいなとも思うております。

具体的な戦術やら、体の動かし方やらは
それなりに時間をかけて研究すればなんとかなるやろし、
心をつかむという事を自分の自信の無い分野でも試してみるべきではないかと思うのです。
なかなか上手くはいかんのでしょうが、まぁやってみよ。
つか、普通の内容ばっかやな最近。

今からボブラヂ。

2年間の全て

2006年03月30日 | Weblog
2年間の最後はザーザー雨だった。
屋根のある所でトレーニング後、
体育館に移動して、最後の回を迎えた。
別れに際して、涙を流してくれるものもいて、
僕は感激した。意外と彼らは僕の事を知っていてくれた。

家に帰ってきたら、早稲田実業と岡山関西が闘っていた。
前日に延長15回まで行って引き分け再試合になった対戦だ。

逆転に次ぐ逆転で最後の最後も2アウト満塁で4番に回るという試合だった。
早稲田実は0-2からカーブを投げた。
ボール球だったが振ってしまう。
試合をずっと見ていたら、
どこでもカーブを投げれる投手だと分かっていたはず。
振らなくて良かっただろう。
そのまま0-3なら押し出しも合った。

彼らに悔いは残ったか、それでも友を支えながら闘いきった事に
やりきった感を感じる事が出来たのか、
最後の最後まで満足なんて出来はしないが、
全部出し切れる事を最大の目標として欲しい。

2年前、今、活躍している連中が1年生で入ってきた
こいつら本当に3年生になるのかと思ったもんだ。
彼らも随分と変わったが
、僕も随分と変わった。
2年間の全て。

最終戦

2006年03月29日 | Weblog
朝は曇天。
まさに今、雨粒が地面に向かって降下してこようとしている。
僕がこの場所で最後に出来るの事は、ただ彼等のプレーを見届ける事。

丁度、今日は前任校との対戦であり、
僕の尊敬してやまない顧問の方との対戦であった。
もう一校も偶然にもその方の後輩であり、
僕の友人が勤めていて一度やってみたいと考えていた学校だった。

僕は本日の三試合で球審を勤める事にした。
それが最も集中した状態で試合を見届ける事になると考えたからだ。

試合は2連勝、最も良い形で戦いを終える事が出来たと思う。
しかし、多少は悔いが残るくらいの形で終わった方が良かったのではないかと思う。
何事も満足したら終わりだからだ。

2試合とも完封で終われるはずの試合の2試合目、最終回に一点許す。DBにエラー。
彼等には課題が残った。
満足は出来ない。
それが逆に救いです。

ゲームセットを告げたあと、雨粒が地面への降下を開始し、そのまましばらく降り続いた…。


サヨナラCOLOR

2006年03月28日 | Weblog
明日で最終戦。
二年間三代に渡る彼等の戦いを見届ける日が来たのです。(とはいえ、明後日練習しますが)
サヨナラのにおいがします。
ぷ~んとにおってきます。
サヨナラの色がにじみます。
グショっとにじんでおります。
丁度カズトもバタードッグのサヨナラCOLORが聴きたい
とねだります。
そんな気分なんでしょう…。
なんてったって傷心ですから…。

サヨナラから始まる事がたくさんあるカラ~。

この試合別に負けてもえぇわ、なんて思わせはしない。

2006年03月25日 | Weblog
俺は負けてもえぇやなんて思いもしなかったし、
そんな練習をしてきたつもりもなかった。
そして、何人かの人がそう思った事に、
気付いてもいなかったし、
気付きたくもなかったんだろうと思う。

だって、そんなの認めちゃったら、
自分等、今まで何してきたんだろう?って、思わね~か?
でも大体気付いてはいたんだよな、多分、認めたくねーだけで、
本当に絶望したから、次のステージに上がろうとはしなかった。
みんなが当然自分たちは負けるべくして負けたと納得し、
今後、一緒に野球が出来なることを寂しいと思わなかったから
涙の1つも出なかった。
5-0だったと思う。

十年経った今、その事を知った僕は非常に愕然とし、
軽く怒りすら感じているけれど、
当時、その状況(なにか悶々としている状況)を何とかするために
自分は力を尽くす事が出来なかったんだから、
俺も何も言えやしない。
むしろそこから自分も逃げ出したいとすら思っていた。

でも今ハッキリとした、それが知れて良かったよ。
今、僕は自分自身の後悔を晴らすため、
日々彼らに怒り狂っている理由がようやく分かり始めた。
これで心置きなく彼らにブチ切れれます。

今後誰にも、
「この試合、別に負けてもえぇわ」
なんて思わせはしない。

これもひとつのWBCがもたらした産物。

神の右手

2006年03月23日 | Weblog
WBC優勝の立役者、9番と1番を打ったソフトバンク遊撃手川崎宗則。
1次リーグではHRを打ち、随所でファインプレーを決めた。
盗塁もすれば、セフティーバントもした。

彼はソフトバンク入団時、唯一の高卒ルーキーだった。
他の新入団選手は、社会人であったり大卒であったりした。
彼は力の差に多いに悩んだらしい。
もうやめたいとも思ったらしい。
それが子供の頃からの夢であったにもかかわらず・・・。

ただ高校の卒業試験で帰郷した際、
それを知った父は彼を三発殴ったそうだ。

それで彼がすぐに変われたかどうかは分からない。
ただ、今の彼の活躍を見れば、
彼が弱い精神の持ち主でなかったことはよく分かる。

彼は決勝の舞台で、ファインプレーもしたし、エラーもした。
そのエラーにつけこまれキューバに6-5と追い上げられた。
彼はくしくも3度ボールを落した。

しかし、彼の国内での監督である王監督は彼をすぐには替えなかった。
僕は8回の守備から替えるものと思っていた。
川崎は9回の攻撃で見事な生還を見せる。
今、話題となっている。「神の右手」の好走塁である。
彼は、そして右手の靭帯を損傷した。

失敗の後の彼の活躍が、そのまま今回の二次リーグで、
死にかけながら復活し優勝した日本を、
そのまま象徴しているかのように思えてならない。

挫折の中から這い上がるものこそ美しい。
その延ばした手が、むしろ、神の手に見える。

世界一

2006年03月21日 | Weblog
世界一です。
日本人としての誇りはこういう時に感じられるモンなのだと思います。
君が代を歌う事がどうなのかとか、
日の丸を掲揚する事がどうとか、
わりと討論する前に明白だと感じます。

まぁそんな話はやめておきましょう。
今は、ややこしい話は無用です。
国民の代表の頑張りを、国を上げて拍手したい。
今日学年のみんなで拍手しました。
(23日に書いています)