Catch the words

from Shizuoka/name is "slide"

レモンティー

2017-03-20 | Weblog
夢を観て
余韻の儘に一日が始まって
余韻の儘に一日が終わる

明日も明後日も
ずっと
続いたら良いのにと
思う

世界の片隅の片隅の
アンダンテ
せめて
レモンティー

味わって夜をすごそう
こんなに愛しい
夢を観て







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花と船と窓

2017-03-20 | Weblog
3月20日、月曜日。
午前7時17分。
晴れ。


昇る太陽が家並みの上で輝いています。
放射される光は、黄金色と橙色と白と…
さまざまな色の細かな光の粒子で満ちています。


DNAに組み込まれているのかな、
思わず手を合わせてしまう太陽です。
すっかりこっそり、毎朝の習慣です。



自然とやっていること、“手を合わす”
もれなく、“目を閉じる”
そして、“祈る”。


掌を合わす、という行為は
日本も外国も同じなのですね。
合わさないよっていうお国もあるかもしれないけど
画集などを観るに
マリア様とか、観音様とか、手を合わせていますね?


髪や瞳の色がちがっていても
国境線で区切られていても
海で隔てられていても
体の中、細胞の中、DNAの中
心の奥ではやっぱり
世界中、繋がっているのかもしれないね、^^
…とふいに思うのでした。



昨晩、詩を作りながら眠ってしまって
また遅刻。(>_<)


いつもの何倍も眠い強力な眠さで
送信ボタンもいつ押したのか記憶になくて
居眠りながら詩を作る…という


詩の神様がいたら
怒られてしまいそうな(神様は怒らないか?)
そんな失礼な僕でした。m(_ _;)m


何を書いたかも覚えていないという有り様で
夢の中で書いていたような感じで
自分でもどう考えて書いた(打ったのか)記憶になくて
我ながら何だかな…です。


だけど
その無意識といっても過言ではなさそうな
無計画に赴くままに書いたものというのは
深層心理の世界なのかなと思ったりして


でも、自分で書いただけあって
読み返すと
あぁ…書いた記憶が朧気に何となくは…あるかな?


寝ぼけると、思いもよらぬ行動を
自然としていたりしてね
いい歳をして寝ぼけぐせなんてあっていいのかね?(^^;)



それはそうと
今日は、春分の日のようです。
そして、お彼岸のお中日。(お参り済)


春のお彼岸は、ぼた餅
秋のお彼岸は、おはぎ


あのお彼岸の時にお仏壇に供える餡で包まれた和菓子は
春と秋とで呼び名が変わるのですよね?
で、ついさっき知ったのだけれど…


夏は、夜船
冬は、北窓


という呼び名になるのだって?
夏と冬はお彼岸がないから広がっていないらしいとのことだったけど


季節によって
あの和菓子(中が餅米、外は餡)の呼び名が違うなんて
小粋だなぁ、そして目から鱗です。(@_@)


素敵な呼び名ですね。


ぼた餅の“ぼた”は、花の牡丹ですよね?
おはぎの“はぎ”は、萩の花ですよね?
夜船に北窓も素敵です。


僕の部屋にも北側に小さな窓があるのだけど
小さな枠から見える空は
南側の窓から見える空とは、また違う魅力があるもの。


同じ空じゃないかと思われてしまうかもだけど
何でだろうね?
小さな枠の中には夢があるような?
気がしてしまったりして。


南の窓は、太陽の印象
北の窓は、月の印象
静と動みたいなね?



あと、豆知識なのだけど
餡は小豆
小豆は赤いことから
魔除けや厄払いに良いらしいです。
それがお彼岸供養にも良いとか…らしいです。


ぼた餅をお仏壇にあげた後
さげていただいたら
何かご利益があるかもですね。^^


ぼた餅、夜船、おはぎ、北窓
同じお菓子に呼び名が変わるのって
季節に繊細に感応する日本オリジナルなことかもですね。


季節感のある文化、
やわらかな発想
日本って、世界を見ても貴重な
素敵な文化の気がします。



快晴の春分の日
花粉にカゼに気を付けて
良い日を!







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一つ一つ

2017-03-20 | Weblog
安心しなさい
と、星光る

どうして
こんなに静かなのだろう
町から町へ届けられる光は
一つ一つが希望です

こんなに

眠りに入るその前に
安心しなさい
と、星光り







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それも縁

2017-03-19 | Weblog
3月19日、日曜日。
午前7時56分。
晴れ。


空は光を含んで広がっています。
電線に鳩が一羽とまっています。
休憩中かな?



毎日、詩を下手なのだけれど、綴っている僕だけれど
昨晩、言葉を間違えました。
cup→glass
です。すみません。m(_ _;)m



昨日(土曜日)は、また友人とバッタリ出会いました。
振り向いたらいて、10分くらいかな?話をして
今度、久しぶりにどこか一緒に出掛けましょうと約束をしました。


友人、ちょっとやっぱり
お疲れモードだったようで
僕と同じく
足が浮腫むようになってしまったとかで
ちょっと心配です。


前回会った時は、
友人が
“最近、すごく食べてしまうだよ〜”
と、言っていたので


食欲があるなら元気だ、良かった良かった!
…と思っていたけど
今度は足の浮腫みの報告なので、ちょっぴり心配配です。


僕もそうだけど
ずっと立っているらしいので(仕事中)
避けては通れぬ浮腫みかな?
それとも、いい歳だからかな?(>_<)



バッタリ出会うのも、こうやって定期的にあると嬉しいです。
ただ元気そうな姿を観られただけでも
ホッと安心します。^^



思えば友人と初めて出会ってから
かれこれ、長い年月が経ちました。
初めて会った時のシーンは…全く覚えていないですけど。(ノ_<)


袖振り合うも多生の縁


という言葉がふいに浮かんだのは
ついさっき、冷蔵庫の前だったかな。


たった一瞬だけでも多生の縁ならば
長い年月、友人である友人とは
何にも緊張せずお喋りできたり
悩みを言えたり
いくつか共通の思い出があったり
そんな関係ならば


多生の縁も
かなり強めの強め…
大きな出会いだったのだろうね、
今でもバッタリしては嬉しかったり安心しているのだもの
多生の縁なのは確実ですね?(o~-')b


友人だけではないけど
今頃、何しているかな?とか
働いている時だね、とか
思ったりするもの。


空の星になってしまった人々にだって
どんな様子かな?
みんな仲良くやっているかな?
…とか気になりますもん。



思考がそうやって
自分のことより他人のことに支配されているなら
それもまた縁


なのかな?
“多生”は、仏教用語らしいですね?
生まれ変わること、生と死
輪廻転生のことのようです。


生まれ変わりがあるのは信じているけど
前世が何だったか、霊感は無い方なので
全く分かりません。f^_^;


人間だったのか、人間以外だったのか
もしかしたら
植物とか、プランクトンとか?
どんな前世だったのか
全然分からないです。


何となく、興味はあるのですけどね、
“袖振り合うも多生の縁”
なんて言葉から思い浮かぶ人々のことを
一人一人考えていると


多生の縁なら
どんな前世の、どんな関係だったのだろうなぁ?
なんて思ったりしてね。


僕なんかは、こんな人間だから
普通の人より
今生、出会った人の数はかなり少ないと思うので…


普通の多生の縁より
かなりの多生の縁なのではないか?
と、思ってしまいます。


きっと、今生でも、前世でも
その前の生でも
お世話になったり、迷惑掛けたり、コラコラみたいな関係だったら
申し訳ないと思ってしまいますし


反対に
お互いに助け合ったり、支え合ったり、笑い合ったり
そんなありがたい関係だったりしたなら
ありがとうです。(^_^*)


そんなことを思った
何回目かの
長年の友人とのバッタリでした。^^


晴れた週末、
春の息吹きを楽しんで下さいね。
良い日を!







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cup

2017-03-18 | Weblog
最近の楽しみは
チョコレート
レモンティー
咲き始めた花を見つけること

草の中の僅かな息に
尊敬の念を持ってかしずく時
我は無くなって
たった一つの命になること

最近の哀しみは
喜びも
怒りも
戸惑いも
安心も
全てを持って生まれたこと
ときどき

レモンティーを注いだ時の
コップの縁の雫
チョコレートの小さな甘み

最近の喜びは
哀しみも
怒りも
戸惑いも
安心も
大切な感情だと知ったこと

カップの透明





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