父娘の混浴 日本では歴史的にアリだが欧米では性的虐待扱い(NEWSポストセブンの記事より)
江戸時代、キリスト教を布教しに日本に来た宣教師が来た時のことです。
男女が一緒に裸で風呂にはいるのを見て「この国の風俗は乱れまくりです」と驚きました。
それに日本の侍が「西洋人は裸を変に隠したがるから返っていやらしく思うのだ」と反論したといいます。
出典不明でかなり作り話っぽいですが、まあまあありそうな話ではあります。
しかし、西洋文明でもいつでも裸が恥ずかしかったかというとそうでもありません。
古代ギリシャの時代、裸体は芸術的なものだと見られてました。
では、その後入ってきたキリスト教文化が悪いのでしょうか?
確かにそうですけど、旧約聖書によれば知恵の実を食べる前にはアダムもイブも裸が恥ずかしいと思ってませんでした。
つまり、変に考えすぎなければ裸を恥ずかしいとは思わないという自覚はあったようです。
ともかく、時代ごとに裸の恥ずかしさの程度は変わることは間違いないようです。
では裸がより恥ずかしくなる時代というのはどういう時でしょうか?
かいつまんで言えば、社会が窮屈になっている時です。
日本で言えば、江戸時代はおおらか、明治時代は厳しく、昭和はおおらか、平成は厳しくなっています。
裸というのは、個人それぞれが隠し持っているプライバシーの最たるものです。
社会の締め付けが強くなるほど、その一方で公と私が分けられ、プライバシーが重視されます。
なので、裸がより恥ずかしいものとなっていくのです。
今が過去のどの時代よりずっと精神的に自由だと思っている人も多いかもしれません。
ですが、それは少し鈍感だと思います。
それに、こんな話があります。
ほとんど裸で生活しているあるとある未開部族がいます。
彼らは裸を恥ずかしがらないのですが、そのかわり人に素肌の首を見られることは死ぬほど恥ずかしがります。
それがどこかは別として、人に見られたら恥ずかしい身体の部位というのは、人がその人のアイデンティティとして必ずいるもののようです。