1001タイ映画、千夜一画 

タイ映画またはショートフィルム他で心の琴線に触れたアーカイブ。

Midnight,My Love 、今年の始めは確かMidnight Taxiという題名だったが

2005-10-14 13:52:05 | Weblog,
バンコクで老舗の大型商業施設マーブンクロンは何もしなくてもすさまじい騒音で聴覚の麻痺で思考の一時的酸欠状態に陥る。チュラの父ちゃん坊や風な男子学生、田舎の中学生のような制服を着せられている女子大生はスカート丈やブラウス、ベルトという最低限のアイテム相手のマイナーチェンジに乙女心を駆り立てるのか。何を勘違いしたかタイ人の巨漢肥満児インター学生の腹巻きのようなルーズソックスにミニは歩く人間ガンダム。落ちこぼれの職業訓練高校の学生は人権を無視された少年院の体操着のような制服、金ぴかが大好きな金満中華系商業店主、生まれてから不満顔が固定した生地屋の女店員。誇らしげに日系ラーメン店の制服を着たウエイトレス、昼間から浮気に勤しむ警察官、汚職にまみれた大物政治家気取り、どぎつい化粧だけがステータスシンボルと勘違いしている美容院帰りのおばちゃんは目つきが険しさが素人主婦を牽制。台湾、シンガポール、香港の今風観光客。荷物やバックに目をやるガードマンのテロ警戒、マッサージ屋の前に疲弊した姿態を並べて客を呼び込む女店員、携帯、海賊版、ゲーム・・・・電磁波、高周波、ミューザックに思考を奪われ、ふと天井を見上げると大型スクリーンに芸者の姿ではなくアブオブヌアッド(Hot Shower & Massage)の雛壇に座る美しい女性が浮き上がり別空間にトランスポート。

ペブリの日本大使館前にあるホテルはもう遥か昔に前に減価償却していまでは悠々自適の安定した三流ホテル経営をしているが、ここのコーヒーラウンジにはマッサージパーラ通勤帰りの副収入目当て娘達で満杯になり、客を探す真夜中の徘徊が毎夜繰り広げられる空間。戦略的独身者のための歩くための雛壇はショーケースであり神殿でもある、というのは買い手の思い上がった理論。しかし真夜中にどうしようもなく孤独に苛まされ、救いを求めに開かれた神殿に向かう姿は精神科医との約束のようだ。愛情、会話、セックス 、アート、何を求めたいのか解らないままデュシャンの独身者達とは精神構造ががつながらない哀れなオトコどもが集い、またそのなかで一番最低な男は勿論神聖な場所でこうしたものを書いている自分。何億円の投資ファンドとか企業買収なんかどうでもいい。欲しいのは真実の愛だけ!今度、宇宙旅行にいく彼にここでの思いを宇宙に託し、熱線でここにレスポンスしてくれと酔いどれになって訳がわからない頼みをした。

こういうタイで少し撮りにくくメランコリーな映画はサハモンコンが得意とするとこだ。鬱積した過去を持つタクシー運転手とソープ嬢の純愛のいきつく先ははからずしもコンド内にあるダンスクラブ・レストラン。さあパーティは終わった、これから本当に二人の永遠の退屈生活が始まる。だって君がブライダル産業で働くのはいいけれど、普通は話が逆でみんなこういうところから雛壇に並ぶんだよ。あの不自然な写真撮影のポーズをとる時の花嫁達の表情は、まともに視線を合わせられないほどねっとりした猥褻さで無線LANだってトギレトギレになる。

それにあの崩れ方が好きだった場末のOSAKAだって間違えて家族連れで食事したって不自然ではないくらい高級イタリアンだし、もう、あそこには田舎の日系工場の管理職なんて似つかわないし、広尾にあってもおかしくない。そう六本木ヒルズだって昔はスラムで通りには都電が走っていた。個人的にはこういうエルミタージ系のコンドミニアムにある誰も来ないレストランなんか最高だし、チャオプラヤだってインスピレーションに満ちあふれるほど精霊が降臨しているが、これにいつも苦しめらている。あの時代遅れのカラオケの意匠をみたかい。ヒンドゥの模様でおまけにシャム猫が描かれている。猫印のああいうカラオケマシーンをNYの歩道に置いてみたい気がするが、気圧が違うんだよ。だからこの映画の映像はノイズがないので魂がひらめかない。 こころのノイズだったり、響きを加工するサワリをつくたのがケージのプリペイドでこうした稚拙な道具がなければ君と宇宙にはいけない。タクシーにはジャスミンの香りのする段ボール製のラジオでなければいけないし、それに僕はすでに純粋さを失っている。本当はもっといい隠れ家があるんだよこの地球に・・・。

最新の画像もっと見る

post a comment