
この映画では特殊な能力を持った自閉症の少女ZENの父親が阿部寛(ZIN)で、これも母に引き取られてタイで暮らしたケース。ZINと恋に落ちタイの裏社会を裏切った母親は経済的に困窮し、ガンの抗がん剤治療を受け金が必要になるのだがいずれにしても窮地に陥ったZENの家族だが日本の組織暴力団組員のZINの援助が遅過ぎてタイの社会では非難囂々に晒されるケースだろう。もしかすると「傷のあるものが好きだと言う」ZINはバンコク日本人学校の出身でタイ語が理解できるのかもしれない。日本の暴力団のシノギがタイで蔓延するのを防ごうと日本大使館の警視庁からの出向職員も神経を尖らせているし、一番気にしているのはタイ警察組織だろう。
しかし、いろいろな物語の付箋でキルビルのような流血は避けてるいいムードが、後半の盛り上がり場面で一変する。明らかに脳性麻痺の特徴を持ち、筋肉の動きに特殊能力がある少年と障害者同士の戦いのシーンは無神経そのもので嘔吐しそうな後味の悪さで気分が悪くなる。表現は最大限に自由であるべきだが、こうした悪趣味で愛のない映像を見せつけられて次第に怒りが込み上げてくる。阿部寛が最後で語る「愛」というのは彼の裸の尻のように軽く、これは制作者の悪意としか思えないし、エンディングロールの撮影風景は怪我したスタッフを病院に見舞うシーンのアホらしさなど、自閉症や脳の機能障害者を実際に家族に抱えて毎日の困難な日常に直面し、絶望している人にとってこの作品はどう映るのであろうか。

この「チョコレート」という題名もチョコレートに申し訳ないほど夢も希望も感じられないと思うようになり、カンフーとキックボクシング、そして剣道で市場を獲得していこという趣旨はこれはビジネスなので当然だが、表面的に障害を捉え映画産業に組み込もうとする監督のアホさ加減に呆れてしまう。一度でも精神病院の外来に足を運んでみれば自分たちがどれほど偉いのか、映画というものがどれほどの特権があるものか、考えてみればすぐに判ることだ。香港とタイ資本の事業共同体が「ブリキの太鼓」になった瞬間を垣間みた。
分かります。
仕事の為に早起きです。
今回のブログは分かりやすくて面白いですね。
友達のにも教えてあげたら、時々見るようになったという事です。
内容は間逆ですね^^;
恐そうな映画ですね。
恐げな映画だべ、ごれは。
オラ失神しそうだべ。