1001タイ映画、千夜一画 

タイ映画またはショートフィルム他で心の琴線に触れたアーカイブ。

「シーウイ(Zee Ou)i 、人間か化け物か」_伝説的幼児人食い事件

2005-04-13 20:28:41 | Weblog,
今でも夕方、遅くまで外で遊んでいる子供に「シーウイが来るよ」というと慌てて家に引き帰るほど効き目があるタイでは伝説的な児童殺人鬼の実話。昨年、製作されたタイ映画「シーウイ、人間か幽霊か」は二人の女性監督による作品として注目されている。個人的にはこういう殺人鬼分野の作品は文字での情報のほうが好みなのだが、毎月血を扱い慣れている女性が映像で料理したほうが得意なのかもしれないとゲスの考え。

 第二次大戦後、中国本土の潮州からの移民でタイに渡った無一文のシーウイが何故、常習的児童殺害に至ったかという問いに答える形でストーリーは進行する。タイ国では経済的優位を握った中国系タイ人だが、父や祖父が精米の苦力から出発したという話はよく聞く三世代の時間をかけての成り上がり物語が経済成長を支える。でも中華街の裏道の茶店には非成功者達がいまでも屈折した経済的欲望を抱えながら中国式のティータイムで暇をつぶしている姿にタイムスリップしたような感覚に陥る。
 バンコクのみならず、タイの地方都市では、昔は纏足をしていたような華人老婦がドブ臭い路地で蛍光灯の下品な照明に負けないほど、元気なドサ回りの京劇団の公演を涙を浮かべながら観覧している様子が観られるが、この映画でもこうしたタイ中華の光景が映し出されている。こうした映像のセンスは少し前の上質な中国映画を連想させる。シーウイ役のも性格俳優として好きなタイプで他の作品も期待できる。そう娯楽映画としては申し分のない作品なのだが___。敬愛しているアメリカン_サイコを読んでしまうと、このシーウイの物足りなさは多分セックスとか異常性欲が絡まないからかもしれない。彼の児童を殺害する動機が結核を療養するための「人間内蔵スープ」の摂取というもので、「薬草と鶏肉のスープ」を飲めるような経済的な余裕があればこうした事件は起こりえなかった。あのどうしよもなく退屈な映画(肉体の証拠)も医学生による女子大生ミンチ事件の実話だがどうも先進国のシニックな変態を納得させるような異常な大人の色気が感じられない稚拙な事件で宮崎とか佐川とか比べものにならないほど形而上化されないしイメージが膨らまない事件だった。やはりサブカルチュアーの容積不足かな。アメリカン_サイコの主人公もあのハーバード出身のおたくエリートという設定がいいんだよね。お願いだからここも文化が豊穣してもう少し社会が病んでくれればもう少し居心地が良くなるかもしれない。今は一方通行で一方的にこちらの病んだイメージを膨らませて喜んでいるオナニーの状態だから。シーウイの作品に戻ると、サウンドが当たり前過ぎてもう一工夫して欲しかったのかな。多分時間と予算の問題かもしれないが・・・。
 シーウイ関連のCDを買ったのは実は二度目。街角で新聞のアーカイブ特集でシーウイ版をみたことがあるがレポータによる情報の垂れ流しという作品なので捨ててしまったが、こうした彷徨う三流CDはどこかでアーカイブ保存してるのだろうか。タイ映画基金にでも聞いてみよう。本当に気になるのがタイ裏本や裏ビデオのアーカイブ化事業。米国のプレイボーイに負けないような作品があるかと思えば、そうでない作品もある。むしろ後者の作品がほとんどなのだが、タイのラジオでのセックス相談番組なんか、かなり個人的には興奮するのでセックス考古学のような研究資料として重要かも知れない。

最新の画像もっと見る

post a comment