汗と涙の着物生活 

突如着物に目覚め、ついに着物作成に挑戦。着付けに涙し、とどまらぬ物欲に冷や汗の毎日。

なぜ無駄のない「着物」というものができたのか?

2009-11-13 | 考えたこと
なぜ着物ってこんなに無駄なくできているのか?

昔は布を織るのに手間もかかるし、材料の麻や木綿といった植物の栽培も大変だったろうから、今よりも布自体の貴重性が格段に高く、だから大事にしたであろうということはわかる。ただ、それは洋服が成り立った西洋でも同じことだろう。
なぜ着物だけ、こんなに再生可能になっているのか?

理由のひとつに、日本古来の「八百万の神」の精神というものがあるのではないかと考えている。

八百万の神-神様が万物すべてに宿っているという精神。
神様が宿っているから、布の切れ端もおろそかにできない。
欧米や中東などは、気候が厳しいので人間vsものという対立思想が生まれたが、東南~東アジアは気候が比較的おだやかだったので、人間も万物のなかの一つという一体思想になったということを聞く。
さらに日本の「万物に神が宿る」という宗教は、無生物である対象物にも私達人間と同じく命が宿ると考え、慈しもうとする気持ちが表れているような気がする。
だから布切れ一つもおろそかにせず、活かそうとしているのではないか。

さらには、その精神は、現代の「ものづくり」にも引き継がれているといえるのでは。
日本の工業製品は丁寧で緻密といわれる。それは古くからの工芸品からの伝統だ。その水準を狩野としているのは、高いスペックを追求するというより、むしろ自分が手がけるものに命をふきこみ慈しむという心があるからこそ達成できているような気がする。

なんの裏づけもない勝手な推測で、学術的な検証をしているわけではないので、変なことを言っていても許してほしい。逆に、何かアカデミックな研究があれば、ぜひ教えてほしい。

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