




まずは、昨日と今日のゆう吉のお弁当で~~~す



メンチカツ・チーズ入りはんぺん・ウィンナーときゃべつのタレ炒め・イカソテー



豚肉シュウマイ・カニカマ入り卵焼き・ウィンナーとほうれん草ソテー・マカロニサラダ

相変わらず、可愛くも食欲をそそるわけでもなく、もう少し何とかならないのかい?と自分を反省するべくアップしてる弁当です

ゆう吉、まずいとも旨いとも感想のひとつも言いませんが、肩身の狭い思いをさせてないだろうか

と思いつつも、いつも変わり映えのしない弁当を、時々無理矢理アップします

さて、本日はちょっと重い話になるかもしれませんがお許しください
今日10月15日は私の亡き父の誕生日なんです
父は私が9歳の時に37歳でこの世を去りました・・・死因は自殺でした
突然の出来事にショックを受け、目の前に帰ってきた父の姿と母の泣き崩れる姿、それからの火葬、葬儀まで今でも鮮明に記憶に残っています
なぜ?どうして?理由は何なの?子ども心にそればかりを自分に問い、私たちを残して逝った父に、疑問の念しかありませんでした
不幸なことは続くものです・・・父が亡くなり9日目に大地震で、今度は船大工だった父が少しづつ作り上げた家が全壊!
それでも気丈な母はなんとか家を構えて、やれやれと思ったところに今度は自分が病で入院・・・
一時は精神的に様子がおかしくなり、親族の間で私と弟二人をどこで預かるかという話まで出てきていました 不安で恐い毎日でしたよ当時は・・
それから、なんとか母は回復して家族4人の生活ができたのですが、当然母は生活のためにほとんど家にはいない、子供3人だけの毎日でした
言うことを聞かない弟に手を焼き、辛くても母の気持ちを考えると心配させまいと甘えることもできず、ただ我慢して隠れて泣いてる・・
孤独でさびしい気持ちしか持てない暗い子供だったと思います
そうなると勝手に逝ってしまった父をまた責めてしまったり・・・
周りから、なんでお父さん亡くなったの?と聞かれるのが嫌で、オドオドしたり・・
今だったら、心療内科なども進歩して、心の病なども理解されるようになったけど、昔は違いましたから
自殺するのは弱い人間で卑怯者とか悪い印象でしか受け止められなかったんですよ
でも、私も大人になり家族ができ、特に子供ができてからは父に対する考えも大きく変わりました
こんなに愛おしく思う子供を好き好んで置いて行きたいと思うはずがない!
そんなことをも考える余裕もないほどの理由があったはず!
きっと父も後悔して、でも戻れない現実に悔しい気持ちでいっぱいなのではないかなって・・・
思い起こせば、私の父の思い出は働き者で優しくて、ほんとに私達子供のことを愛してくれてたんだと思える記憶しかないんです
特に私は、9年だけですが一番長く父と過ごせたし思い出もたくさん残ってる・・・
今思うと、父の誕生日を一度もお祝いしてあげることもできなかった
短い間でも良い父であったことに感謝して、毎年この日は心の中でありがとうと手を合わせています
命日ももちろん忘れたことはないですが、辛いことしか思い出さないので・・
すみません、今日はしんみりした話をしちゃいました

でも、これをお聞きになっていただくと、私が日々明るく楽しく、家族が仲良くありたいと願って、頑張ってることを理解していただけるかな~

前から私のことを知っている方はお気づきかもしれませんが、近親者や知り合いに、自ら命を絶ったという人が多いんです
うそ?と思われるかもしれませんが本当のことです
また?と思い、これは私への何か教えなのではないか?と考えることがあります
そのたびに父を思い出し、父が何かを教えてくれてるような気がするんですよ
毎日を大切に、家族を大切に後悔しないように生きなくちゃだめだよって!
とはいっても、そんなにできた人間ではないのでね、私は

亡き父の誕生日だけでも見つめなおして、自分の気持ちを再確認したいと思っているんです
長々とまとまりのない文章を、最後まで読んで下さって、ありがとうございました
これからも、よろしくお願いいたします
