『釈迦の半生① 四門出遊』
約2600年前、釈迦はインドのカピラ城主の浄飯王の太子として生まれました。
4月8日にルンビニー園の花園で生まれたので、釈迦の誕生日を「花祭り」として祝います。
母親の名前はマーヤ。
大変な難産だったためか、太子を出産後7日目に亡くなります。
シッダルタと名付けられた太子は生後7日目で実母マーヤと死別します。
父親の浄飯王のシッダルタへの思いは格別なものがありました。
待望の後継者であり、愛妻マーヤが命と引き換えに産み落とした忘れ形見です。
そんなシッダルタの将来への期待は日毎に高まります。
ある日、高名のアシダ仙人を招き、シッダルタの将来を占わせました。
ところが、アシダ仙人はシッダルタを一目見るや否や涙を流します。
「太子を前に涙を流すとは不吉である。何事か」と激怒する浄飯王に対して、アシダ仙人は答えます。
「私は太子を哀れと思って涙を流したのではありません。自分を哀れと思って涙を流したのです。」
「どういうことか」と尋ねる浄飯王にアシダ仙人は答えます。
「太子はただのお方ではありません。王位を継承されれば転輪王(世界を治めうる優れた王)となるでしょう。出家されるなら無上の覚りを開かれる仏陀となるでしょう。私には転輪王よりも仏陀になるように思われます。ところが、私はこの通り余命いくばくもない老人です。太子が覚りを開かれても、教えを聴くことができずにこの世を去らなければなりません。なんと残念なことだろうと思わず涙を流してしまいました。」
アシダ仙人の弁明を聴いた浄飯王は大変満足します。
そして、太子をゴータマ・シッダルタと命名し、優れた王に育てるための英才教育を施します。
立派な王になるには優れた師をつけなければならないと考えた浄飯王は、シッダルタが7歳の時、当時のインドで一番の大学者と称されたバッダラニーを学問の師に加え、更にインド一番の武芸の達人と評判の高いセンダイダイバを武芸の師に迎えます。
シッダルタは一を聞けば十を知る天才でした。
まもなく二人の師は浄飯王に、「太子に教えることはもうございません」と辞を申し出ました。
なに不自由なく育ったシッダルタですが、成長するにつれて、物思いに耽るようになります。
少年時代から瞑想を好み内省的だったシッダルタは、ある日、鳥が虫を啄むのを見て弱肉強食の過酷な現実を知り、悲嘆します。
そのシッダルタが出家を志す縁となったと言われるエピソードが、「四門出遊」です。
ある日、東の城門を出た時、シッダルタは、歯がおち、腰が曲がり、杖に頼って歩く老人を見ました。
人は誰でも老いなければならないのだろうか。
シッダルタは老いの苦しみを痛感します。
ある日、南の門を出た時、病人を見ます。
シッダルタは人が病むという病苦の現実を深く感じます。
ある日、西の門を出た時、葬式の行列を目にします。
さっきまで元気だった人が青白くなって動かなくなる。
そして、焼かれて一つまみの白骨になる。
人は誰でも死んでいく。
必ず死ぬのに何故生きるのだろう。
シッダルタは死の苦しみを知らされます。
ある日、北の門を出た時、出家した僧侶を目にします。
人は限りある命を自分の欲を満たすために生きるのではない。
老・病・死を超えた普遍的な真理を求めるために生きているのではないだろうか。
老・病・死に直面しても崩れない本当の幸せを手に入れたい。
シッダルタは真実の幸せを求める気持ちを押さえることができなくなりました。
約2600年前、釈迦はインドのカピラ城主の浄飯王の太子として生まれました。
4月8日にルンビニー園の花園で生まれたので、釈迦の誕生日を「花祭り」として祝います。
母親の名前はマーヤ。
大変な難産だったためか、太子を出産後7日目に亡くなります。
シッダルタと名付けられた太子は生後7日目で実母マーヤと死別します。
父親の浄飯王のシッダルタへの思いは格別なものがありました。
待望の後継者であり、愛妻マーヤが命と引き換えに産み落とした忘れ形見です。
そんなシッダルタの将来への期待は日毎に高まります。
ある日、高名のアシダ仙人を招き、シッダルタの将来を占わせました。
ところが、アシダ仙人はシッダルタを一目見るや否や涙を流します。
「太子を前に涙を流すとは不吉である。何事か」と激怒する浄飯王に対して、アシダ仙人は答えます。
「私は太子を哀れと思って涙を流したのではありません。自分を哀れと思って涙を流したのです。」
「どういうことか」と尋ねる浄飯王にアシダ仙人は答えます。
「太子はただのお方ではありません。王位を継承されれば転輪王(世界を治めうる優れた王)となるでしょう。出家されるなら無上の覚りを開かれる仏陀となるでしょう。私には転輪王よりも仏陀になるように思われます。ところが、私はこの通り余命いくばくもない老人です。太子が覚りを開かれても、教えを聴くことができずにこの世を去らなければなりません。なんと残念なことだろうと思わず涙を流してしまいました。」
アシダ仙人の弁明を聴いた浄飯王は大変満足します。
そして、太子をゴータマ・シッダルタと命名し、優れた王に育てるための英才教育を施します。
立派な王になるには優れた師をつけなければならないと考えた浄飯王は、シッダルタが7歳の時、当時のインドで一番の大学者と称されたバッダラニーを学問の師に加え、更にインド一番の武芸の達人と評判の高いセンダイダイバを武芸の師に迎えます。
シッダルタは一を聞けば十を知る天才でした。
まもなく二人の師は浄飯王に、「太子に教えることはもうございません」と辞を申し出ました。
なに不自由なく育ったシッダルタですが、成長するにつれて、物思いに耽るようになります。
少年時代から瞑想を好み内省的だったシッダルタは、ある日、鳥が虫を啄むのを見て弱肉強食の過酷な現実を知り、悲嘆します。
そのシッダルタが出家を志す縁となったと言われるエピソードが、「四門出遊」です。
ある日、東の城門を出た時、シッダルタは、歯がおち、腰が曲がり、杖に頼って歩く老人を見ました。
人は誰でも老いなければならないのだろうか。
シッダルタは老いの苦しみを痛感します。
ある日、南の門を出た時、病人を見ます。
シッダルタは人が病むという病苦の現実を深く感じます。
ある日、西の門を出た時、葬式の行列を目にします。
さっきまで元気だった人が青白くなって動かなくなる。
そして、焼かれて一つまみの白骨になる。
人は誰でも死んでいく。
必ず死ぬのに何故生きるのだろう。
シッダルタは死の苦しみを知らされます。
ある日、北の門を出た時、出家した僧侶を目にします。
人は限りある命を自分の欲を満たすために生きるのではない。
老・病・死を超えた普遍的な真理を求めるために生きているのではないだろうか。
老・病・死に直面しても崩れない本当の幸せを手に入れたい。
シッダルタは真実の幸せを求める気持ちを押さえることができなくなりました。